ー、


 俺は傭兵という職業に憧れを抱いて、この異様な街にやってきた。

 生まれは小国ロシュの辺境でこの街に比べれば、かなりの田舎である。

 深い森を切り拓いた広大な田園地帯で働く人々の顔と名前は一人残らず覚えていた。

 だからこそ、余計にこの自由貿易都市の光景は俺の眼には奇妙に世界に映る。

 建物一つ一つがまるで作風の違う絵画や彫刻のようで、硝子の窓を有したものもある。

 この街の話は旅の商人から聞いていたが、実際に見るとかなり、いや、実に異様だ。

 故に目的地の建物を見ると妙に懐かしく感じる。

 建物は古めかしい石造りで、看板もわかり易くしているつもりの紋章のみ、というのは故郷の建築様式によく似ている。建物の隣に厩舎きゅうしゃがあるのはこの街では不釣り合いだ。 

 盾の上に天秤と剣が描かれた紋章の看板は武器や防具でも売っていそうだが、実際にはここはその使い手を取り扱っている。

 重厚な観音扉の向こう側にいるのは強者か、人の皮を被った怪物か。

「ここが傭兵ギルドか」

 そう独り言ちて俺は意を決した。

 その観音扉を開け、ギルドマスターに力を示す為、傭兵を倒さなければならない。

 傭兵になる為の儀式だと、少なくとも俺はそう聞き及んでいる。

 勢いよく扉を開き、相棒でもある槍を掲げ、俺は声を高らかに上げた。

「おうおう! このギルドに入るにゃ、どいつを倒せばいいんだ?」

 俺の声の後に続いたのは、沈黙とあからさまに呆れを含んだ溜息が聞こえた。

「あれ?」

 ギルドの中は早朝で酒場が開いてないせいなのか閑散としている。

 奥にある洒落たバーカウンターの内側に、仏頂面の痩せた老紳士と少女がいた。

「アンタ、ここの受付嬢かい?」

 俺は旅の商人から聞いた情報を頼りに、少女の方に話しかける。

「え? いえ、私は受付嬢ではありませんよ」

 少し困った顔をした後、少女は苦笑交じりに答える。その仕草が随分と可愛らしい。

 少女は髪も瞳も漆黒で、装いも黒で統一している。少々、場にそぐわない気がした。

「御用でしたら、こちらの方にどうぞ。彼がここの責任者です」 

 少女は上品に指を軽く揃えて、手の平を老紳士に向け指し示す。

 老紳士は恨めしそうに少女を見ながら、面倒臭そうに肯定の意味で肩をすくめた。

「責任者ってほど、偉いもんじゃないがね。まあ、ギルドの主人と呼ばれているよ」

「なるほど、アンタがここの主人か。まあいい。俺は誰を倒せば仲間入りできる?」

 俺は改めて、ギルドの主人に向き合う。

「なんだいお前さん、さっきから随分と偉そうだねえ。何様だい」

 俺にはこの老紳士が傭兵を束ねるギルドの主人とは到底思えなかったが、老眼鏡の奥から放たれる鋭い視線にはそれなりに畏敬を感じた。 

「俺はレオニールってんだ。レオニール・バルトロメ。腕は確かだぜ」

 ギルドの主人に槍を構えてみせるとまた彼から深い溜息が返ってきた。

「とんだ素人が来たもんだねえ。そんなに簡単に得物を見せびらかすもんじゃねえよ」

「なんでだよ? どうせギルドに入るにゃ腕っぷしを見せなきゃならねえんだろ?」

「いいから得物はおろしなさいな。じゃねえと酒場の風紀が乱れかねんからな」

 ギルドの主人の視線が背後に向けられているのに気が付き、振り向くといつの間にか酒場に入ってきた数名の傭兵たちが結構な迫力で俺を睨んでいた。

「うっ……」

 思わず、構えた槍を傍らにおろすと石突きの音がカツーンと酒場に響いく。

 突然、ギルドの主人が適当な紙を丸めた筒で俺の頭をスパーンと叩いた。

「なにすんだ! おっさん」

 俺は思わず、頭にきて声を荒げる。

「こんなのも避けれねえで、お前さんが使えるってのかい? これが剣なら死んでたぞ?」

「そんなのただの不意打ちじゃないか!」

「そうとも。戦場で不意打ちを食らっても、そんな口が利けるといいがな」

「なんだよそれ。俺死んでんじゃん!」

 頭に上った血が急に冷めて、それが冷や汗となって背筋を伝うのを感じた。

「そこだよ。『入れてくれ』『はいそうですか』ってな風にゃいかんのがここの決まりだ」

「だったら、どうすりゃいい? 俺はどうしても傭兵ギルドに入りたいんだよ!」

「じゃあまず、その不遜ふそんな態度を改めるこったな!」

「……多少不遜でもここでは腕前次第なんだろ? どう振舞おうと構わねえだろうが」

「それが腕前に見合った態度なら、構わんがな」

「だから! 腕には自信があると言っているだろう!」

「ほう……」

 老紳士は少しの間、沈黙し、明らかに品定めしているように俺を見つめ、溜息を吐いた。

 溜息を吐くのがどうやらこの老紳士の癖のようだ。

「まあ、そこまで言うなら、一応、腕前を見して貰おうかね。ええと……」

 ギルドの主人は酒場を見渡してから、愉快そうに薄笑いを浮かべる。

 なんだか、気味が悪いと思うのは俺だけだろうか。

「ヤアン、お前一応、腕前検め役の資格持ってたよな? しかも今暇だろ?」

 俺は違和感を覚えた。今までカウンターのこちら側には誰も座ってないと思っていたが、気が付けばすぐ傍らに奇妙な姿の少年が座っていた。

 ヤアンと呼ばれた少年は気怠そうに顔を上げる。

 髪は艶が蒼く見える銀髪で、肌は白磁の如く、生成りの装いはまるで亡霊を思わせる。

 ただ、空色の瞳だけがぎらぎらと輝きを放ち、その生命の息吹を主張している。

「ああん? だよ。オレは面倒はごめんだ」

 しゃがれて低めに発している声は、まだまだ高く、完全に変声期には入っていない。

 甲冑を着けているから一応、傭兵かその見習いといったところか。

「なんだよ、こんなガキに俺の相手させる気か?」

 舐められたものだと、俺が文句を言う。その背後では傭兵たちが何やらざわめいている。

 彼らは入り口付近に集まったまま、動こうとはせずにこちらの様子をただ窺っていた。

「そのガキを倒せたら、お前さんをどうするか、考えてやってもいいぞ」

 ギルドの主人が妙に挑戦的な言葉を放つ。

 この場に不釣り合いなティーカップを手に席を立とうとしたヤアンの肩をギルドの主人が腕を伸ばし、がっしり掴んで逃がすまいとした。

「うおい、勝手に決めんなよ! おっさん。面倒はごめんだつってんだろ」

 対してヤアンは煩わしそうにその手を振り払い、迷惑そうに声を上げる。

「これまでのツケをチャラにするのと、これを正式な仕事として小銀貨三枚でどうだ?」

「よし乗った!」

 ギルドの主人の提案の指にヤアンは飛びつくように立ち上がった。

「本気でこのチビガキを俺と戦わせる気か?」

 俺は思わず、ギルドの主人に言う。ヤアンの背は俺よりも目線ふたつ程に低い。

「おい、ヒョロナガ。さっきから態度がデケえんだよ」

 長い前髪の帳の隙間から、ぎらぎらとした冷たい蒼い瞳がこちらを睨みつけていた。

「なんだと、このチビガキ」

「なんなら、その分オレが削ってやろうか? あぁん?」

「んだと、このチビ! 口だけはデカくてよかったなあ」

「タッパがありゃあ、偉いとでも思ってんじゃねえか? このヒョロナガ」

「視線合わせてやろうか? そう上目に睨んでちゃあ目が疲れてしょうがねえだろう?」

「おうおう。わざわざ頭突きしやすくしてくれてありがとうよ」

 紅潮した頬がふっくらとして幼けない顔に反し、何と生意気なことか。

 俺はすっかり、ヤアンと戦う気になっていた。

 ギルドの主人の手ががっしりと俺とヤアンの頭を押さえつけた。

「おい、お前ら、ガキの喧嘩の続きは訓練場でやってくれ」

 意外にもヤアンはそれだけで大人しくなり、拗ねた顔で俺からそっぽを向いた。

「訓練場なんか、あったんですか?」

 黒髪の少女が興味深そうにギルドの主人を見上げた。

「お嬢ちゃんも見学にくるかい?」

「いいんですか? でも皆さんいらっしゃってますよ?」

 少女は未だに入り口に集まったままの傭兵たちの方に目をやる。

「おう、悪いなぁお前さん方。ギルドに急ぎの用がある者以外は待ってくれ」

 ギルドの主人が声を掛けると傭兵たちは顔を見合わせ、お互いに肩をすくめただけだ。

「急用はねえみてえだが、みんな酒は飲みたいだろうよ」

 ヤアンがそうギルドの主人に口添えすると、彼は仕方なさそうに溜息を吐いた。

「おーい! アレイン。少しだけ内側の仕事を頼むわ」

 ギルドの主人が名指しで呼ぶと、赤毛の傭兵がカウンターまでやってくる。

「うーい。わかったよ。でもなんでオイラにばかり留守番頼むんだい?」

 アレインは飄々とした印象の若者で、俺と同じ年ぐらいに見えた。

「まあ、理由は色々あるわな。ほれ、これ」

 ギルドの主人は、黒い腕輪のようなものをアレインに駄賃と一緒に渡す。

 傭兵に店番まがいの仕事を任せるというのは妙に感じた。

「いいのか? あんな普通の傭兵に任せても。金を盗まれたりしないのか?」

 俺がありのままの疑問を、ギルドの主人にぶつけると老紳士は何故か苦笑した。

「お前さん、傭兵になりたいって言ってる割にその恐さを知らないんじゃないか?」

「それってどういう?」

「下手な事しでかしたら、どんな親しい奴でも粛清する。そういう連中だ」

 ギルドの主人は事務的な口調だったが、明らかに俺を脅かしているように聞こえた。

「まあ、どっちみち余計な金は動かせないように、仕掛けてあるから大丈夫なのさ」

「ん?」

 その言葉の意味が理解できないまま、俺はギルドの主人に伴うヤアンと少女と訓練場のある施設にいくことになった。

 厩舎きゅうしゃに通じる扉からその裏手の道を真っ直ぐ行くと、傭兵ギルドの訓練場があるらしい。

「ところで、俺はレオニールだ。貴女の名は?」

 道すがら、俺は漆黒の少女に名前を訊ねた。

「リザイラと申します。改めて名乗らずとも貴方のお名前は先程、耳にしておりました」

 リザイラは淑やかで丁寧に答え、微笑んでくれる。それが妖艶で少し戸惑った。

「一応、礼儀だからな。リザイラか、五百年に一度咲く綺麗な花の名前だね」

「いえ、こちらこそ、名乗らずにいて申し訳ありませんでした」

 リザイラは瞼を物憂げに伏せた。黒衣のせいかリザイラにはどことなく儚さを感じる。

「アンタは傭兵ギルドで何やってんだい? ただの従業員じゃなさそうだ」

「それは――」

 俺の質問にリザイラが答えようとした時にしゃがれた声が邪魔に入った。

「おい、くっちゃべってねえで、早く来いよ」

 ヤアンがリザイラの手首を掴み、庇うように引き寄せ、凍て付いた瞳で俺をめつけた。

――おや、この二人はそういう事なのか?

 最初はリザイラへのヤアンの扱いが乱雑に見えたが、リザイラの表情を見ればヤアンに信頼を寄せているのがまるわかりだった。

 そうこうしている内に傭兵ギルド所有の訓練場にやってきた。

 そこは小さな古い屋敷の跡地で見方によっては古城にも見えるが、要は廃墟である。

「ここって昔は何だったんですか?」

 真っ先に興味を口にしたのはリザイラだった。

「傭兵ギルド創立の立役者の先祖んちって、聞いちゃあいるが真偽の程は知らねえよ」

 ギルドの主人が答えるかと思ったが声の主はヤアンだった。

 皆の視線がギルドの主人に集まるが老紳士は曖昧な表情になる。

「まあ、そんなとこかね」

 当のギルドの主人も詳しくは知らないのかもしれない。

「単に広い場所が必要で土地を購入したら、訓練に適した環境だったとかかもな」

 ヤアンの言葉通り、この場所はあらゆる状況を想定した訓練に適していた。石畳で舗装されていたらしき――雑草などで石畳がひび割れ荒れている――中庭に着くまで、ヤアンは事細かにこの訓練場にある――元々あったり、自分たちで作った難所や演習場、訓練に使う道具にカラクリ、休息場所、この廃墟にまつわる逸話やら怪談まで話してくれる。

 真偽の程は知らないとついさっき言ったばかりのその口でよく言うものだ。

 但しこの場所がそれだけの話に現実感を持たせる程に薄気味悪い場所だとはわかった。

 ここには厩舎もあるせいか、馬糞のかぐわしい香りが風に乗ってくる。

「へぇ、ここで傭兵が技を磨いてるのか」

「まあ、主に見習いを抱えた奴とかが使う場所だ」

「へえ、じゃあお前もよく来るのか?」

「オレもここに来たのは結構久しぶりでね。ったく、誰だよ。酒瓶転がしてんの」

 ヤアンは神経質そうに転がった酒瓶を集めて備え付けの廃棄箱の中へ入れる。

「お前、見習いじゃないのか?」

「見習いが検め役の資格を持ってると思うなら、お前は馬鹿だ」

「馬鹿とはなんだ! このチビクソガキ」

「うるせえ! このヒョロナガ馬鹿」

 ヤアンと俺のやり取りをみてリザイラはくすくすと可笑しそうに笑っている。

 何がそんなに可笑しいのか、さっきも二人のやり取りを見て笑っていた。

「そこのお二人さん、じゃれてねえで、とっととやりやがれ」

 ギルドの主人にヤアンは一瞬だけ不服そうな表情を見せ、挑戦的な視線を俺に向けた。

「得物はどうする? 一応、模擬槍もあるぜ。自分の得物を使うか?」

 俺は一瞬、躊躇ちゅうちょしてから自分の槍の石突きを地面に突き立てる。

「こいつは俺の相棒だ。遠慮なく使わせて貰う」

 そういって俺は改めて槍を中段に構えた。

「……そいじゃあオレも」

 ヤアンはロングケープの隙間から左手で素早く剣を一振り抜いた。

「左手? お前、左利きなのか?」

「別に左利きじゃねえ。お前相手にゃ左手で充分ってことさ」

 石壁の塀に囲まれた中庭の中央に移動し、お互いに間合いを取る。

 ヤアンは右手で前髪を掻き揚げながら笑った。剣を持った左手はだらりと垂れている。

 随分余裕そうに見えるが、背は俺より低いし、身体は甲冑鎧で誤魔化しているようだが、明らかに華奢に見える。当然、俺より手足は短く、力もなさそうだ。

 俺は余裕で勝てると、そう確信し槍の切っ先を据えてみせる。

「開始前にお互いに殺される相手の名前を訊きたいだろう?」

 ギルドの主人がそう言うと、ヤアンは大きな声で名乗りを上げた。

「ヤアン・ミシェル・ロツェン・ブラオルドルフ! お前の名乗り聞いてやるよ」

 長い名前だなと思いながら、俺の方は少し省略しなければならなかった。

「レオニール・アンリ・バルトロメ! 参る」

 俺は突くと見せかけ、据えていた槍を振り上げ、薙ぎ技の一閃を放った。

 重厚な金属音が響き、鋼と鋼がぶつかるのを手元でも感じた。

 俺の相棒である槍は穂先だけではなく、持ち手部分の直前まで上質な鋼が使われている。

 そうでなければ、あの鋭そうなヤアンの剣によって槍は真っ二つになっていた――。

 一瞬、そう思ったが、ヤアンは間合いを詰めずに、少し気の抜けたような表情で穂先をあしらっただけだった。

――まさか、槍をつばだけで受け流したのか。

 俺は次の一閃をヤアンの右側に放つが、ヤアンはそれを素早い動きで対応し、かわした。

 躱した思った次の瞬間には、ヤアンから打ち込んできた。

「くっ!」

 俺はその速さと身軽さに驚いた。甲冑の重さを利用しているのかヤアンの打撃は重い。

 ヤアンは柄と鍔で俺の槍を弾き返している。やがてヤアンも動き出し、俺も対応する。

 槍とやや短めの剣での戦いではあるが、まるで拳と拳での戦いのような錯覚に陥った。

 幾度かの槍と剣がぶつかり合いで火花すら飛んでいる。

 ヤアンの剣は決して長くはないし、軽くも見えないが、器用にそれを振り回す。

 俺は始め、槍の攻撃を交わす度に、重い剣戟けんげきを感じるのは鎧の重さを利用しているのかと思ったのだが、逆に鎧の重さを利用したなら、あの剣を自由自在に操る左手の素早さは説明できない。それに、何よりもヤアンの舞うような足にはブレがない。

 ヤアンの踏み込みで、間合いを詰めようとしているのがわかった。

 できる事なら突きは出したくはない。突きに見せかけた払い技でそれを防ぐ。

 ヤアンの足が動いた。間合いを詰められたら、確実にあの剣は俺の首を跳ねる。

 そう考えると冷や汗が溢れ出てくる。あの足は相当、厄介だ。

 重厚な鎧でその身を包んでいるが、ヤアンは素早い。そこには余裕すら感じる。

 ヤアンはトントンと爪先で地面を突き、その足踏みから、俺は跳躍ちょうやくの気配を感じ取った。

「させるか!」 

 俺は絶対に出そうとは思っていなかった突きを放つ。槍の穂先は確実にヤアンの脳天を穿うがってしまう――はずだった。

「うわっ!」

 穂先が貫いたのは残像だった。その残像は右にぶれた。寸前で交わされ、ほっとしていたのだが、その勢いでヤアンは跳躍し、槍を踏みつけた。

――あれ? 一瞬、槍の穂先を……今、槍の上を一歩だけ歩いたのか⁉ そんなの錯覚だ。

 俺が困惑してる間に、間合いが一気に詰められ、槍は抑え込まれて動かず――。

 一瞬で視界に銀色の隔たりが出来る。違うこれはヤアンの剣先だ。

 気付けば、ヤアンは俺の鼻先に剣を突き付けていた。

 臆病者なら何かを漏らしていただろう状況だった。よかった。下半身は湿ってない。

 だが、反則的なあの素早さに俺は畏怖いふとともに――言葉を失う。

――なんなんだよ。この圧倒的な敗北感。舐めてかかったツケとかじゃあないぞ。

「勝負あったな。ヤアンの勝ちだ」

 ギルドの主人の一言で俺は状況も理解できないまま、傭兵になる事を諦めなくてはならないのか。そんな絶望が徐々に襲ってくる。

「因みにヤアンは女の子ですよ」

 更に追い打ちをかけるかのように鈴の鳴るような声が耳打ちしてくる。リザイラの声だ。

「チビじゃなくて、逆にノッポだったのか」

――女に負けた……。 それがあまりに衝撃過ぎて、自分が何を言ったかもわからない。

「ま、大人しく故郷に帰れ。じゃなきゃ他にも仕事はあるさ。道だけは間違うな」

 ヤアンが妙に優しく声を掛けてくれるが、長年の夢が絶たれ、俺の足は立ってくれない。

 この女が言った言葉は、故郷へ帰る道のことなのか生きる道のことなのか。

「どっち道、お前の戦い方は傭兵には向かねえよ」

 ヤアンのそんな言葉も空虚に感じるだけだ。道が好きなんだな。とは思う。

「おい、ヤアン! おい!」

 ギルドの主人がヤアンを呼んでいる。

「あんだよ。おっさん」

「ヤアン。この髪の毛、お前さんのだろう?」

 ギルドの主人が地面に落ちていた蒼い光を放つ髪の毛を見つける。

「うわっマジか。突きには流石に焦ったから対応が遅れたんだ。多分そん時、掠ったんだ」

「じゃあ、あの小僧はお前から数本とったわけだ」

「髪をな。勝負の本数じゃねえぞ」

「冗談だよ?」

「ったく! おい、ラオフとかいったっけそこの槍使い!」

 愕然として放心していた俺の顔を心配そうにヤアンのぞき込む。

 こうしてみると随分と綺麗な顔立ちではあるが、やはり女の顔ではない気がした。

「レオニールだ!」

 ヤアンは意味だけで俺の名前覚えてたのか。ラオフもレオニールも獅子を意味する。

「腕前検め役として、お前を傭兵見習いとする――。あとなんだっけ?」

 ヤアンの口から思いがけない言葉が発せられ、俺は一瞬、それを理解できなかった。

「慣習では指導係について貰わんとならんが、階級的にお前に頼めないかね?」

 ギルドの主人がヤアンに提案する。

だ。オレは弟子はとらない」

「士官クラスは弟子を持てば、ギルド基金から報酬が出るし、いい機会だと思うがね」

「でも、槍は専門外だぜ? オレが教えられるのは傭兵の仕事ぐらいだ」

「それでいいじゃねえか。槍は他の槍使いに頼ればいい。頼るのが苦手なのは知ってるが、そういうのを含めて、お前さんも色々と周りや自分を見つめ直せるだろ?」

「それがいい経験になるってか? クドルしてなかったせいで髪が斬られたわけだしな」

「そういうこった。お前さんに必要なのは成長で、それは経験の積み重ねなんだろ?」

「おっさん、時々、師匠っぽくなるよな」

「それがギルドマスターの役割だからな」

 ギルドの主人は自嘲気味に柔らかい笑みを浮かべた。

「私は経験は量より質だと思いますけどね」

 リザイラがそこに口を挟むと、ギルドの主人はリザイラを見て静かに肯定を示す。

「こういう仕事はそのどちらも得られる。でもそれはヤアン次第だ」

「確かにリジィを守りながら出来そうな仕事だな……。いいぜ。やるよ」

 ヤアンは少し考えてから、弟子を持つことに了承した。

「おい、レオ。オレが傭兵の仕事は教えてやる。得物に関して改善の余地はありそうだが、お前はまだ若いし、まだ磨きようがある。どうだ?」

 そういってヤアンは腰を抜かしたままの俺に、手を差し伸べた。

「えっと、お前が俺の師匠?」

「お前次第だ。まずはその態度を改めろ。あと、リジィが言ったオレの性別は秘密だ」

「わかった。アンタに従うよ」

 俺はヤアンの手を取り、弟子入りすることになった。

 ヤアンは俺の手を引いて軽く立ち上がらせる。俺は相当重いはずだから、凄い力だ。

「アンタ、本当に女なのか?」

 一瞬、失言かと思ったが、ヤアンは悪戯めいた笑みを浮かべている。

「中銀貨一枚で証拠はいくらでも見せてやるぜ。見るだけならな」

 そう言ったヤアンのその言葉を聞いたリザイラが嫌な顔をしたのがわかった。

「じゃあ、手続きに帰るぞ」

 ギルドの主人がぱんぱんと手を叩いて、それぞれを我に返らせる。

 傭兵ギルドは書類手続きを重んじているらしい。

 時計を見ると時間はそんなに経ってなかった。それが俺には少し悔しい。

 傭兵ギルドに戻る途中、見事なブロンドの女性とすれ違った。

 人々が往来する頃になっており、すれ違った人は大勢いたが、輝きを持つオリーブ色の肌が妙に印象に残ったのと、ヤアンとリザイラが急に緊張をみせたのが気になった。

 傭兵ギルドに戻ると、そこはアレインにとっての戦場になっていた。

「おっさん! オイラじゃ手が回んねえよ。普段一体どうしてんだよ!」

 ギルドの主人がやれやれと額に指を当て、カウンターの内部に戻っていった。

 傭兵たちの食事や酒の注文をアレインだけでは対応しきれていない様子だった。

 ヤアンの言では、こういう時だけ傭兵たちは無茶を言って彼を困らせるらしく、普段はギルドの主人に対して、皆が遠慮しているのだという。

「ああ見えておっさん、すげえ怖いんだぜ」

 ご老体を労わる敬意からだろうと俺は思うのだが、ヤアンは鼻で笑った。

 俺が傭兵の見習いになったことをギルドの主人が発表し、何故か皆が喜んでくれた。

 早速、歓迎の宴が開かれることになり、俺は女師匠の許しを得て――といっても本人も乗り気で参加しているのだが――好意に甘える事にした。

 見知らぬ俺を歓迎するという、彼らギルド傭兵はこれからよき友になってくれるだろう。

――今度はみんなの名前を覚えないとな。

 そんな覚悟を抱きながら、今日だけは歓迎の宴に酔いしれよう。

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