3-15 カーバンクルと撮影機

 数分と掛からず目的の路地裏に到着した。


 そこは血が至る所に飛び散り、足の踏み場がなかった。


 うつ伏せに倒れている作業服の人間らが十名。


 その血溜まりの中央に立っていたのは、ムカゴだった。

 血のべっとり付着した鉄の棒を握っていた。


「イツキさん」


 ムカゴは長い前髪の下で、いつも通り少し眠たそうな瞬きをした。


 カーバンクルを殺した犯人らは、既に息絶えていた。


 ムカゴは靴先に付いた血を、路地に敷き詰められた煉瓦に、執拗に擦り付けて落そうとしながら、


「クコを傷つける可能性のある人間だったので、先に芽を摘んでおくべきだと思ったんです」


 イツキの心が急速冷凍された。

 蒼褪める意味でも、冷静さを取り戻す意味でも。


 イツキは復讐することすら叶わなかった。

 この憎悪も怒りも喪失感も噴出させる場所を失ってしまった。


 ムカゴは血を払い落とそうと、着ているシャツを擦った。

 だが血の染みは余計に滲んでしまう。


 彼は「何で? 何で?」と抑揚もなく呟き、今にも途方に暮れそうなのを踏ん張って、まだ擦っていた。


 ……ムカゴとて平気な訳ではないのだ。

 いくら雨神だろうとも、倫理観が浸透していなくとも、人間の命を奪って何も思わないことはない。


「ムカゴ、帰ろう。早くクコちゃん見つけねえと」


 昔、師匠が同じように自分を迎えに来たことがあった。

 苦々しい懐かしさが去来した。


 予想外にも、ムカゴはぱっと身を捻り、イツキを正面に見据えた。


 彼の意識は完全にイツキに向いていた。

 これは、敵意……?


「女郎蜘蛛と名乗った人から、クコが、イツキさんと親しかったエルフの少女の生まれ変わりなんだと聞きました。

 荒唐無稽に聞こえましたが嘘を吐きたいならもっと信じられる嘘を吐くだろうと思いました。だからそれは事実なんですよね?

 ……イツキさんはクコを大切だと思いますか? それともクコの魂が好きなだけですか?」


「っ……、ごめん……」


 咄嗟に口から漏れた言葉としては、最悪だった。


「僕はイツキさんを信用してました。信用したかった。信じていたかった」


 ムカゴは藍鼠色のホッチキスを取り出した。人の縁を結び付ける魔法道具。


 それを使って以前、イツキはムカゴとの縁を繋いだのだ。


「……ああ、でも。その思考すらこの道具で植え付けられたものでしたっけ?」


 腹を割って話すべき局面を迎えていた。


 イツキが数歩下がると、ムカゴが追いかけて数歩前に進んだ。


 血溜まりと死体を抜けたことを目視してから、イツキは真摯に告げた。


「……確かに女郎蜘蛛って奴の言った通り、俺は戦場で仲間を亡くした。仲間は五人いて、リーリュはその中の一人だ。

 でもその五人を生き返らせようとはもう思ってない。戦場で人が死ぬことは仕方ないし、今はもう全員が生まれ変わってるからな。

 皆は俺が手を貸さなくても、もう新しい生を受けてそれぞれ生活してるんだよ。

 けど……ただ一人。

 戦争終わってすぐに、友達が自殺したんだ。そいつだけは自然に転生することはないし成仏することもない。救われないことが決まってる。

 だから、そいつだけは俺の手で助けたい」


 ムカゴの中に生まれた葛藤を、イツキは捉えていた。


 ――信じたい。騙されているかもしれない。縋りたい。煩わしい。頼りたい。


 ムカゴは、それに無理矢理折り合いをつけようと、手に持ったホッチキスを使おうとした。


 その手をイツキが掴んだ。


「これに関してだけは魔法じゃなく道具じゃなく、ムカゴが決めて」


 長い沈黙の後。


「……信じます、もう一度。クコを助けて下さい」


 ムカゴの決意が相当のものだと分かった。


 イツキは、自分が散々にやってきたことのつけを払う時がとうとう来たな、と思った。


 イツキは安心させたくて、笑おうとした。恐らく口元は情けなく引き攣っていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る