3-10 カーバンクルと撮影機

 腕を組んだイツキとムカゴの間に、ホノカがずいっと首を伸ばした。


「イツキ先輩、ここでどれだけ頭抱えてもしょうがないです。

 百聞は一見に如かずですよ。確かめに行きましょう」


 そう口を挟んだ。


「え~」とイツキが嫌そうに仰け反った。


「俺、船酔いすんだけど」


 イツキのささやかな抗議に「頑張って下さい」とホノカは明るく返した。


 と、するするとホノカの身体が音もなく拡張した。徐々に身体全体が黒い毛並みに覆われていく。


 狼だ、とムカゴは思った。

 外見は犬種で言えばシベリアンハスキーだが、鼻の頭から尻尾の先まで真っ黒だ。


 大きさは普通「大型犬」と言われて想像する三倍はあった。

 尻尾がうねる蛸の足だ。


 ホノカは北欧神話に登場するフェンリルという狼の魔物らしい。

 更に言えば、魔法使いであるイツキの使い魔なのだとか。

 数日前にイツキから説明があった。


「ホノカ」


 と狼の魔物に呼び掛けたイツキは、ふさふさの毛皮を撫でた。

 ホノカも黄色い目を心地良さそうに細めた。


 イツキはその手でボールペンを握り、ムカゴの手のひらに怪しげな図形……魔方陣を描き込んだ。


「ムカゴ、もたれかかれるとこに座れよ」


 イツキが指示し、ホノカが「行ってきまぁす」と朗らかに声を張った。


 その瞬間にはホノカの姿が消え、代わりにムカゴの瞼の裏に映像が雪崩れ込んだ。


 思わず「お、うわ……」とソファーの肘掛けを掴んだ。


 イツキは既に向かいのソファーにぐったり沈んで、目を閉じていた。


「目回んだろ、気を付けろよ」


 イツキが解説してくれた。


「今、俺らは狼ホノカと視界を共有してる。前、教えたっけ? これがホノカの……フェンリルの能力。

 普通は主人の俺しかできないんだけど、その魔方陣でムカゴと俺の視界を繋げて見えるようにしてる。

 右目ホノカに貸して、左目ムカゴに貸してんだけど……ちょっと船酔いがキツイざんす。

 ……で、ホノカがヒガンの家に偵察行ってくれたから俺らはここで待機。

 えっと、魔物バージョンのホノカは人間には見えんからレーヴェに気付かれない限りはバレる心配は無し」


 数秒のうちに、ホノカがヒガンの屋敷に到着したようだ。

 五月雨に濡れる立派な屋敷の映像が映った。


 ホノカの声が、すぐ耳元で囁かれたように聞こえた。


『すごく変な魔法の臭いがします』


「変?」


 イツキが怪訝そうに返した。

 この能力は視界を繋げるだけでなく、会話もできるようだ。


『何て言ったらいいんでしょう……カレーと餡子あんことサバの味噌煮を混ぜ合わせたような……。

 辛うじて食べ物だって分かるけど、絶対口に入れたくない異臭です』


 瞼の裏の映像がぐるぐる移り変わる。イツキが船酔いと言ったのはこれか。


 ホノカを経由した映像には、ヒガンの屋敷の客間が見えてきた。

 映像の位置的に、ホノカは扉の影から室内を覗いているようだ。


 客間のテーブルを挟んで、ヒガンと対面する長髪の男性が居た。


 壮年の男性は和装で、黒い着物に茶の羽織を重ねていた。

 当然ムカゴと面識のない人物だ。


 男性の背後には作業服の人間が十人、男性の指示を待つように控えていた。


 何か取引の最中のようだ。


 長髪の男性が手で指し示した先には、ソラの機械があった。


 人間の人体を継ぎ接ぎして作った、ぜんまい仕掛けの人形。

 ビリビリとノイズが走って虚像が蠢いた。別の場所から映し出した立体映像らしい。


 ヒガンの苦々しい表情から推察するに、男性から取引を持ち掛けられ、ヒガンは条件を飲むか揺れているのだ。


『分かった』


 折れたのはヒガンだった。


『ソラが遺したものを返して頂戴。

 そして、今後一切あんたたちは私に、私はあんたたちの商売に干渉しない。これでいい?』


 男性はしかめつらしく頷いた。

 人形の虚像が音もなく消えた。


『では、真似人形の下に案内しよう』


 和装の男性の声は低くしゃがれていた。




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