2-6 妖精と箸置き
ソラに案内された年季の入った旅館らしき木造家屋。
畳張りの奥座敷に布団が一枚敷かれていた。座敷の
人の姿を模した、ぜんまい仕掛けの機械を台車に乗せ引いてきたソラ。
クコは旅館の外で待たせている。連れて来るよりましだと思ったからだ。
今、和室にはムカゴ、ヒガン、ソラの他にもう一人。
日陰側の障子がすっと開いて、覚束ない心地にさせる暗がりから子供が覗いていた。
例の、増えたり減ったりする不思議な子供だった。少年は一人だけで、いつになく日本人然とした顔立ちだった。
彼は「ヒガン……」と呼び、心細そうに柱に手をついた。
「ヒガン、ヒガン……」
どうにかヒガンの気を引こうとしているようだった。
少年の姿を認めたソラが「へえ」と感心の声で遮った。
ソラは少年の二の腕を乱暴に掴んで、和室に引き摺りこんだ。
「幼く拙いが声変わり前の子供の方が面白いかもしれない。経過観察ができる。用意した喉と差し替えようかな」
ソラの手を少年が嫌がって振り払った。ソラが目を吊り上げた。
ふっと緊張感のある静止が起きた。少年は怯えて逃げ腰だが、ヒガンの方をチラチラ伺っていた。
ヒガンはその視線を歯牙にもかけず、ソラに「この子を使うの?」と嫌悪感剥き出しで尋ねた。
「こんな素人の声を使うために大掛かりな仕掛けをしたんじゃないわよね? 声楽をやってた女の喉をもう盗ってきてるんでしょ? 筋が通らないんじゃない」
ソラの米神に汗が伝った。
「別に私の好みの問題で話してるわけじゃないのよ。ソラ、あんたは『どうしてもそれなりに裏付けのある声の人間が欲しい。そうしたら必ず利益が出るから』って言ったわね。私はそれを信用して、危険を承知であんたに賭けた。私の信用を裏切りたいの?」
ソラが白けたように「ああ、そうだった。勿論、今のは冗談だから……」と口の中でもごもご返答した。
この先もヒガンからの金銭的協力なしに研究は続かないという勘定はできるようで、ソラはもう顔も向けなかった。
ムカゴが瞬きをすると、子供が増えていた。女の子の姿だ。視線をやれば畳の上に子供が寝転がっていたり、隅っこで膝を抱えていたりした。
こけしみたいだ、とムカゴはぼんやり考えた。
増殖する子供から怯えながら目を逸らしたソラは「始めてくれ」と告げた。
ソラは「部品が足りないんだ。頸椎を一、二本分けてくれ」とムカゴとヒガンに頼み込んだ。
正気の沙汰ではない頼みだが、それでクコの口が元通りになるなら止むを得ないと思った。
ソラから鎮痛剤を渡されたものの、こんなものでは到底痛みを誤魔化せそうにないと判断した。
仕方なくムカゴは雨を呼び寄せた。村一帯を小糠雨が包んだ。
ヒガンの両肩を掴んで唱えた。
「お前は僕のものだ。いたみも、きょうふも、こころも、僕のものだ」
上手くいく確信はないが暗示を掛けてみた。
ふっとヒガンの肩が脱力し、倒れ込んだ。その後頭部をムカゴが支え、敷布団に横たえた。
ヒガンの目は虚ろだ。まだ正気に戻らないでくれと願いながら、「起きろ」とムカゴが指示すると、彼女は上半身を起こした。
彼女の首から下をブルーシートで覆った。彼女の髪を束ね上げて、後ろを向かせる。消毒済みの医療用メスで首の付け根を裂いて、頸椎を一つ取り出した。
「僕の真似をしろ」
ヒガンに指示すると、カクンカクンと不安定に頭を揺らした彼女は、後ろを向いて首を晒したムカゴにメスを当てた。
先程ムカゴが行ったのと同じ手順で彼女も頸椎を取り出した。
ムカゴがぐらつく頭を苦労して支えながら、頸椎の血を濯いでいると、ヒガンが布団に横倒しになった。
ムカゴは血が飛び散らないようにブルーシートを敷き直した。
彼女は眠たそうにゆっくり瞬きした。
「あっつーい」
夢心地な呟き。
「暑さじゃなくて、多分、激痛を認識できてないだけじゃないかな」
ムカゴは律儀に訂正した。
血塗れの傷口を手当てし、首を固定してやる。
その後自分の手当をしていると胡坐を掻いているムカゴのシャツの裾を、ヒガンが縋るように掴んだ。
彼女は熱に浮かされた子供のような目で、ムカゴの顔を覗こうとしていた。
ムカゴはそれが不快ではない自分に戸惑っていた。
彼女に人間臭さを見出して、それに魅かれた。ムカゴはヒガンに、彼女となら共に地獄を歩けそうな一体感を覚えていた。
ヒガンの手に応えるように真っ直ぐ見下ろしたムカゴは、――――ムカゴは昏倒していた。
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