2-4 妖精と箸置き


 ヒガンの母が眠る墓に咲き乱れるタンポポ。目に眩しい黄色が春風にそよぐ。


 ヒガンは誰もいないタンポポ畑を見下ろし、鋭く声を張った。


「うちの職場で自殺者と行方不明者が出たの。まさかあんたが攫ったんじゃないわよね?」


 ぽんっぽんっ、とヒガンの隣に背後に、子供が出現した。


 つい先日ムカゴやクコを散々連れ出していた子供たちに間違いない。ヒガンとの距離を測りかねているように上目で窺っていた。


 彼らは揃って、首を横に振った。必死に弁明するような声を上げた。


「「「見上げ入道、見越したり!」」」


 意味を介せず眉を顰めると、ヒガンの背後から男の声が咎めた。


「その子たちのせいじゃねえっスよ」


 イツキというらしいその青年が、ヒガンの職場の女性が自殺したとされる経緯を話した。


「夫が人間でないことも、自分が夫に殺される将来も、彼女は見越してたんだ。だから彼女は誰も恨まず、見上げ入道にならなかった」


 ヒガンは深く息を吐いた。

 青年の話は常識に照らせば荒唐無稽で、だからこそ嘘を吐いているように見えなかった。


「……もう恨みの連鎖は終わったってことね」


 イツキは表情の険しさを繕わず、否定した。


「それは別案件っス」


 青年の奇妙な言い回しについて考えを巡らせ、唐突にヒガンの脳裏にある男の顔が映った。




 ヒガンには高校生から関係が続いている恋人がいた。

 どうしようもない男だった。どうしようもないから今も手放せない。


 似合わない鼈甲べっこう眼鏡に、大抵草臥くたびれた白衣を引っ掛けているような、如何にも胡散臭い外見の男だ。


 男の名前はソラ。それが実名かは知らない。

 付き合い始めは、草花に水を与え、光を与える空の名は縁起が良いとすら思っていたがとんでもない。


 男は「研究費」と称してヒガンに小遣いを無心した。

 実際ソラは研究者であり、実験も成功しかかってはいたらしいが、最後の最後に頓挫した。


 ソラは「こんなはずはない」と繰り返し、失敗を重ねる程自分の仮説は正しいのだという妄執に縋った。


「研究はちゃんと進んでるんでしょうね」


 ヒガンがひとたび疑えば、ソラは躍起になってがんを飛ばした。


「お前は俺の言うことを聞いてればいいんだよ!」


 ソラはあくまで言葉でヒガンを征服したがった。

 言葉のみで人を征服できる器が、自分にはあるのだと思い込みたいが故だ。


「可哀想な人」とヒガンが皮肉を投げる度に、彼は苛立って一心不乱に言葉で逆襲した。


 そのソラの無様さがむしろ愛しくて、ヒガンの口元にはいつも笑みが浮かんだ。

 彼と言葉の応酬している間、ヒガンは酔っていた。


 ここまで本音をぶつけ合える相手。ズタズタに傷つけ合っても、共に居ようとする関係は他に得難いものだと思ったからだ。

 ヒガンはこの依存関係を尊いものと捉えていた。




 墓参りに出発する数日前、ソラから電話があった。

 長ったらしい逃げ口上を取り払えば「お金が欲しい」だった。


「今度はヒガンに俺の研究の素晴らしさを是非見せたい。協力してくれるかはそれから決めてもらっていいから」


 協力、というのは金の工面のことだ。

 ソラはいつになく本気を匂わせる言葉で、興奮気味に捲し立てた。


 彼との通話を終え、ヒガンは口の端に笑みを湛えた。


「私がいないと本当にどうしようもないんだから……」


 そう呟く自分が好きだった。


 ヒガンは有意義なものしか傍に置きたくない人間だ。

 だからソラのような、絶壁にいて辛うじてヒガンという木の根っこにしがみついているような男は特に必要だった。

 底辺の男を傍に置けばヒガンの潤いとなった。


 あの時、通話だけで満足し、ソラが無理矢理押し付けてきた研究報告書は面倒で目を通していなかった。


 ヒガンはそれをスーツケースから取り出し、最近の連続失踪事件と照らし合わせた。

 案の定、彼の計画は人間の人体を継ぎ接ぎしなければならないものだった。


 ヒガンは舌打ちをした。





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