1-7 和菓子職人とホッチキス

 ☆☆☆


 ムカゴが魔法道具店を去った後、魔法使い――森野イツキはふうっと息を吐きながら一人掛けのソファーに沈んだ。


「イツキ先輩、大丈夫ですか?」


 顔を覗きこんできたのは、イツキと同棲している恋人――ホノカだった。

 その手には、和菓子屋「阿部」の抹茶ケーキ。


 イツキが長椅子の方に移動して手招くと、ホノカは意を汲んで隣に腰を下ろした。

 屈みながら座る時、落ちてきた横髪を掬って耳に掛ける。

 その大人びた仕草に、そっか大人だもんな、と妙な感慨を抱く。


「……ホノカはさ、何でおじさんより先におばさんが狂ったんだと思う?」

 イツキはケーキを切り分けつつ、クイズを出した。


「うーん、おばさんの方がクコちゃんに心を開いていたから、ムカゴ君の魔法にてられやすかった……とか?」


 イツキは緩やかに首を振った。

「もっと単純な話だな。おばさんが和菓子の味見役だったんだよ。

 ムカゴは店で売ってる和菓子を作る時、無意識に魔法を練り込んでしまっていた。クコが自分の娘であると周囲と自分を騙す魔法だ。

 店に立って販売をするおじさんより、厨房を指揮して和菓子の味見をする機会の多かったおばさんの方が、魔法を浴びやすかったんだろうな」


 ホノカが、八等分にした抹茶ケーキをちょっと掲げた。

「じゃあ、これにも強力な魔法が掛かってるんですか?」


「うん」

 と頷きながらイツキは抹茶ケーキをフォークで掬って口に放った。「程良い甘さ……。やっぱうまっ!」


「せんぱーい。言動が一致してませんけど」


 ホノカが呆れて指摘した。イツキは拗ねたように口を尖らせた。


「俺たちが今更この程度の魔法を摂取したところで何も変わりませんって」


 これまで呪いを幾つ浴びてきたことか。

 それもそうか、とホノカは肩を竦めた。


 イツキはそれよりもムカゴの人間に化ける才能に舌を巻いていた。

 ムカゴは、クコ、クコと繰り返すばかりで、多大な恩があると語ったはずの和菓子屋夫婦のことを一かけらも気に掛けなかった。

 加えてイツキに対しても、「イツキさんは何者なんですか?」等々の問いを一度も発しない。


 やはり妖怪。真っ当な人間性は持ち合わせていないのだろう。

 それをそうであると数年も周囲に気付かせなかった。


 ムカゴにホノカを経由して渡したホッチキスは、思いの方向を固定する魔法道具だ。

 雨男は子を失えば、次の子を探して、今度こそは育てあげたいと願いながら誘拐する。だから、ムカゴの思いの向く先をクコという女の子に固定した。

 これで、雨の日に彷徨い、子供を攫うことはなくなるだろう。


 帰り際、ムカゴに促してもう一度パチンとホッチキスを押させた。

 ムカゴは不思議そうにしていたが、イツキに説明を求めたりはせずに魔法道具店を後にした。


 今度はイツキにも思いの方向を固定させたのだ。

 無論、いつかはこの縁を切り外すつもりだが、今はまだムカゴが困った時に真っ先にイツキを頼ってくれなくては心配だった。


「助けてくれ」と声を上げることを知らない者たちが、最悪に陥る前の滑り止めになって、この魔法道具店に引っ掛かってくれたらいい。

 こんなことを考えるから、最近よくホノカに「私たちは救世主にはなれないんですよ」と戒められるのだが。


「雨、止まないな」


「……天気を操作する魔法道具を作ろう、とか言い出さないで下さいね」

 言い出す前にホノカから釘を刺されてしまって、イツキは首を竦めた。




 イツキとホノカが談話している店が面する歩道にちらほら人の往来が増え始めた。

 通り掛かった老人が、黒い傘を上げてふと目を留めた。

 その店の玄関口のプレートにはありふれた法律事務所の名があった。老人はすぐに興味を無くし、雨音の中へ帰っていった。


 その店は、多くの一般の人々にはただの法律事務所だった。

 しかし時折、特別な厄介事に苛まれている客が『魔法道具店』に行き着く。

 朧げで、けれど確かにそこにある、寄る辺なき者たちの止まり木――。

 

 雨が魔法道具店の外壁に染みていた。

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