第21話:変わった六花

 日が暮れ始めたころ、俺達は解散して各々帰路につく。完全に夜になる前には俺も家に到着し玄関のドアを開けると、ちょうど六花がリビングに入ろうとしていた姿が見えた。


「ただいま六花」

「あ、お帰りなさい、春お兄ちゃん」


 六花も俺に気付いて笑顔で迎えてくれる。


「その様子だと、特に問題は無かったかな」

「うん、大丈夫だよ。何か飲む? 用意しておくよ」

「ああ、じゃあお願いするよ。着替えてから行くから」

「はーい」


 そう言い残し自室に入り着替える中、ふと思った。


「なんだかずいぶん立派になったというか、成長したというか……」


 まだ小学生四年生であることは忘れたわけじゃないが、それでもそう思えるくらいにはいろんなことが出来るようになってきたし、自分のやりたいことをやるようになった。流石にまだ人見知りは治る気配はないが、亜美ちゃんや千里ちゃんを始めとした友達とは難なく会話出来ているみたいだし。


「……ま、後は欲を言えば、もう少しだけわがままを言ってもいいとは思うんだけどね」


 立派になったと言っても六花はまだ小学生。本当だったらまだまだ親に甘えたい時期だろう。特に六花の場合は、今までそれが一度も出来なかったのだから。


「とはいえ、急にやれって言われて出来るものでもないしな」


 ――――あるいは俺ではなく、母さんがここに居たなら、もっと六花も甘えられただろうか。


「……って、母さんに限ってそれはないか」


 もし母さんが自分に甘えさせることが出来る人なら、俺が小さかったころにとっくにやってるだろうし。そしてその母さんが俺に六花を託したなら、それはやはり俺の役目なのだろう。


 ……しかしどうやって?


 その方法を考えていた時、扉をノックする音が聞こえた。


「……ん、六花?」

「春お兄ちゃん、入っていい?」

「ああ、どうぞ」


 六花はそっと扉を開けて中に入ってきた。その手には二つのマグカップがあった。


 ……ってあれ、なんか六花の頬がちょっとだけ膨らんでるような。


 片方のマグカップを受け取ってから、聞いてみることに。


「持ってきてくれたのか。そっちに行こうと思ってたんだけど」

「うん、けど春お兄ちゃん全然来ないから」

「え? そんなに時間経ってないと思うけど」

「……もう10分は経ってるよ」

「……マジか。ごめん、ちょっと考え事してたから、感覚がおかしくなってたかも」


 時計を見ると、確かにそのくらいは経ってる気がした。六花が頬を膨らませていた理由が分かった。


「考え事?」

「まぁ、色々とね……あれ、二つ持ってきたってことは……」


 そこまで言うと、六花は少し顔を赤くし、両手でマグカップを持って上目遣いで見上げた。


「その……ここでお話しても、いい?」

「いいよ」


 即答だった。


 いやだって可愛すぎない? これで断る人なんているのだろうか、いやいない。ていうかいたら俺がぶん殴ってやりたい。


 ……ではなく。


 少し前に考えていたことは、おそらく俺の取り越し苦労なのかもしれない。なぜなら今の六花は、俺の返事を聞いてとても嬉しそうにしているから。

 多分六花にとってはわがまま……とはちょっと違う気がするけど、こういうお願い事が六花なりの甘え方なのだろう。


「さて、何の話をしようか」

「ん~……あ、じゃぁ今日の生徒会のこと聞かせて欲しいな」

「お、いいぞ。……ああそうだ。昨日話したすみれ先生の事なんだけど……」


 こういうことがもっと増えていければ、おそらく六花はもう大丈夫だという証になるかもしれない。


「(なら、俺ももっと頑張らないとね)」

「……? どうしたの?」

「いや、何でもない。それでさ、結局新藤がね……」


 その後も話を再開するが、なんだかんだ結局またすみれ先生の話が中心になってしまったのだった。……すみません、すみれ先生。



「……ところで、明日は休みだけど何か予定はある?」

「ううん、特にないけど……春お兄ちゃんは?」

「俺も特に無いから、どうしようか考えてたんだ」

「ん~……お出かけする? あ、前に届いたお土産、まだ全部は片付いてないよね」

「そうだな~、一先ずそれ片付けるか……ん?」


 どうしようかと二人で考えていると、電話の鳴り響く音が聞こえてきた。


「っと、ちょっと出てくるね」

「じゃぁ私もリビング戻るよ」


 この時間に掛けてくる人となると、思い当たるのは一人しかいないが……。そう思いながら固定電話に表記されている名前を見ると、やはり母さんだった。


「もしもし、母さん?」

「あ、春? 久しぶりね、元気だった?」

「俺も六花も元気だけど、久しぶりっていうほど久しぶりでもないでしょ」

「そうだったかしら……最近忙しいから感覚がおかしくなってるのかも」

「……母さんこそ大丈夫なの?」

「ま、割といつもの事だし、何とかなるわよ」


 ……毎度思うのだが、母さんの会社って結構ブラックなのでは?


「まぁそれはいいとして。前に届けたお土産、何か気に入ったものはあったかしら」

「ああうん。特に六花はいくつか気に入ってたみたいだよ」

「そう、なら良かったわ。あなたはともかく、六花が何が好きなのかは分からなかったから、とにかく目についた物を送ろうかと思ってね」

「……だからあんなに大量だったわけ。てか、未だに片付いてないのがあるんだけど」

「あらそうなの? 要らない物があれば売るなり捨てるなりしていいわよ?」

「まぁほんとに邪魔になるようなら考えるけどさ……それより、何か用があって電話したんじゃないの?」


 そう聞くと、「そうだった」と思い出したかのように言った。


「来週の金曜日の夜にそっちに帰るから。と言っても次の日の夜にはまたアメリカに戻るんだけど」

「あ、そうなの? ずいぶん短いんだね」

「ええ、仕事の取引がそっちで行われるから、そのためだけに行くことになったのよ」

「大変だなぁ……とりあえず分かったよ六花にも伝えておく」

「あ、いいわよ。それより六花と変わってくれる? ちょっと話したいことがあるの」

「分かった、ちょっと待ってて」


「ええ」という母さんの返事を聞いてから、リビングに向かいソファに座って寛いでいる六花に声を掛ける。


「六花、母さんから変わってくれって」

「はーい」


 六花が受話器を取って会話を始めるのを見たあと、今度は俺がソファに座って二人の会話が終わるのを待つことに。


 ……六花はまだそんなに母さんと話したことは無いと思うけど、かすかに聞こえてくる話し声からは、明るさがあるように感じる。この分なら、来週直接会っても問題なさそうだな。


 母さんが帰ってくると聞いて、唯一心配だったのはそこだけど。どうやらこれも杞憂だったようだ。


「ちょっと心配しすぎなのかな、俺」


 今更だし当たり前だけど、兄という立場も、親という立場も一度も経験が無いから色々不安だし、どうしても過保護になってしまいがちだ。世の親たちもこんな感じなのだろうか。誰かからそういった話を聞ければいいんだけど……。


「あ、そうだ。真奈美さんと千雨さんなら聞けるかも」


 連絡先は聞いてないけど、六花経由でコンタクトを取れれば話せる機会を作れるかもしれない。それにあの二人なら俺なんかより親としての経験は豊富なはずだしな。

 今度六花にそれとなく頼んでみよう。


「春お兄ちゃん、夏美さんが変わってだって」

「ん、ああ」


 母さんとの会話が終了した六花が、リビングに戻って俺を呼び出す。急いで受話器を取って再び母さんと会話を始めた。


「もしもし。もういいの?」

「ええ、後は来週にってことにしたわ。……それにしても、六花ずいぶん変わったわね。あんなに明るく話が出来るようになってたなんて、驚いたわ」

「そうだね。学校でもちゃんと友達も出来たし」

「それも六花から聞いたわ。……私が言える立場じゃないけど、ちゃんと父親やってるのね。安心したわ」

「まあ不安だらけの中、だけどね」

「そう……そうね。何にしても、来週会うのが楽しみになってきたわ」

「そういえば、夜はご飯どうするの? 作っておこうか?」

「ええ、お願いするわ。ふふっ……春の料理も楽しみにしておくわね」

「はいはい。それじゃあそろそろ切るよ。もうこっちの時間も遅いし」

「ええ、おやすみ、春」

「おやすみ」


 そう言って電話を切りリビングに戻ると、六花も俺に気付いてこちらを向いた。


「春お兄ちゃん、来週楽しみだね」

「……ん、そうだな。晩御飯は家で食べるみたいだから、今のうちに何作ろうか考えておこうか」

「うん!」

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