第9話:日記
お風呂を済ませてリビングに行くと、六花が何やらノートと睨めっこをしていた。
「あれ、何やってるの?」
「あ、春お兄ちゃん。あのね、今日から日記を書こうと思って」
「日記? …どうしてまた」
「四月一日家に来てまだ間もないけど、色んなことがあったし、色んなことを感じたから。それを忘れない様にしたいなって思ったの」
「なるほどね」
少し楽しそうに見えるその表情に、俺は微笑む。
今こうして改めて見ると、六花は来たばかりの頃に比べて大分明るく、前向きになってきたと思う。家事の手伝いも、何かを買ってもらう代わりにとか、そういう対価みたいな感じではなく、ただ自分がやりたいからという理由でやるようになったし。
(少なくとも今は、良い傾向にあるんだろうな)
「それならさ、ちゃんした日記帳に書いたらどうかな」
「日記帳に?」
「うん。なんかこう、書くぞっていう気持ちになりそうだし」
「う~ん、そうだね。それがいいかも」
「じゃあ明日買いに行こうか。ちょうど休みだし」
「うん!」
「ふふっ。じゃあ今日は早く寝ようか」
「はーい」
明日の予定を決めて、俺達はそれぞれの部屋に入り、就寝した。
―――翌日。
俺達はついでに夕飯の買い物もするため、少し大きめのデパートまで来ていた。
「…いっぱいお店がある」
「デパートはそういうとこだからね。アメリカには無かったの?」
「……行ったことなかったから、わからない」
「あ……ごめん」
「ううん、平気。それより、早く行こ?」
そう言って六花は前を歩いていく。どうやらほんとに気にしてなさそうだが。
(馬鹿か俺は。六花の事情は知ってるのに)
自分の軽率な質問に嫌気がさす。
「春お兄ちゃん、どうかしたの」
「ん、いや、何でもないよ。行こうか」
「うん」
とりあえず考えるのは止そう。せっかく買い物に来たんだし、六花も楽しそうにしているからな。
その後一先ず文房具店に入って、目当ての日記帳を探す。
「どれが良いかな」
「六花も女の子だし、やっぱり可愛いデザインのがいいんじゃない?」
「うん………ん~」
とは言ったものの、結構な種類があるし、どれも可愛らしいデザインだから、これは俺だったら迷うかな。
六花はどうだろうか。いつもの如くスパッと決めるんだろうか。
そう思って六花を見ると、意外にも結構悩んでいるようだった。
「珍しく悩んでるね」
「う~ん、どれも可愛いから……それに」
「それに?」
「大切な思い出を書くものだから、ちゃんと選びたいの」
「……、そっか」
大切な思い出…か。そう思ってくれてるなら、本当に良かった。
俺がそこに入ってるかは聞かないでおこう。…それで入ってないとか、少しでも迷うようなら、絶対へこむから。立ち直れない自信しかない。
「……ん~。ん、決めた。これにする」
「お、いいの?」
「うん。これが一番可愛い」
「そっか」
どうやらお気に入りを見つけたみたいで、買った後も大事そうに袋ごと胸に抱えていた。
嬉しそうで何よりだ。
「よし、それじゃ後は夕飯の買い物だけ済ませて、帰りますか」
「うん」
食品コーナーへ行き、買い物をさっさと済ませて、俺達は帰宅した。
夕飯まではまだ時間があるため、六花は早速日記に今日までの出来事などを書くことにしたようだ。
……ダメもとで書いたら見せてと頼んでみたけど、案の定ダメだった。
俺は諦めて軽く掃除をすることにした。
―――私は部屋に戻って、早速日記に今日までの出来事を書いていく。
まずは四月一日家に来た日。
その日は不安と恐怖で一杯だった。両親に捨てられて間もなかったし、春お兄ちゃんの事はほとんど聞かされてなかった。ただここに着いたら春がどうにかしてくれる、とだけ伝えられ、一人で向かった。
最初は春お兄ちゃんを直視出来なかった。私を要らないと言った人達の顔を思い出してしまうから。
でも春お兄ちゃんは最初から、とても優しくて、柔らかい声で私に話しかけてくれた。
ここに居ていいと、家族なのだからと。そう言ってくれた。
私はまだ抵抗というか、受け入れてもいいのか迷っていたけど、でも何となく嬉しかったのだと思う。
次の日は色んな手続きとお買い物をするためにお出かけした。
春お兄ちゃんは役所で四苦八苦しながらも、私のために頑張ってくれた。
お買い物では私の家具や日用品などを買ってくれたけど、私は本当に買って貰っていいものか分からなかった。でも春お兄ちゃんは家族に遠慮なんてしなくていいんだよと言ってくれた。
結果として私が家事を手伝う代わりに、ということになったけど。
私はこの時も、嬉しかったのだと思う。
初登校日。
色んな不安で一杯だったし、いざ自己紹介するときは緊張していたけど。
亜美ちゃんと千里ちゃんがすぐに話しかけてくれた。とても優しい子たちで、意外と私もすんなり受け入れることが出来た。同級生だからこそ、というのもあったのだろう。
亜美ちゃん、千里ちゃんと話していて、春お兄ちゃんのこと全然知らないことに遅まきながら気づいた。
だからその日の夜は、春お兄ちゃんの部屋に行ってたくさんお話を聞いた。
春お兄ちゃんは子供の頃から一人で暮らしてきたと言う。凄いと思いつつも、辛かったんじゃないかとも思った。
けど春お兄ちゃんは子供の頃から大人だった。私には出来そうにないと思ったけど、春お兄ちゃんは私は一人じゃないから、俺はずっと家族でいるから、焦っちゃダメだと言ってくれた。
次の日、その時の話をしたら、亜美ちゃんと千里ちゃんは話を聞けて良かったねと、喜んでくれた。私もそう思う。
学校が終わって帰宅した。
多分初めて家族がいる家に「ただいま」を言った日だった。
「ただいま」というと、春お兄ちゃんはいつもの優しい声と表情で「おかえり」と言ってくれた。
私は幸せ者だと感じた。
次の日の夜。
春お兄ちゃんから“すみれ先生”のお話を聞いた。なんでも面談だというのに先生の愚痴ばかりを聞かされたのだとか…。そんな先生がいるんだと驚きつつも、本当に先生なのか疑ってしまった。
春お兄ちゃんも最後はそうだと言い切ることは出来なかったみたい。
でも楽しそうな学校生活を送れているなら、私も嬉しい。
そして今日。
この日記帳を買った。ついでに春お兄ちゃんと一緒に買い物もした。
既に春お兄ちゃんとは何度も買い物に行ってるけど、毎回楽しいと感じる。
春お兄ちゃんが一緒だからかな。
(………あれ。私、いつの間にか、春お兄ちゃんと一緒に居るのが楽しいと思ってる)
そこまで書いてふとそのことに気付いた。
そっか。私はもう春お兄ちゃんを受け入れてて、一緒に居るのが楽しくて、幸せで。
私は日記帳をめくって空白のページを見つめる。
「これからが凄く楽しみになってきた」
この先のページにはそんなことを書くんだろうと、まだわからない未来を想像した。
―――料理の準備をしようと冷蔵庫の中を漁っていると、携帯の着信が鳴り響く。
「………また夜に掛かってきたし」
一体何のだろうか。みんな実は示し合わせてるんじゃないだろうな。
そんなありもしないことを考えながら携帯を取ると、母さんの番号だった。
「もしもし、母さん?」
「久しぶりね、春。元気にやってるかしら」
「おかげさまで。何の用だよ」
「実の母相手に冷たいわね。まあいいけど。六花とはうまくやれてるのかしら」
「まあ、何とか」
「そう。学校は? もう決めたのでしょう?」
「ああ。俺の通う高校の近く、ゆきみ小学校ってところ。六花が気に入ったみたいでな。早速友達も出来たみたいだし」
「あらそう。良かったわ」
「んで、聞きたいのはそれだけ?」
「ええ。一応でも六花の保護者だもの。気になるじゃない」
「…そう思うなら帰ってくればいいのに」
「無理よ。忙しいのは知ってるでしょ」
「そうだけどさ」
俺は若干呆れたが、母さんはお構いなしに話を続ける。
「あんたの方はどうなのよ」
「俺? 特になんも無いが」
「なんも無いってことは無いでしょ。学校の事とか、それこそあんたは六花をどう思ってるのよ」
「学校は特に変わりないし、六花は家族だと思ってるよ」
「そう。なら良いのよ。…ああ、そうそう。今度の仕送り、ちょっと期待してていいわよ」
何やら楽し気にそう言った母さんに、俺は聞き返す。
「期待って?」
「ふふっ。それは届いてからのお楽しみってことで」
「……何だよそれ。気になるだろ」
「ダメよ。今言ったらお楽しみじゃくなるじゃない」
「なんだそりゃ」
「まあとにかく、来月頭には届くはずだから、六花と一緒に確認して頂戴。それじゃ」
母さんは電話を切った。俺はしばらく携帯を見つめながら呟く。
「……ほんと、気まぐれすぎる」
今に始まったことではないけどさ。
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