第1話 可愛い私の子

「具合はいかが?」

「だ、大丈夫、です……」


この子は、柔らかさのある純黒の髪に宝石のように輝く翠眼、病人らしい青白い肌をしている。

彼を引き取って10日ほど経っただろうか。

昼前には様子を診るのが日課になったが、この返事は引き取ったその日から変わらない。

小さな声で呟き、赤らんだ顔を俯いて隠す。

少し長い前髪を指で分け、手の甲で額に触れるが、高熱があるという訳では無い。


長年、仲間や人間を診てきたつもりだが、何が悪いのか今のところ分からないままだ。

どんな理由で教会に捨てられたのかは分からないが、人間特有の我儘で傲慢なものなのだろう。


「アル、今日はお留守番を頼みたいのだけれど、大丈夫かしら?」

「は、はい、大丈夫です……」

「どこの部屋も、自由に入って構わないわ。ダイニングにパンと冷やした紅茶を置いておくから、お腹が空いたらお食べなさい」

「ぇ、えっと、はい……」

「日が落ちる前には必ず戻るわ。いい子にしているのよ」

「……はい」


私はアルの頭を優しく撫で、用意していた荷物を持って部屋から出る。

背を向けた後に視線を感じたが、あえて私は立ち止まらなかった。


今日はあの教会に戻り、彼の病について聞き出そうと思っている。

私が見ている時は我慢しているのか、痛みや苦しみを訴える事がない。

問診のつもりで具合はどうかと聞いてみてはいるが、いつも「大丈夫」と言うだけだ。


隣国の道の途中、親しくしている魔女が箒に乗って向かってくるのが見えた。

向こうも私に気付いたのか、目が合った瞬間にニッコリ笑って手を振り始める。


「先生! ステラ先生! ごきげんよう!」

「ご機嫌ようマリス。箒から手を放してはダメよ」


私がそう言った瞬間に彼女は体勢を崩し、無言で地面に落ちて尻もちを着いた。

彼女の名前はマリス・テンペスタース。

1人前にはなっているが、天性のドジっ子なのか今でもこうして箒から落ちる。


「悲鳴を上げなくなったのは進歩なのかしら?」

「えへへ……あいたたた……」


マリスはヨロヨロと立ち上がり、服に着いた土埃を払って恥ずかしそうに顔を赤くした。

地面に落ちた箒を拾い上げ、壊れてないか隅々まで確認している。


「先生、今日もお隣の国に行くんですか?」

「えぇ。最近子供を拾ったのだけれど、具合が悪そうで。でもなんの病なのか分からないの」

「えっ! 先生でも分からない病気があるんですか!? ていうか子供を拾った!? ぇえー!?」


私にどんな印象を持っているのだろうか、マリスは見たことないくらいに驚いている。

普段からリアクリョンは大きいが、私はそんなにも完璧で冷たい魔女に見えているのだろうか。


「なにか文句でもおあり?」

「だって先生、生き物はすぐ死んじゃうから飼わないって言ってたじゃないですか?」

「そんなこと言ったかしら。でも人間の寿命は他の生き物に比べて長い方よ」

「でも病気なんですよね? すぐ死んじゃうかもしれませんよ?」

「…………」


私は話を終わりにしようと歩き始めたが、私が子供を拾ったのがそんなにも気になるのかマリスは箒に乗って私の少し後ろを付いてきた。

……残念ながら、私は箒に乗る能力は持っていない。


「先生、人間の子供が家にいるって、どんな感じなんですか?」

「いつもと変わらないわ。大人しくていい子なの」

「どこで拾ったんですか? 人間の子供なんて。親御さんは?」

「教会に捨てられていた。神父に譲ってもらったのよ」

「そんな簡単に子供を捨てるって、人間のする事とは思えないですね?」

「……人間にとって、難病らしいわ」

「自分の子供が重い病気だったら、私は最後の瞬間までずっと傍にいるのになぁ……」


マリスの質問攻めを受けているうちに街並みは移ろい、森の中にある魔女の村から人の賑わう人間の都市になっていた。

彼を引き取った教会はもう目の前にある。


「マリス、ここからは着いてこられると困るわ」

「えー……私も聞きたいです」

「困ると言ってるでしょ。ここに少し金貨があるから、土産でも買って村に帰りなさい」

「はーい……」


私は財布から金貨を数枚ほどマリスに渡して追い返し、教会の重厚な扉を開けて中に入った。


ミサの最中か、人が集まっていた。

長椅子には隙間が無いほど人間が並んで座っている。

パイプオルガンの音が響き、何人かの子供が同じ服を着て歌っていた。

私が引き取っていなかったら、彼は今日、ここで歌っていたのだろうか。


私の姿に気付いたのか、あの時の神父は怯えた顔をした。

周りに気付かれないようにゆっくりと壁際を歩き、私の目の前で立ち止まる。


「……貴女がアルバードと名付けた少年は、元気にしておりますか」

「えぇ、非常に利口よ。何も問題無いわ」

「左様で御座いますか、それは良かったです」

「面倒だから単刀直入に聞くわ。あの子は何の病に侵されているのかしら」


神父はバツが悪そうに表情を歪め、私に背を向けてステンドグラスの中を数歩歩いた。


「彼の服の下を、まだ見ていらっしゃらないのですね」

「服の下……?」


色鮮やかなガラスの光の中で、振り向くように体の向きを変える。

だが私の方へは向かず、歌い続ける子供たちを優しそうな目で見詰めた。


「どのような書物にも見たことがありません。医師も手を尽くしましたが癒すことができず、彼のご両親は悪魔の呪いだと恐れてこちらに連れてこられたのです」


そう語る神父の横顔は、清々しささえあった。

私はこの横顔に、諦めと開き直りさえ見出している。

あの子の病を治すことを諦め、自然のなるままにしておくつもりだったのだろう。

どうせ、人間は困った時は神に頼るのだ、などと考えて優越感に浸っているに違いない。


「……へぇ、悪魔の呪いですって? それはとっても面白いわね」


私がおかしな事でも言い出したと思ったのだろう。

神父は振り向き、不謹慎だと言いたげに顔を歪める。

私が言葉通り面白がっているように見えているに違いない。

私はその様子が可笑しくて、笑みを堪えずに感情のまま表情に浮かべた。


「私にとったら貴方が悪魔よ。貴方に預けられたあの子が憐れでならないわ」

「……奇遇ですね、同じことを考えておりました」

「あら、私たち気が合いそうね。ふふ……」


ここは教会なのだ。

悪魔の所業だと信じている以上、両親が願っているのは神の力であの子が救われること。

そう願っている両親を脇目に、この神父は何もしないつもりだ。

時に任せ、自然に死ぬまで放っておく。

神に対しても、彼の両親に対しても、冒涜的だ。


「彼のご両親に、言いたければ言えばいいわ。『あの子は悪魔に攫われた』とね」

「えぇ、そうお伝えするのがよろしいのかも知れませんね。この世のものとは思えぬ恐ろしい悪魔に、強引に連れ去られたと」

「お好きになさい。あの子はもう、私のものよ」


私はそう言い捨て、背を向けて教会から立ち去ることにした。

神は信じてはいないが、あんな愚かな神父に祈られるのは憐れでならない。


どこかをふらついているマリスを探そうと街の中を歩いてみたが、露店にも商店街にも見当たらなかった。

あの子への土産に美味しそうな菓子をいくつか買い、早く届けてあげようと家路を急いだ。

あの子には日が落ちる前と伝えたが、それはあの神父から病の事や人間が行う治療法や薬の話を詳しく聞いた場合の話だった。

ろくな事を聞き出せなかった今、まだ日は高く暖かい。


まだ連れてきてから、ゆっくり話す時間を作っていなかった。

色々と話したいことがある。

聞きたいことが、たくさんある。


「アル、戻ったわよ……アル?」


村に戻り家に帰ったが、入口のドアがほんの少し開いている。

中に入って荷物を下ろし、部屋を見渡したが特に変わっている所は無い。

テーブルに置いたパンと紅茶がほんの少しだけ減っているくらいだ。

彼の姿を探したが、気配すら残っていない。


「アル……、アル!!」


私は部屋の物置や棚の中まで確認した後、中途半端に開いたままになっている入口のドアを振り返った。


まさか、外に出ていってしまったのだろうか。

私の庭には薬草として様々な植物が植えられている。

ほとんど無害な植物だが、触れるだけで害のある物もある。

私の庭だけではない、近くの森にだって猛毒な植物が群生している場所があるのだ。

小さな子供が独りで出歩ける場所ではない。

私は外へと飛び出し、自分の庭園を確認した後、森の薬草が生えている場所へと走った。


しかし、私が知る全てのその場所に、彼の姿は見つけられなかった。

やるせない気持ちのまま、日が暮れかかった薄暗い森の中を足取りも重く家路につく。


動物もそうだが、人間の子供も敏感だと聞いている。

もしかしたら、私が悪魔のように恐ろしい存在だと気付き、逃げ出したのかもしれない。

確かに彼は私に対して恐れているような態度だ、いつも俯きがちであまり目を合わせようとしない。

目を合わせたのは、引き取ったあの日のあの時だけだ。


いまさら誰に恐れられようと構わないつもりだった。

だが、たった1人の少年に恐られるだけで、どうしてこんなにも気分が落ち込むのだろうか。


「……あ、!」

「アル……?」


夕暮れの淡い世界、私の家の前に彼は立っていた。

まるで私が帰ってくるのを待っていたかのように……、


「お、おか、おかえりなさい……!」


少年は両手を後ろに組み、いつも通り顔を真っ赤にして、いつもよりも大きな声でそう言った。


「……ただいま、アル」

「え、えっと、……」


私は彼の前に歩み寄り、膝を着いて彼を見上げた。

いつもよりも顔が赤い、もしかしたら熱が出ているのかもしれない。


「こ、これ、……」


少年は後ろに回していた手を、私との間に差し出した。

そこには紐か何かでまとめられた、色鮮やかな花々があった。

彼にとって一抱えもする、大きな花束だ。


「これ、私に……?」

「……う、うん」

「作ってくれたの……?」

「うん……」

「……っ」


私は言葉に詰まり、何も言えなかった。

誰かにこんな贈り物を貰ったのは、もうずっと前の事だ。

私は花束ごと、アルを抱き締める。

その瞬間、甘い香りに包まれたような気分だった。


「え、えっと……!」

「ダメでしょ、家から、出ていいとは……言わなかった、でしょ?」

「ご、ごめんなさい……」

「この辺りはね、、綺麗なお花も多いけど、毒がある、草も多いの……。危ないから、勝手に……出歩いちゃ、ダメなのよ……」

「……な、泣いてるの?」

「…………」


ゆっくりと手を離し、私は彼の前に座り直し手で顔を覆った。

子供というのは厄介だ、こういうことを簡単に察してくる。


「あのね、ぼく、お花が好きなんだ。だから、よろこんでもらえると、思ったんだ……」

「……」

「泣かないで……ごめんなさい」


私は顔を拭ってからアルを見詰めた。

顔の赤みが引き、今にも泣きそうに潤んだ緑の瞳が夕陽でキラキラと輝いている。


「……ありがとう、アル。とっても嬉しい。花束なんて、もう何年も貰ってなかったもの」

「…………」

「私の好きな花を教えるわ。それを使って、また花束を作ってくれる?」

「……う、うん」

「でも、もう勝手に居なくなっちゃダメよ。私、とっても心配になったわ。約束してくれる?」

「うん、もうかってにいかないよ。心配かけて、ごめんなさい……」


アルは小指を立てて私に差し出した。

確か、人間の子供が約束を交わす時に、小指同士を合わせるという儀式をすると聞いた事がある。

私も小指を立て、アルの小指の先とを触れ合わせた。


「……ゆ、ゆびきり、だよ?」

「知ってるわ、ふふ」


アルは不思議そうに首を傾げたが、不安そうな顔では無くなっていた。

私は彼の手に握られた花束へ視線を落とす。

作ってくれた花束は、1番上等な花瓶に入れて、しばらく目立つ所に飾っておこう。

その後は、ドライフラワーにして保存しよう。

押し花にしておくのもいいし、オイルに浸けて保存するのもいいかもしれない。


「……へへ。ぼくも、うれしいな」


小さく零れた笑みに顔を上げたら、アルは嬉しそうな笑みを満面に浮かべていた。

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