彼女の傷①

 恐らく私は、目を離したら死ぬと思われている。

 外界に繋がる扉や危険物の戸棚には錠前が備えられ、刃物や縄といった類は徹底的に隠されている。私の刀も見当たらない。幼児か徘徊人間を相手にする感覚の軟禁だ。

 仕事には暇が出された。手紙の筆跡は師匠で間違いないし、そも私を絞め落とした張本人なので受け容れた。だが復帰要項が書かれていない。

「マキさん、私は何をしたらいいですか」

 私を此処まで連れてきた家主に尋ねた。彼は首を横に振った。

 ここは何処かと考えながら、歩ける範囲で見知らぬ家を散策した。彼が時おり様子を見に来て、ただの探索だと確認しては戻っていく。

 気が向いた折に、複製していた鍵と針金で片っ端から解錠して外に出た。高所に登り周辺を偵察したところ、やっと此処が中央であると判明した。ついでに家主もすっ飛んできた。散歩目的だと供述したら暫く付き合ってくれた。

 錠前はすべて取り払われ、代わりに報連相の徹底を約束した。

「死にませんよ」

 言い過ぎると薄まることも解るのでたまにしか念押しできない。彼は「そうか」と微笑んで、私を膝に招いて読書を始める。腕が全く外れない。せめて取り合え。


 死ぬわけないだろう。死体は生産性が無い。

 いつ死んでもいいよう身辺整理はしているが、費用対効果コスパの悪い選択をする気は無かった。働き続ける限り価値が生み出せるのだからそうする。死んだら何も出来なくなるから自殺はしない。何故それが伝わらない。

 説明を試みても反応は芳しくない。私の言葉が解りづらいか尋ねると「理屈は分かった」と言われる。言いながら離してもらえなくなったので改善点の指摘を要求した。のに、明確な返答が無い。よほど引っぱたこうかと思ったが居候の自覚もあり慎んだ。


 マキさんは毎夜、彼と私の二人分、珈琲を淹れてくれる。

 彼の淹れる珈琲は美味しい。幼い時分、あの屋根裏で教えて貰って以来気にかけて飲むようになったのだけれど、あの夜に貰った珈琲を上回る品には出会えていなかった。

 美味しいので飲みたい。飲まない理由も無いので全て飲む。満足する。

 すると徐々に意識が保っていられなくなる。何もわからなくなり、一瞬で朝になる。

――深い睡眠は避けるべきことだ。

 異変があれば動けるように。襲撃や野盗、深夜の密談や事態急変に対応できるよう。休息は浅く、常に緊張の糸を張っておく。これは任務中の師匠が同様に努める心得である。

 師匠は定期的に休息をとるため、サク殿や私を酒で釣って呼出し眠り込む。番犬の役目は双方解っているし、餌が無くたって居るのにと話しながら料理をこしらえるのが常である。

 修得まで何度寝込みをぶん殴られたか解らないが、「起きていられる」ことは楽だ。

 任務における禁忌は失神ならびに行動不能、そして深い睡眠――起きていることが一番安心だと学んだ私には、日頃の生活にまで習慣が染み付いていた。なのに。

 避けるべきことを避けようと構えているのに、完全に意識を落としてしまう。

「……この珈琲、何かしてますか?」

 薬を仕込む様子もなく、風味も異変なく美味。問題は飲み終えた後なのでまだ大丈夫。

 今日こそ寝ないと警戒しながら窺った彼は、稚児でも眺めるみたいに笑う。

「手品だ」

 そしてまた、柔らかい寝台の上で目を覚ます。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る