怪物は覚悟を決める
「そこのお前、琥珀に惚れてるとかいうゲテモノ食いだったりする?」
無数の秋波に粘着されながら着いた娼館で、初対面の男に誹謗中傷を浴びせられた。
彼女の師匠を名乗った男は、娼館の人間に翡翠という名を出して俺を手招いた。
男の意図はどうあれ、助けられた。
俺を先導しながら男が尋ねる。
「『琥珀の旦那』で通してるからクソ迷惑なんだけど、あいつの性別ばらした?」
「話していない。弟子を心配して来たのか?」
「別に。琥珀に用あるなら師匠の僕に話通せって再三言ってんのにコレだから、取り次いだ無能の名前と弁解を聞きに来てやっただけ」
不機嫌な声は尖っているが、黒髪碧眼の端正な顔立ちは甘い。幾らでも女を転がせそうだが、粧の匂いに
「最近あいつに人間のお勉強させてんの、お前でしょ」
何の話だと問うと「どう思うか。好きか嫌いか。喜怒哀楽」――最近の俺が、しきりと彼女に尋ねていることだ。
「迷惑か」止められたとて続けるが。
男は俺を眺めた。態とらしく目を細める。
目当ての間の襖で足音をひそめ、淡白な声で零す。
「教えきれる自信あるならまだしも、触んないほうがマシだと思うけど」
そのように話した師匠は弟子の首を蹴りで狙い、徒手空拳のまま乱闘をはじめた。
「こんばんは師匠。癇癪ですか」「馬鹿かよ。面倒くせえことしてくれたよね」「部屋の損害は師匠持ちですよ」「もう何でもいいから避けんな」「翡翠殿と約束があるので困ります。殴られると分かって逃げない馬鹿でもありませんで」――彼女が体格の小柄を生かし紙一重で避け続けている。固められれば関節を外し、受けるなら急所からずらす。勢いを殺し失神を避ける。身軽に柔く受け流す動きは回避特化ですばしこい。
『どうにかして絞め落とすから、あれ持って帰ってくれない』
俺にそう言った男が忌々しげに舌打ちして、腰に帯びた刀へ触れる。
「っあんた何してんだ! 止めろ!!」
見かねた座長が男の前に立ち塞がり、それでも躊躇しない師から座長を庇った弟子が鳩尾を殴られた。以降は師の攻勢が続き、脱力した小さな身体はぷらんと揺れた。
「もういいだろ。やり過ぎだ」
野良猫同然に持ち上げられた彼女を下ろす。仕事着ゆえ防具を仕込んでいるのか、彼女の身体は前に抱えた時よりずっと重くて硬い。
男の目は慈悲なく、至極冷静に弟子の状態を見極めている。
「それ、まだ動くよ。しっかり落としてやる為なんだから感謝して欲しいくらいだけど」
「もう寝てる。だからやめろ」
密かに術式を使い強制的に意識を落とした。
男が彼女の呼吸を確認し怪訝な顔をしたが、痛め付ける必要が無いことは解ったらしい。
「琥珀にしばらく暇だすから、仕事に支障出ないとこまで戻して」
「、……やっぱり、かなり不味いのか」
「……いや。逆に聞きたいけど、あれだけ盛大な自傷やらかして大丈夫に見えんの」
見えない。ただ、戦闘の立ち回りや判断力が全く曇りなかったから迷った。狩られる側の
頭上から、男の戸惑う声が聞こえた。
「よりにもよってこれ? どこがいいの」
「……もう、何とも思ってなかった頃の方がよく分からない」
「……ゲテモノが変態引っ掛けてら」
「どちらか知らないが断じて違う」
「変態だろ。年端もいかねえガキに目の色変えんな気持ち悪い」
「変えていないし手も出してない」
「前にうまいこと乗せられて未遂までいったの絶対お前だろ」
「……あんた達は、相良ちゃんに酷いことする訳じゃないんだな?」
酷いこと、というか。絞め落とした後なのだが――相良に庇われた後から動けなくなっていた座長がやっとの様子で声を出し、身を縮めたまま頭を下げた。
「……本当に申し訳なかった。知らなかったとはいえ、俺が追い詰めました。また日を改めさせていただけますか」
「話なら僕が代理人で引き取るから続けて。元から僕が出向く順序のとこに手違い起きただけだから。その代わり、馬鹿が気付いてないあんたの不快なとこも全部言うけど」
「、……謹んで受け取ります。お願いします…………」
「とりあえず、あんたの話は徹頭徹尾『君を兄貴の肥やしにしたいから全部捨ててくれ』としか聞こえないし『和泉の歌』を補完する為の『君』だし、お前誰と話してんのってくらい兄貴主体で話されんの死ぬほど気分悪かった」
座長を見下ろして立ち塞がる男の髪に灯りが透け、窓から流れる風に舞う。
黒髪が赤を帯びて金糸に見えた瞬間。男に覚える既視感に気付いた。
「……もしかしてお前、棗の三男じゃないのか」
男が振り向く。俺を見て、表情の抜け落ちた唇から地獄のような声が出た。
「……なに。お前の幼女性癖、
「鎮静の協力に感謝する。失礼した」
月明かりの下を歩いていった。
背負った彼女の身体の重さを、生きていてくれる証のように噛み締めた。
彼女の師に背中を押された。俺の葛藤は見透かされていた。
『加害なんて、やった奴が全部悪い。傍観の
母親の遺言。彼女の男親の話を伝えたのは俺だった。ただでさえ負荷のかかっていた精神にとどめを刺したのは俺かもしれないと考えていた。
問答無用に「仕事が出来る状態まで戻せ」という義務として課せられることは、俺の苦悩を軽くした。断る選択肢が無いのだから徹底的にやり遂げなければならない。
恨まれないことが問題だった。
悲しまないことが問題だった。
原因は、彼女の無関心か。それは違う。
獏に悪夢を見せられた時。恐らく完全な無意識が露呈した瞬間、彼女が見せたのは――恐怖と、怯えと、痛ましいほどの悲哀。
彼女はきっと、在る感情を認識していないだけだ。
どうして助けてくれなかったと叫んでくれるなら。どうして傍観していたと憎悪してくれるなら。それは事態の好転を意味する。
だから俺は、彼女に恨まれなければならない。
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