彼女の傷②

「……絶対に無理はしないで欲しい。少しずつでいいから」

 私にまつわる過去の事実と、そうでないことを分けて書き出して欲しいと言われた。

 養父は私の男親かも知れない、という憶測を喋ったのがまずかったかと思った。憶測は憶測であるので、その旨正確に書き連ねた。真実など解らないという点も。

 他はすべて事実だ――強姦が原因で生まれた子。私を孕んだから母は舞台から降りた。歌の素養が無い。舞台度胸も無い。母の教えを身に付けられなかった出来損ない。母の死にも泣かなかった。真っ先に葬式の手配に立ち働いた薄情。母を強姦した男に引き取られた。屋根裏部屋に閉じ込められ、男から暴行や性的虐待を受けた。歌声が出ない、他。

 事実を記した帳面を眺め、マキさんは眉をひそめる。幾つか質問をされた。

「これは誰から言われた」

 外部からの刷り込みや、私の思い込みと判じられた記述は線を引いて消された。

 それでも事実はたくさん残っている。マキさんはそれを一つずつ私に確かめながら、私が原因の事柄と、他者(主に母を加害した男)が原因の事柄に分けていく。

「母の夢を壊したのは私です」「違う。孕ませた人間だ。……極端な話だが、お前の裁量で、生まれるかどうか決められたか?」「……いいえ、」「自分じゃどうにも出来なかった事の責任は、自分のものじゃあない。抱えなくていい」

 交渉しながら少しずつ、私の持っている荷物に触れる。私の様子を窺いながら慎重に分けて、他者の責任を手放すようにと繰り返し言い聞かせた。

「すべて加害した人間に非がある。お前は何も悪くない」

「…………」

「……お疲れ様。すこし休憩しよう」

 珈琲を貰った。飲んだらとろとろ眠くなって、それ以上は進めなかった。


「お前が加害されていい理由なんか無かった。それが大前提だ」

 マキさんは事ある毎にそう言う。

 事実を一つずつ丁寧に手に取ってみせ、理屈に訴えて理不尽を解らせようとした。私の思考が理屈寄りだから、恐らく合わせてくれているのだと思う。

「当時のお前は、暴行や虐待による搾取を衣食住の対価だと言っていたが、それはおかしい。お前の生活を保証するために出てきた大人が、どうしてお前に見返りを求める」

「そういう目的で連れてきたからですよね?」

「そうじゃない。庇護の見返りを請求するのは不自然だと言ってる」

「彼が私を引き取った理由は、母と同じ顔の奴隷が欲しかったからです。だから彼は、目的通りにモノを取り扱っていただけです」

「どうしてお前があの男を擁護する……じゃない。その動機も、やったことも、衣食住の対価にしていい代物じゃあない。きわめて身勝手な加害行為に過ぎない」

「擁護ではありません。ただの事実です」

「、……理不尽とか、身勝手だとかは、やっぱり納得してくれないのか」


 悲しいだろう。苦しくて辛いだろうと、たまに引っ掛け問題みたいに感情を問われる。

「あまり覚えていません。今も、よく分かりません」

 問い掛けが過去形でない理由は、何だろう。


 どうして自分をモノだと自認するのか。

 質問文は多少変動するが、マキさんの根幹の問い掛けはそこにあるように聞こえた。

「由縁からして、母を星から引きずり下ろす為に用いられた道具ですし」

「……その責任はお前には無いと言った」

「私に責は無いかもしれません。けれど、事実です。マキさん」

「そうじゃない。孕んだのも、産まれたのも、何の罪もない子どもだ。親の思惑は子に無関係だ。愛情に引け目を感じなくていい」

 そんな事は母にしか解らない。死人の言葉を代弁するのは冒涜だ。――するとマキさんは、母の遺言を預かった夜のことを話した。

 生前の母からの言葉だから、真実だと。私に託した。

「相良。お前の母親は、本当なら死ぬつもりだったと言っていた。けれどそうしなかった。お前達の未来まで傍に居られないことを悔やんでいた。……愛していたんだ。今もきっと心配している。それは信じてくれないか」

「……母の愛情を疑ったことはありません。分不相応な愛を、注いでもらいました」

 本当に、疑わなかったのだ。母は私たち双子に一切の負い目を感じさせず育ててくれた。

 だから私は、自分を許すことができない。

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