閑話:名前③

 ある日「弟子」は死にかけの声で、兎を一匹狩ったと言った。

 熊をやり過ごした。食べられる草を見つけた。実は毒草だったが大事には至らなかった。毒の訓練が役に立った。以前学んだ、飲み水の探し方のコツを掴めた。

 多少噛まれたが初めて一日で帰ってこられたと。頭からとめどなく流血しながら声を弾ませ、そのまま倒れて前後不覚になった。


「……あのさあ。僕、お前に死んで欲しくてこういう事してんだけど分かんない?」

 病室で目覚めた弟子がまず見たのは、顔の造形が変わるほど念入りに痛めつけられた上、椅子に縛られている師の姿だった。子どもは小さく頷き、

「見ないうちに男前を上げられたようで」

「マジで神経疑うんだけど」

 不満を表しがたがたと椅子を揺らす。すかさず病室の外で床板が割れた。牽制というか暴力。監視役サクの得物は大太刀である。

 ヨウは動きを止めたものの怯えは欠片もない。面倒臭そうに吐き捨てる。

「……あのクソゴリラ、お前が女だって知らなかったくさいね。分かった途端コレだ。……『女こども痛めつけるなんざ人として最低の趣味』だとよ。はいはいご立派」

「師匠は別に、楽しんでおられる訳ではないでしょう」

「その程度に察しつくならもう少し頑張ってくれない?」

 殺意を隠した気も誤魔化したつもりもない。訓練という建前を作ることすら面倒になってやめた。しかしながら、受け取り手に難があるなら話も変わる。

――一度はっきり言わないと分からない。

「僕はお前を弟子にしたつもりはないし今後する気もない。あんなの訓練もクソもないから。死ぬ環境に死ぬ条件揃えて死ねと思って捨ててきてんのに何でほいほい戻ってくんの? いかれてんなとは思ってたけど虐待受けすぎて頭おかしくなってんじゃないの? マジでお前なに?」

「薬毒物の影響は残っていないと診断をいただきましたが」

「うるさい黙れ。いいか、どれだけ居座られても僕のやる事は変わらない。使えるアタマ残ってんなら賢い身の振り方は分かるでしょ? まずクソ頭目に直談判して配置換え、最低限の職業訓練だけ済ませてさっさと出ていく。理解したら動け。走れ。死にたいの?」

 耐えかねたサクが病室に突入し、横面を叩いて黙らせた。ヨウはそれきり何も言わない。

 弟子が小さく手を挙げた。

「……私は、発言しても?」

「……いちいちうぜぇな。好きに「ヨウ」……お前もうるさい」

 ヨウがそっぽを向き、弟子が戸惑っている。話が進まない。

 サクが溜め息とともに椅子に腰掛け「喋ってくれ」と促した。大きな身体を窮屈に縮め、威圧しないよう目を合わせてきた大男に、弟子はぱちりと瞬きをする。

「訓練は、……続けたいと思っていました。出鱈目な暴力で、死ねというお気持ちからくる置去りで構いません。無理難題をしのぐほど、自分の力で出来ることが、着実に最速で増えていく実感があって、それは……充実しています。とても」

「……おい嬢ちゃんも。言ったろ。子どもがンなこと考える必要は、」

 頭を横に振る。サクが言葉に詰まる中、ちいさな身体は寝台の上で居住まいを正す。

 正座して、頭を下げた。寝台に額を擦りつける意図は謝罪である。

「……申し訳ありません。本当にこの身をうれいて下さるなら、……情ではなく、知識を。庇護ではなく、自立の一助を頂けませんか」

 ぼさぼさの黒髪頭が動かない。額の傷が開き、どろりと血が垂れる。

「貴方がたはきっと、その腕ひとつで身を立てられる。尊厳を自力で守っていけるのでしょう。……無力を嘆いて諦めたくなければ、這い上がる努力が要ります。こちらの組織は、その様な訓練を施してくださると伺いました」

 お願いしますと頭を下げた。ごめんなさいとも言った。生き急いだ身勝手については自省して、医療資源も医務官の精神も摩耗させる愚行だったと切に詫びた。

 サクが細い肩を揺すっても、弟子は頑として抵抗した。子ども相手に強く出られず絶句した男は、弟子と師匠を交互に見遣るしかできない。「こんな子ども何処から拾って来た」と、説明を求めてヨウを見つめた。


――馬鹿な子どもだと嘲笑う。そんなだから他人に搾取されるのだ。タタラの利益のため意思を誘導されている自覚もない。

 自分の価値は解っている。タタラはヨウの働きで味をしめた。ヨウに次ぐ手駒を増やしたいと欲をかいた所に良いカモが転がり込んだから利用されたのだ。適当に言いくるめて、要望通りの訓練を与えてあげようと恩を着せた。見慣れた手口だ。

 真っ当な職業訓練、適当な護身を仕込めば済むだけの話を、諜報員スパイなんてやらせようとするクソな大人にまた搾取されている。師だか何だか知らないが、自身がその片棒を担がされるのもお断りだ。

 土下座をじっと崩さない子ども。組ませた意図もしゃくに障る。

「……貴方にも。……ご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます。後で私から指南役の変更を申入れます。ご指導いただきありがとうございました」

 同調するとでも思ったのだろう。――「家」という理不尽に憤り、自力で逃れた過去の自分と。道を拓く実力を得るため修練に明け暮れた貪欲さは、通じるものがあったから。

 泣く暇があるなら刃を研げと、子どもの弾き出した結論に頷いたのは否定しない。意志があるなら与えるべきだ。だが「きっと気が合う」と笑っていたのはきな臭い。子どもと自分の交流も狙いのひとつだとすれば、その通り動く馬鹿がどこにいる。

「……だったらサクに師事しろよ。こいつお人好しの馬鹿真面目だから死ぬ訓練させるくらいなら自分が死ぬし、どっかのクソ師匠と比べ物になんないくらい丁寧に教えるから。君もそのほうがいいでしょ、精神衛生的に」

 自分の他にも選択肢はある。癇癪かんしゃくも起こさず気分屋でもなく、適切に安全な指導が出来る大人など幾らでも。タタラは隠したいのだろうから暴露してやる。

 子どもはやっと頭を上げた。顔面にだらりと流血しながら首を傾げる。ばかに呑気だ。

「……ご迷惑、なんですよね?」

「ご迷惑だけど。なに」

「自分に師事するのなんか嫌だろう、みたいな言い方に聞こえたので」

「君だってタタラの勝手で組まされてんだから迷惑はお互い様でしょ」

「選んでいいなら貴方にと、要望を伝えました。私が」


「…………あ?」

「……なぜ豆鉄砲を食らってらっしゃる?」


『所詮は劣る才覚だ。棗を継ぐ長子には及ばない』?

 優遇しておいて何をほざく。長子以外から修練を剥奪する環境を良しとしておいて。

 持って生まれた優位性を自覚もせず他者を見下す無意識の傲慢。その余裕を「人格者」と讃える空気にも迎合できない。だから家を出て、好きに研鑽を積む選択をした。

 お前は不要だと明言してきた場所に居続ける意味も無いと、馬鹿な期待は捨てたのだ。

「貴方はあの場で、薄汚い子どもの交渉に応じてくださった。一人の人間として対等に扱ってくださいました。貴方がいいに決まってる」

 当然みたいに放られた言葉なんて、聞かなければよかった。



 サクが子どもの傷を押さえた。そのまま小さく低頭する。

「悪かった。嬢ちゃんだ何だって、嫌な気持ちにさせちまった」

「いえ、貴方に侮辱の意図がないことは解っています。……謝るべきは私です。お心遣いを台無しにした無礼、御容赦ください」

 大人サクの腕力できつく巻かれる包帯を緩めつつ、胼胝たこと傷だらけの分厚い手のひらを握った。

「優しさを受取れないのは私の非です。貴方はどうか、そのままで。もっと脆くてやさしい誰かを、この手で守ってあげてください」

 サクを静かに見つめた。敵意も好意もない、透明な目だった。

 大の男がたじろいで、人相の悪い三白眼が苦しげに歪む。それでも視線は逸らさない。

「……ごめんな。……他人なんか信じられなくなるくらい、自分でどうにかするって腹決めなきゃなんねぇくらい……嬢ちゃんの周りには、ふざけた大人しか居なかったんだろ」

「私が謝りこそすれ、謝罪される覚えはありませんよ」

「……別にいい。俺の自己満足でしかねぇんだ」

 ぶつりと異音が響いた。力尽きた縄が床に散らばる音も。

 ヨウがしれっと拘束を解いていた。病室から出ていく背中をサクが睨む。

「基礎は俺が見る。返してやるかはてめぇの態度次第だ。それでいいな、ヨウ」

「……好きにすれば」

 顔を背け、振り向かなかった。


 ヨウの足音が遠のいてから、子どもが零す。

「……いえ、あの、師事なら他のかたに」

「ぐだぐだ言わねぇんなら引き受ける気になったんだ、あんま言うな。……逆上された挙句やっぱ無しとか言われたくねぇだろ。あいつならやるぞ」

「取扱いに慣れておいでですね?」

「……不可抗力だ。それと、稽古。嬢ちゃんさえ良ければ手伝わせてくんねぇか?」

 子どもの同意を確認して、サクが声を低くする。

「いいか。あいつは言うほど悪人じゃねえけど、絶対に善人でもねえぞ。機嫌が悪けりゃふざけた指示もされる。無視していいし目に余れば教えろ、俺も加勢する。……厳しい課題と無理難題を履き違えるな」

「、……ご苦労お察しいたします」

「……すぐに嬢ちゃんもこうなる」

「…………」

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