閑話:名前④

 ヨウと新入りの師弟関係は正式に締結された。構成員の面々は安堵し、タタラは三割増でにこにこした。新入りは便利屋の雑務や運営管理業務を手伝いながら快復を待ち、サクによる武術の基礎修練を受け始めた。

 入院治療が要らなくなった新入りは師匠が引取り、自身の住居に間借りさせている。雑用と家事代行ハウスキーパー扱いであるが、師匠はわりあい不在であるし弟子にも不満は無い。

 ある日ふらりと帰宅したヨウは、甘い残り香に鼻をひくつかせた。くりやを覗けば弟子が包丁を片付けており、作業台には重量のある袋が目につく。

「……砂糖? 贅沢なもの買ってんね。手伝いってそんなに給料よかった?」

「毒物の治験体として報酬を頂きました」

 ヨウの脳裏に物騒な薬師ヒサメの笑顔が浮かぶ。「そう言えばンな話してたっけ」と、そそのかした当事者がしっかり他人事認識で呆れていた。

 弟子は物覚えよく動き始めている。久々の師の帰宅に湯を沸かし、茶の準備を整えた。食事の用意に移る前に「召し上がってきました?」と立ち止まる。

「、……ああ。それと、よろしければ茶菓子にでも召し上がって頂ければ」

 宝石みたいな黄金の砂糖菓子を三片みかけ、小皿に載せた。

 作業台に載せた大皿に、乾燥途中の琥珀糖が切り分けられている。ぴかぴか光って散らばった、煌々と熱もつ星屑――ヨウの口から小さく零れた。

「僕でいいの」

「師匠がいいです」

「……サクにしときゃいいのに。馬鹿が」

 ――思い通りになるのはしゃくだ。ならば、タタラの喉笛を噛みちぎる教育を施す。

 偽善者を疑えるように。搾取されないように。思い立った瞬間、この便利屋なんて唾吐いて捨てられる実力に鍛えてしまえば問題ないのだ。

 砂糖菓子は存外柔く、さくさくほどける。三片が一瞬で消えたので、大皿から摘み食いする弟子に乗じて手を伸ばした。

「ていうか君、こんな菓子どこで覚えた?」

「本で読みました」

「……ふぅん、」

 琥珀糖を摘む。

 弟子の眼にかざして、ぽいと口に放り込んだ。

「じゃあ『琥珀』で」

「……こはく?」

「名前。いつまでも『クソガキ』じゃ不便だからね。ガキなんざわんさといるし」

 本名は駄目だ。顔も隠せれば尚良いが実現可能かは微妙――弟子を加害していた貴族は離散したが、残党が生きている。どこで嗅ぎつけ馬鹿な真似をするか知れたものではない。どのみち諜報員なら偽名が常だ。本人の意思次第では性別も隠させる。

 何よりも。クソな人生そのまま持ち越す必要がどこにある。

「琥珀。僕は過去も出自も属性も問わない。評価するのは、君のこれからの働きだけだ。信頼は結果で勝ち取れ、自分の価値を証明しろ。以上」

 弟子の金眼が微かに見開かれ、ちかと光がまたたいた。

「畏まりました。師匠」

 意志があるなら与えるべきだ。さいわい素養は十分ある。

 馬鹿で、貪欲で、これ以上なく贅沢な子どもに。望むすべてを与えてやろう。

「僕に教えを乞う名誉なんか、そう得られるものじゃない。せいぜい励め」



「あとコレちょうだい」

「それはまだ乾かし足りな、……は? ちょ、まさか全部食べ」

「次もっと甘くして。飯は外で食べるから支度して来な」

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