閑話:名前②

「てめぇまたやりやがったな!!」

 どすの利いた怒鳴り声で便利屋本部が揺れる。

 痛む耳を押さえながら辟易へきえきした顔のヨウに、生来の強面をこれでもかと凄ませる大男が詰め寄った。

 人相の悪い大男――サクは便利屋に所属する以前、傭兵として各地を転々としていた頃からヨウと縁があった。付き合いの長い縁故が災いして、サクはここ暫く、幼馴染の暴挙に伴い噴出した苦情を一身に集めている。

 大勢が口を揃えて曰く「あの暴君バカをどうにかしてくれ」と。

「怪我も治りきらねぇろくな手当もしてねえガキひとり丸腰で森に置き去りにして『自力で戻って来い』だぁ!? ヨウてめぇ馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ、ンなもんのどこが訓練だ寝言は寝て言え!!」

「あのさぁサク、ちょっと考えたら分かんない? 獣は血の匂いに釣られるんだから治りきらない状態で放り込まないと意味ない……ああ、お前にそういうの期待しても無駄か。僕が悪かったよごめんねー」

 悪びれない口調で神経を逆撫でされ、サクの額に青筋が浮き出る。罵倒と軽口には慣れたつもりだったが、ここまで開き直られて黙っているのもおかしな話だ。

 襟首を掴み、空いていた扉から外へと引きずった。「なに。知能あんなら言葉で喋ってくれない」と口の減らないヨウを地面に叩きつけ、胸倉を掴み上げる。

「てめぇの暇つぶしのおもちゃにするために弟子とったんなら今すぐやめろ。んなふざけた指導とやらで師匠名乗って恥ずかしくねぇのか」

「生殺与奪は好きにしていいって言ったのタタラ様だけど。文句あるならそっちに言ってくれない。あと師匠になった気もない。僕だってお荷物押し付けられて困ってんの」

「目下いちばん迷惑してんのはあの坊主だろうが。数日おきに死にかけてんだ、いい加減てめぇが恨まれてもおかしかねぇぞ」

 始まりは毒だった。意識を失うまでは許容量セーフとでも言わんばかりに飲ませて当然死にかけた。次に基礎訓練と言いくるめ真剣相手に丸腰で立ち向かわせる――未だ手足が繋がっているのが謎だ。そして現在、建前を伝えるのも面倒になったらしく自習と称して森に放り込まれている。

 無理難題を煮詰めた理不尽の塊で殴られているだけだと誰が見てもわかる。当の弟子は、五体満足なのが不思議なほどの怪我を負いながら、それでも担当医ヒサメをはじめ周囲の構成員に命を拾われ「訓練」に晒されることを繰り返していた。

「……いいか。次やったら俺があの坊主の見張りにつくからな。ついでにてめぇもぶちのめすから覚悟しとけ」

 滔滔とうとうと続いた説教はそのように締め括られた。

 絶対安静を言い含めても知らん顔で病室を強襲おそって身柄を奪う師匠だ。殴ってでも止める主義、暴力に暴力をぶつけるサクの投入は苦肉の策であり、多少の損害が出てもその暴挙を止めることが優先されていた。


 重量のある足音が遠ざかる。振り回され乱れた黒髪はそのまま、ヨウが視線を植え込みに投げた。

「いいよ。出てきな」

 せそうなほどの薬の匂いは、医局の近隣が幸いして誤魔化せたらしい。

 血のにじむ包帯の隙間から、乱雑に刈られた短い黒髪がはみ出ている。亡者か死人かと見紛うちいさな影は、サクがいなくなるまで草葉の陰で息を殺していた。

 あの獣に勘づかれなかったんだ、気配の消し方は上出来――そう頷くヨウの手は、子どもの頭を掴んで容赦なく締め上げる。

「やあクソガキ、ずいぶい長いお寝んねだったね舐めてんの? 僕は何日で出てこいって言った?」

「……三日でしたかと。申し訳ありません」

「違えよ。三日周期で森に放り込むんだから寝てていいのは長くて二日。君の帰りが遅ければもっと短くなる。あんな近場の森からまる三日かけて帰ってきたうえ何日もぐうすか寝こけてよくそんな口きけたよね」

 師匠の強奪はともあれ、弟子の脱走は医務官も予測外だったらしい。対策が講じられるのも時間の問題だろうが。

「病室の監視が厳しくなっているようですが」

「良かったね、いずれ君がやるのはそういう仕事だ。……騙して隠れてなぎ倒してもいいから逃げて来な。敵地から脱出する訓練に丁度いい。理解した?」

「、……左様でしたか、畏まりました」

 うやうやしく頭を垂れた子どもを一瞥いちべつもせず、薄汚れた麻袋に詰め込む。

 袋を片手に森へと向かうヨウは、苛立ちを隠さず舌打ちした。

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