15-3

 雪曇りの街の中、ひとつの店の窓だけに暖色の灯が点っている。

 自然公園から戻った雪平を出迎えたのは、喫茶店の前で風見を抱える紫乃と和泉だった。泣きじゃくる二人に暖かいココアを振舞い宥めた彼は、涙が引いた子ども二人を確認して密かに胸をなでおろす。

 安堵をおくびにも出さない店主へ、問い掛けたのは和泉だ。

「風見さん、は」

「奥のソファに寝かせてきた。眠っているだけだから大丈夫だ」

 雪平が経緯を尋ねて椅子に座る。

 和泉は順を追って概要を話し、ようやく一番の疑問を投げ掛けた。

「紫乃ちゃんのこと、研究に欲しい希少検体だと言われました。雪平さんは事情をご存知だと聞いてます。教えてくれませんか」

「構わない。何処まで説明した?」

「いえ、わたしからは何にも、……それどころじゃなくて」

「解った。俺から大まかに話をさせてもらう」

 営業時間と変わらない、落ち着き払った無表情でさらりと請負う。紫乃は震えた――雪平なら間違いなく説明できるだろうという安心と共に、全て詳らかにされる確信とあきらめ。無意識に拳をかたく握る。

 雪平へ向き合った和泉をちらと窺い、反応を見るのが怖くて俯いた。

「お前の隣には将来魔法を使えるようになるかもしれない人間がいて、研究者にそれがバレて追われている。俺は魔法使いの存在を隠してやる秘密の仲間だ。質問はあるか」

 紫乃はものすごい勢いで雪平の表情を確認した。真顔だった。待ってくれと言いかけ、別に間違ってもいない気がして口ごもる。

 紫乃の状況が整理され且つ和泉にも伝わる精度の例えなのだが、生きるか死ぬかの選択を突き付け自身を悩ませてきた命題がオモチャみたいに茶化されるのはなんか違った。

 女児アニメのキラキラしい色彩が目に浮かぶ。これで押し通すつもりなら雪平はマスコットのサポート妖精だ。それも見習い魔法使いなんてひと捻りにできる妖精。おっかない美人の同僚から尻に敷かれてる妖精――妄想を振り払う。現実逃避だ。

「……えっと、……雪平さん、本当ですか」

「和泉。お前は嘘が分かるだろう」

 和泉もおそらく同じ意味で困惑しているのが紫乃には解った。しかし魔法少女に勝る説明が浮かばないので曖昧に頷いた。和泉は一層もにゃもにゃした。

「お前たちはこの『眠り』の異常も知りたいだろうと思うが、本当にただ寝ているだけだ。目が覚めれば本人達は眠ってしまっていた事にも気付かない」

「でも。これ……いつまで、」

「原因は確認した、遅くとも今日中には起こす。こちらは俺がどうにかするから自分たちのことだけ考えていてくれ。助力が要るなら手を貸――」

 雪平が固まり、店の表扉を見た。

 和泉は辛うじて足音のようなものを聞き取る。

「…………裏で話すから何かあれば呼んでくれ」

 声も半ばに席を立ち、和泉と紫乃が思わず目で追う。雪平は喋りながら扉を開け、素早く身を滑り込ませてしまった。

 入店しようとしていた影の顔面を鷲掴み、外へ引きずっていった。

「……お客さんの顔、わかった?」

「…………」

「……和泉くん?」

 ドアベルの音だけが残される。

 和泉は雪平の後を追おうと腰を上げた。恐る恐る触れた扉が外側から急に開き、入ってきた人間の風貌に驚いて跳ねる。

 恐らく男性――に、沢山の雪が積もっている。背中の部分がもぞりと動き、ぼたぼたと雪の塊が落ちた下から幼女が飛び降りる。

 幼女が直ぐに紫乃を見つけて目を真ん丸くする。

「紫乃! 無事で良かった……!!」

 弾丸のように突進してきた幼女を受け止めながらも、紫乃は困惑しきりだ。

 和泉も和泉で男に積もった雪を払いのけ、相楽との縁に目を見張っていた。



 雪平に引き摺られた男が、喫茶店の裏手でやっと解放される。

 人間の四肢は獣化して、焦げ茶の毛皮に氷が固まっている。人狼はぶるりと身震いして、身に染み込んだ水分を振り飛ばした。

「……お前、牢から逃げたのか」

「見て解らんかい。お前こそ何でこんなとこんねん、吸血鬼」

 雪平の頭は痛いが、人狼が脱走できた理由も分かる手前なにも言えない。

 地下牢の呪力封じは『眠り』の異常の原因たる北の不死者、獏こと佐倉さくらの呪力で維持されている。佐倉の不調を考えれば予測できた事態ではあった。

「どうして居る、は俺の台詞だ。何しに来た」

「そこの店の食いもんがウマいて勧めてもろたんや、お前なんぞに用ないわ。ワシはこぉひいを飲むねん。ジャマすんなや」

「犬に売れる珈琲は無い」

「ワシは犬やのぉてオオカミサマや言うとるやろが」

「狼も同属だ馬鹿」

 店主が雪平だとは思っていないらしい。獣化を解いて店表へ向かおうとする人狼を呼び止め、北の土地全体を覆う異常事態に気づいていないのか尋ねたところ、

「どっこもかしこも鼻きかんくらい獏の匂いしよるもんな。なんやあいつ死ぬんか?」

 雪平は危機感のなさに脱力した。それでも飢餓状態で著しく弱体化した雪平にとって、比較的元気そうな不死者である人狼の訪問は希望と取れなくもない。

 自然公園で佐倉の呪具を壊した遊が全ての元凶だ。

 佐倉が調子を崩して『眠り』が街中を取り込み、また普段は強固な認知阻害で防御された獏の領域が無防備に開いている。この隙に遊が忍び込んだらと思うと一刻の猶予もない。

 雪平の説明と協力要請に、人狼は腹の音で返事をした。空腹の不機嫌も相まった返答は刺々しい。

「相手がニンゲンなら殺しゃあええやろ」

「不死者に殺された記憶を持ち越して『次』の人生で捕捉してくる。記憶操作をしても干渉痕跡や記憶の齟齬に気付いて逆に辿ってくるような相手だ」

「ようわからん。とにかくお前は何したいんやカンタンに喋れ」

「……俺に呪力だけ渡して後のことは丸投げするか、俺の代わりに呪具を作り獏を起こして、研究者を穏便に退ける。二つに一つだ、選べ」

「どないしてワシが手ェ貸したるトコは決定事項やねん、腹立つわぁ」

 もし不死者の同定方法が見つかってしまえば、捕縛難度からいって真っ先に小間切れにされるのはお前だぞ――と、言いかけたのを飲み込んだ。

 雪平は人狼の発言を思い返す。美味い店を薦めてもらったと腹を空かせて、今にもこの場を去りたそうに足踏みしている。

「……お前は料理を食べに来たのか?」

「ミセっちゅうんはそういうモンやろ寝ぼけとんのか。ワシお腹ペコペコやねん急いでんねや、ほなな」

「ここは俺の店だ」「あ?」雪平は報酬を提示する。

 ひとつ、人狼が食べたがっている料理を雪平が作り提供すること。

 ふたつ、人狼が安全に飲める珈琲を探してみること。

「お前は料理を食べに来たと言ってるが、金を持ってないだろう。店はどこも対価が無ければ飯は食えない。料理の頼み方も知らないんじゃないか。そもそも文字は読めたか?」

「知っとるわい。きいろいふわふわと火傷するくらいカリカリの甘いヤツや!」

「分かった、もういい」

 雪平の店なら滅茶苦茶なリクエストの正体を探るくらいはするし実際に食べられる。対価なしは困るので、その分いま恩を売って欲しい。以上が雪平の提案だった。


 働けばメシを食えるらしい。人狼はとても迷った。

 食いものは狩れが信条の彼には随分とダルい話だった。けれどこの「お店の食べもの」というのが狩りとは違うらしいことには、美味しいもの調査の段階で薄々気づいていた。

 ちらと雪平を見る。心底キライというか苦手なヤツ。

 今まで散々けちょんけちょんにやられた。鎖みたいな堅牢な術式で雁字搦めにされ蛆虫みたいに這うことしか出来なくなる。勝てない悔しさと屈辱ばかり思い出す相手だ。口を開けば無闇に狩るな大人しくしていろとばかりで、やれ犬だ野蛮だと取り合わない不快な奴の言うことを聞くのはどうしようもなく癪だった。

 だってさっきからずっと偉そう。頷きたくないのは相応のわだかまりがあるからだ。

「この通りだ。頼む、力を貸してくれ」

 なのにそいつが、降りしきる雪の中で、あまりにあっさり頭を下げるから。


「……どっちか選べ言うんなら術式組むほうお前がやれ」

 人狼は考えた。術式を組めたとしても疲れて動けなくなった前例がある。そうしたら用済みのボロ雑巾は放られて、料理の約束が守られるか分からない――彼はだんだん腹が立ってきて、報酬がマズかったら殺すからなと叩きつけるみたいに吐き捨てた。

 雪平が頷き、人狼の要求を受け入れる。「呪力だけ貰えれば十分だ」と、今度は謝辞に頭を下げた。

「……なんやさっきから気持ち悪いな。見ないうちにヒトにかぶれて頭おかしなったんと違うか?」

「ああ、大体あっている。お前は目が良い」

 本当に嬉しそうに微笑むものだから、人狼は心底ゾッとした。毛が逆立つ寒気に襲われ、鳥肌のひどい腕をさする。

「確認するが。本当に、協力してくれるんだな?」

「うるっさいわ! やる言うたらやる! 協力でも何でもするからさっさと好きにせえ!」

「……言ったな。『契約成立』だ」

 ともあれこの気持ち悪いヤツから離れたい一心で指示を仰ぐと、雪平はけろりと無表情に戻って告げた。

「俺の『食事』は知ってるだろ。そこに伏せて首を差し出せ」

 雪の積もった地面に。伏せろと。

 確かにこいつの『食事』は血だ。だから己が差し出すのも血液だろう――



――は?


「お前の意味のわからない自己治癒力だけが懸念だな。食べ終わるまで何回お前の首を噛みちぎり直す必要があるか分からない」

「ちょ。ちょ待、ボケェ!? 聞いてへんぞ!! あんさん野郎の血ぃ飲めへんのとちゃうんか!?」

「体調に著しく支障をきたすレベルで口に合わないだけだ。……喚く元気があるなら早くやれ。俺は汚水だろうと啜る覚悟だからな、今更その程度で躊躇しない」

「だァれの血が汚水や!! ワシは協力やめたってもええんや、――」

 ひゅ、と息が苦しくなった。

 四肢に力が入らなくなり膝をつく。肩を弾ませ、懸命に呼吸してもまるで意味を為していない。酸素が取り込めず、喘鳴ばかりが虚しく響く。

 酸欠に軋む身体で懸命に雪平を睨みつけた。

「……脅しかコラァ、このボケカス……!!」

「俺は何もしていない。『契約不履行』しているのはお前だ」

 雪平が人狼を押さえつける。体質に合わない応急措置でも、久しぶりの『食事』だ。

 捕食者の光が灯り、瞳がぎらつく。

「抵抗するのは勝手だが、苦しいだけだぞ」


 ■


 降りしきる大雪と無縁な暖かさの喫茶店では、ひとの一生ほどに長い昔話が語られていた。

 語るのは榛名、聞き届けるのは和泉と紫乃。榛名が遊の記憶から映像を引き出し、心象風景を共有するため鏡の呪具の協力を仰いだ。記憶を映すスクリーンとなった和泉の手鏡を三人で囲み、覗き込んでいる。

 店の隅で休んでいた相楽は、突然跡形もなく消えた眠気に驚いて起きた。

「……悪いが聞きたいことがある。眠気はこれで大丈夫か?」

 雪平が声をひそめ、昔話をしている三人のうち、榛名――身体は遊だが――を指さした。

「『あれ』の本来の中身はどこに行ったか、分かるか」

「白幡博士の入った肉体は北支部研究棟で拘束済みです。博士が仮に起きていたとしても、動ける可能性はごく低いかと」

「、……助かった。そちらの迅速な支援がなければ危なかった」

 遊が拘束されているなら佐倉は無事だ。急ぐに越したことはないが、雪平の想定よりも状況は悪くない。

「お久しぶりです、先ほど施してくださった眠気覚ましにも御礼申し上げます。……和泉の救出の折、私どもを助けてくださった不死者は貴方様ですね」

「大したものじゃないから畏まるな。それより今は、頼みたい仕事がある」

「何なりとご命令を」

 雪平は補修または作成した呪具をリュックに詰め、相楽へ預ける。

 ある程度の情報共有を終えて、話し込む三人に声を掛けた。

「俺達は自然公園に行ってくる。店を開けるつもりはないから居てくれて構わない。留守を頼めるか?」

「……雪平さん。実は、……ご相談があるんですが」

 和泉はそう、口を開いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る