幕間:研究者の手記・後

 実験には人間が必要だった。

 失踪も消失も問題とされない人間が、必要だった。


 殺人、不貞、窃盗その他。戒律に触れ処刑を待つばかりの人間に声を掛けて回った。

 殺してしまうのなら、ボクが貰っても構わないだろう。

 処刑場に割り込んで屁理屈を説き、時には工作も厭わず、縄で鬱血した手をとる。牢の守番や役人に金を渡す時もあった。

「ここから出て、ボクの研究を手伝って貰えませんか」

 四割が泣き、三割が猜疑だった。残りはその他。

 抗っても彼らに行き場はないので、傭兵に頼めば最後には従った。言葉が分からなそうなら笑顔を見せて手を握り、研究所まで連れて行く。

 弱り切った孤児を拾うこともした。被検体は可能な限り多く、広い年代のものが欲しい。

 初めこそ喜色を浮かべても、研究所に到着すると彼らは一様に青ざめた。

「人の心の無い野郎だな」

「……たすけてください。何でも、なんでもしますから」

「嫌だ、やだ!! 触んな!!」

 薄暗い鉄格子の向こうから、あらぬ限りの非難を浴びる。

 詐欺など心外だ。言葉通り、虚飾も詐称もしていない。協力しますと差し出した掌を返すのはいつも君たちなのに。


 仮説はほどなく証明された。ストレス負荷をかけ続けた人体が異形化をきたした。進行速度や変異には個人差が目立つものの、ある程度の共通項も見いだせる。

 有角、皮膚の硬化、色素異常。筋力や視力をはじめとした身体能力の増強。そして一様に、自我を失くして死に至る末路。

 この異形こそが、各地で騒がれ駆除に苦慮する化物の正体だろうと推測された。

 彼らを「鬼」と名付け研究をすすめた。彼らの存在は、ボクの探している魔物に迫る上でのノイズであり、また足掛かりでもある。本物の怪物へ迫るためには、鬼についての理解は不可欠だ。


 ある日、一体の被検体が檻から消えた。

 初めて見る現象だった。被検体は研究所外の森で発見されたため連れ帰った。検証を重ねたところ、これは被検体に芽生えた異能による現象だと結論づけられた。

 能力は瞬間移動。発動には何がしかのエネルギーを消費し、距離には制限がある。

 異能を発現させた鬼を数体さばくうち、この異能を得るに至った「理由」に気付いた。


――『此処から逃げたい』、だ。


 火花のような直感が脳髄を駆けた。

 願いの成就、具現化。精神を追い詰めた要因に依って発現した奇跡。


 人の内には、願いを叶える機構がある。

 我が身が異形と化しても構わない、捨身の覚悟でもたらされる精神負荷に付随して――負荷耐性の個人差の為ころりと鬼化する個体もあるにせよ――願望を糧に。異能を創り、その手で叶える傲慢な機能。

 環境への適応、変化を叶える柔軟性をこの目で見た。


 願望に応じて形を変える「ひと」の秘めたる可能性。

 光明に照らされた遥か先、人間の信仰に祀り上げられた「かみさま」が見えた。


 個人の願いと大衆の信仰。その間にどんな違いがあるだろう。

 鬼と魔物の本質はひどく似ている。


 研究にのめり込み、人を費やし続けた。

 鬼を知り、伝承や怪物を解析し符合させ、反証の可能性を模索しながら、鬼化変化との類似点を挙げていく。信仰や畏怖を産むほどの強い異能を操る個体。鬼化ではない変化を引き起こす個体――どれだけ探しても見つかることはなかった。

 不死化変異は推論のまま、鬼化変性の論文を書き上げた。

 まるで相手にされず異常者のレッテルを貼られ、研究を咎められ追放された。


 そして研究の途上、知らない男に刺されて死んだ。ふざけた研究の為に身内が死んだのだと、お前が殺したのだと言っていた。

 悪魔に魂を売った学者と呼ばれていることを、死の間際に知った。


 評判が羨ましかった。本当に「そう」ならよかった。

 だって悪魔だ。焦がれ続けた本物の怪物。


 もし会いに来てくれていたら、喜んで魂は差し上げていた。名実とも通り名に恥じないモノになれるのだから歓迎しよう。虚偽も捏造も嫌いな性分だもの、たとえ悪名といえど評判が真実になることは非常に好ましい。


 それに。

 悪魔を解剖すれば、もっと多くを知ることが出来たはずだから。

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