研究者が追い求めたもの

15-1

 その日は朝から、冬には珍しい陽射しが街を照らしていた。


 降っては溶けを繰り返しながら雪の支配は延びてゆき、気温の低下が続いた矢先の気まぐれだった。頑固に残った氷の残骸もすっかり溶け、防寒具が熱をたくわえ微かに汗ばむ。色素の薄い青空が広がる街は、眩しい日光でぴかぴかしていた。

 水に溶いた群青――冬晴れの瞳に英知を灯して幼女は笑う。

「中央の吸血鬼には隙がない。人狼の左腕はジャマが入っちゃったし……なら、ここから手が届くのは『北の女神さま』しかないなあって」

 柔らかい丸みを帯びた指がぱたぱた遊ぶ。薄汚れたスウェットと白衣に着られる身体は、同年代の平均より著しく未発達だ。骨すら脆く、筋肉も脂肪も少ない痩せっぽちの子ども。

 けれど、伸びた白髪の隙間から光る瞳は、知的探求心に満ちた研究者そのもの。

「いまはずいぶん人間が幅を利かせてしまったから、ばけものはみぃんな隠れてしまった。だから、ボクらに一番身近なばけものは、神様ってよばれているものだと思うんだ」

 幼女があどけない笑顔を浮かべる。灰色の個室で小さなテーブルを挟み、向かい合う榛名はるなを歳にそぐわない冷静さで見つめて逃がさない。

 視線に射抜かれた榛名の唇が、ようやっと開く。


「……それがどうして桜の樹への器物損壊罪になるのかしら」

「めずらしくお天気がよかったから!」

「今すぐお尻出しなさい、此処で」

「なんでぇ!?」

 榛名の怒りは振り切れていた。逃げ惑う上司――遊を押さえ込みながら、その細腕を万が一にも折ってしまわないよう加減するのにありったけの精神力を費やした。

 彼女には大事な先約があった。先日の口論以来ぎくしゃくしていた妹から会いたいと連絡を貰い、死にもの狂いで仕事を一掃して作った休日が今日だった。

 遊の犯行と警察からの連絡さえなければ、然るべき謝罪ができていたはずだった。そして、もっと大事な――妹の命に関わる警告も。

「天才学者だか先祖返りだか知らないけど迷惑行為は迷惑行為よ償いなさい!! 幼さは免罪符じゃないわ、幼児には年相応の罰ってものがあるのよ思い知らせてあげる!!」

「バカバカやぁだ!! ハルちゃんのいじわる! 虐待! ぼうりょくはんたぁい!!」

「だったら子守りじゃなくって論文のひとつでも書かせてくれないかしら!? あたしは幼稚園に就職したわけじゃないのよ、いい加減にして!!」

「だからぁ! 研究を進めようとしてるのにハルちゃんがそうさせてくれないんじゃんか! 不死者の幼体どこで見っけたかも教えてくんない!!」

 榛名の動きが止まる。

 遊の探している「検体」の正体は、妹――紫乃だ。

 身内を研究材料にしたくない、などと。学問探究を行う人間の端くれとして葛藤が無かったといえば嘘になるけれど。

――紫乃を差し出したりしたら、あたしは一生自分を許せない。

 緩んだ拘束から脱け出した遊が唇を尖らせる。

「……時間はいくらあっても足りないよ。ハルちゃんのワガママなんか待ってられない。だから成体の不死者へのアプローチを先に進めてる」

「……そのために、桜を折る必要があったって言いたいの?」

「折っちゃったのはわざとじゃなくってー、ほら。北の民間伝承には桜が関わってるの。ハルちゃんだって知ってるでしょ?」

 北におわす神のひと柱、男身の美しい女神様。北で咲き誇る桜を見初めたことから土地に根を下ろしたとの逸話が存在し、儚い美貌は桜の化身と形容されてきた。

 遊はこの伝承を実在の不死者が口伝されたものだと解釈している。


――彼の研究目的は、不死を叶えた化生の存在証明だという。


 榛名は不死者という概念に懐疑的だ。この世に鬼以外の異類が存在するということも、不老不死が存在していることも。遊から未だ満足な説明が無いことも事実だが。

 ただ。紫乃の身に起きた不思議を嗅ぎつけた遊の歓喜が、榛名の背に嫌な汗をかかせた。

 榛名が見ないようにしている謎と、全貌の掴めない遊の発想が一本の線で繋がることに怯えている自分が確かにいた。

 黙る榛名に目もくれず、遊が声を弾ませて喋り続ける。

「あの自然公園にね? 認知阻害の術で隠されてたけど、桜にまぎれて呪具があったよ。動かせそうになくって、ためしにいくつか壊してきたの」

「壊、……なんで自然公園に呪具があるの。術者が隠したものじゃあなくて、よね」

「こんな複雑な術みたことないよ。ボクも呪具これが無かったら分かんなかったし、カタチがみいんな似てた。たぶん一体の不死者が管理してる。それも高度な認知阻害をかけて……女神サマじゃなくても、力のあるばけものには繋がると思うんだ」

 淡い乳白色に濁る凸レンズ。幻覚や隠蔽、認知を歪める術を無効化する呪具は研究用の備品だ。遊が呪具を袋に仕舞って、がちゃがちゃと無闇に揺らす。

 備品の呪具を全て持ってきたらしい。大人の榛名なら苦でもないが、遊にはかなりの重量だろう。

 遊が一人で出ていった責任は自覚していた。榛名が遊との接触を避けていたせいだ。

 初めから一緒に行っていれば、桜を傷つけないよう注意することも、荷物持ちも出来たかも知れない――そこまで理解した榛名の口からため息が漏れる。

「……理由はわかったわ。でも、作業の過程で桜を傷つけてしまったんでしょう? 何をするにしても、まずは事故のことを謝ってからにしましょう」

 警察が呼ばれた理由は、遊が桜の樹によじ登るなどの奇行を繰り返していたため。幸い損害は軽微だった。「子どものしたことで、わざとでないなら」と大甘の厳重注意を言い渡されている。

 備品の袋を探っている遊を急かした。実質のお咎めなしとはいえ、見せるべき誠意がある。

「んー……でも」

「あたしも一緒に謝るから行きましょ? それだけ大事なものなの」

 自然公園の桜たちは只の樹木ではない。伝承を抜きにしてもだ。北の土地全体で守り続けてきた財産なのだから。

 沢山の人間が心を砕き、手を掛けてこそ美しい花が咲く。蕾から満開、散り際の花筏はないかだや葉桜まで、桜のうつろいは数え切れない人々の心を動かし魅了してきた。そんな桜と共に暮らしてきた北の人間の根底には、桜を守る意識がごく自然にはぐくまれている。

 過去から現在まで、その生を慈しんだ人々の手で守られてきた、信仰の象徴だ。

「だって、しかたなかったもん」

 榛名の頭がつきりと痛む。

 持病の頭痛を疑った予感は、あっという間に頭蓋を割りかねない痛みへと膨れ上がった。脂汗がぶわりと溢れて背を冷やす。脳が悲鳴を上げ、榛名の意識ごと知覚をブラックアウトさせようとする。


 遊の手が、見覚えの無い呪具を握っていた。

「ハルちゃん、こうでもしないと来てくれないから」



 遊と榛名が倒れた現場を、様子見に訪れた警察官が発見した。

 手近な榛名に駆け寄り揺する。ぼんやりと目覚めた榛名は、体調を案じる呼びかけには答えない。虚ろな目で立ち上がり、足下をふらつかせる。

「……なぁにーこれ。床が、とおい……足痛い、」

「! 安静にしていてください、救急車を呼んだ方が」

 榛名は突然パンプスを脱ぎ捨て、ストッキングで足踏みし始めた。

 戸惑う警察官の足元を見て――ぱっと笑顔が咲く。

「その靴ちょうだい!」

 ぺった、ぺたりと。奇妙な靴音で視線を浴びながら、榛名は全くよそ見をしない。呪具の袋だけは忘れずに警察署を出ていった。

「そうだぁ、ええっと。……協力してもらう時はー、レイギサホウ!」

 オーバーサイズの革靴も気にせず、榛名――の身体を奪った遊が、帰路を急ぐ。


――素性を隠すなら身内だろうと当たりはつく。

 入れ替わりを叶える呪具は渡りに船だった。相手の記憶を覗ける性質も誂え向き。

 不死者の幼体は彼女の妹、榛名はるな紫乃しので確定だ。

 記憶を見る限り姉妹仲は良好だろう、入れ替わってしまえば傷つけず捕縛できる。

「もしもし、いま直ぐ会えない?」

 返答はしばらく無かった。端末越しの声が雑音混じりに『……今日、駄目になったんじゃなかったの?』

 会う約束があったらしい。

 検体の特定優先で直近の記憶は見てなかったので誤魔化した。

彩姉あやねえが大丈夫ならそうする。そっち行くね』

「ありがとう。研究室で待ってるから」

 通話を切って時計を見上げる。到着予定は十五分後。

 誓約書は出来ているから、試薬調製の準備でもしながら待とう。


 ■


 扉の前で立ち竦んで二十分が経過している。


 移動時間の自己申告は嘘だった。嘘とも言いきれないけれど、「会えないか」と連絡を受けた現場は北支部正面ロビー、長椅子で和泉に弱音を吐いていたところだったから。研究室へは徒歩五分、走れば直ぐにでも会える距離。

 欲しかったのは心の準備に遣う猶予だ。

「榛名さんは、理由もなくひとを怒鳴りつけたりしないと思う」

 和泉は聞き役に徹しながらも、意見を求められると一貫して話合いを勧めた。紫乃のおそれを肯定して、助けになるならと同席を希望して隣にいる。

 安堵に混じる疎ましさは、被害妄想の自覚があるので黙っていた。

 紫乃もこれが他人事なら和解を勧める気がしたから、和泉の励ましを無責任で綺麗すぎる正論だと詰ってしまえば気が楽なのだ。逃避を正当化してしまえれば。一度はそうして鬼となり逃げたのだから。

 母親そっくりな姉の怒声を覚えている。

 母の金切り声は、紫乃がずっと耐えかねてきた暴力だった。


 それでも以前とは違う。人生を捨て異形と化してでも逃げたいとまで追い詰められてはいない――家族の外側にも居場所が出来たから。和泉が居てくれるから。

 誘拐された折、死を覚悟して自然に「仲直りしたかった」と浮かんだ未練を見なかったことにも出来なかった。


 気まずいから後回しにしたい。そこにあるのはただの怯えだ。喧嘩になったら怖いなとか、ちゃんと仲直り出来るかなとか。

 弱気なだけだ、そう。よく考えれば一方的に怒鳴られたことは納得してない。和泉だって義理の家族と向き合おうと動いたのに自分がこれでは恥さらしだ。惚れた男に顔向けならないとは情けない。切腹を決める武士の心持ち。

 当たって砕けろ死なば諸共、ドアノブを回して力いっぱいぶち破る。

「入るよ彩姉、ケンカしに来た!!」

 紫乃は考えるのをやめた。和泉もまさか介錯を任されたとは思っていない。

 榛名の姿は入口から見える応接用ソファにあった。「えっこわ」カチコミと見まごう気迫をぽかんと眺めて書類を取り落とす。

「あの時のわたしが、和泉くん助けないとって必死だったのは言い訳なんですけど! ……彩姉がなんで怒鳴ったのか分かんないでキレてクソみたいな態度とった、から」

 ごめんなさいと頭を下げた。最後のほうは萎んで消えた。

 紫乃が目を瞑ったまま無音に耐えていると、優しい体温が肩に触れた。頭を上げれば榛名の笑顔がそこにある。

「無事で良かった。事故にあったのかと探しに行くところでしたから」

 姉の顔をした、姉ではないものがいる。

 ワイシャツの胸元が大きく開いて、タイトスカートは土埃で白んでいる。身嗜みに気を遣う榛名の性格をよく知るからこそ絶句した。

 華奢で高いヒールを好む人間が、誰のものとも知らない男物の革靴を履いている――ぱかぱかと有り余る大きさの靴をさも当然のように使っているのだ。ただ事ではない。

 紫乃の顔色は真っ青だった。過労が祟って精神を壊したのだと思った。もう手遅れだ。姉の社畜をネタにするばかりか何もしてこなかった怠惰を恥じ入り涙が出そうだ。

「二号く……いえ、榛名紫乃さん。お話を聞いてくださいますか」

「うん分かった。何でも聞くからさ、まずは病院いこ? 彩姉まじめだから言えなかったよね、もっと早く相談してよかったんだよ」

「ありがとう、嬉しいな。じゃあこの誓約書にサインを」

「いいよ、待ってねすぐ書く……あっ予約の電話した方がいいか。和泉くん、精神科って激混みかな――」

 握ったペンが叩き落とされた。


 和泉が割込み、紫乃と榛名を引き離す。

 ペンが踏み砕かれてばきりと鳴った。

「サインしないで。読んで」

 有無を言わさぬ語気に圧され、紫乃は誓約書を手に取った。

「……あーあ。書きやすいお気に入りだったのに」

「すみません。無害なものか分からなくて」

「それは普通のものですよ。疑われるのは悲しいな」

 榛名が紫乃へと伸ばした手は、和泉に掴まれ届かない。

「……俺は呪具に詳しくないです。榛名さんの精神が本当におかしくなったか、別な人格の意志で喋ってるかくらいしか予想がつかない」

「正真正銘、この身体は榛名はるな彩乃あやの本人です。おかしい、なんて仰られるのは心外だ」

「まともな榛名さんは紫乃ちゃんを実験動物扱いしません」

 紫乃の足がもつれ、ペンの破片をまた踏んだ。

 和泉の発言と誓約書を反芻して、唇が震える。

「……うそだよね? あやねえ」

 ゆっくりと顔を上げ、見つめた先の榛名が微笑む――

実験動物モルモットなんてとんでもない。あなたの身体はたいへん希少な第一例。礼儀を尽くして扱いましょう」


 紫乃の脳内で、美しい化物の言葉が蘇る。

『貴方の身体はきっとこれから、人から不死への変化を辿ってゆくわ。それは格好の研究材料になるでしょう。あたし達の感情としては、一刻も早くこちら側に保護したい』

「血液や組織、臓器はもちろん髪の一本や爪の先まで何ひとつ無駄にしないとお約束します。彼女が不死者に近づく過程、不死化変異を完全にするまで一片たりと価値のない部位は無い。もし不完全なまま亡くなることがあっても、学術史で永遠に残る標本となる」


――目の前の姉のようなものは、本心から紫乃を研究材料として見ている。

 紫乃の顔色は青を通り過ぎて白い。なおも榛名は畳み掛けた。

「紫乃さんと二人にしてください。彼女の尊厳に関わりかねない繊細な問題です、部外者のあなたにはお引き取り願いたい。こちらは研究協力を依頼させていただく身として、誠心誠意ご説明する義務を蔑ろにするつもりはありません」

 友好関係を示して差し出された手がまるで異物だ。

 握手を避けて倒れかけた紫乃を支え、和泉が「落ち着いて」と囁く。

「……フシシャ、の話は分からないけど、ここに居たらきっと良くない」

「う、ん」

「走れる?」

「……走る。大丈夫」

 和泉が紫乃の手を取って、研究室から逃げ出した。


 後を追った榛名の足がもつれた。廊下で転んで、涙目のまま二人を睨む。

 小さくなっていく背中を――遮った、怪我人を心配して手を差し出す隊員の面々に、榛名の表情が明るくなる。

「……ねぇ。あの女の子を捕まえてくれない?」

 引っ張り上げられ身を起こし、借りた手をそのまま両手で包みこむ。隊員との身長差から自然と見上げる格好となり、上目遣いの懇願に彼がみるみる頬を染める。

「実験に協力してくれる約束をしてたんだけど、急に嫌だって言い出して困ってるの」

「……そ、う。なんですか?」

「捕まえてくれたら、ボクが何でも願いを叶えてあげるよ?」

 榛名がちらと、呪具の詰まった袋を見た。

 聞き耳を立てていた隊員が割り込み、控えめに手を挙げる。

「それは、あの……榛名さんにしてほしいこと、とかでも……?」

「? ハルちゃんに? うん、何でもいいよ」


 階段を一階まで駆け下りて職員通用口を目指す。

 紫乃の提案した避難先、喫茶店までの近道だったから。

「……どうして、雪平さんが助けてくれるの?」

「……頼れるひと、店長さんしかわかんなくて……ごめん、わたしも話ややこしくて理解できてないから着いてから説明――」

 人通りの少ない廊下に足音が満ち、「居たぞ!」と声が響く。

 捕まるまではあっという間だ。

「悪い、和泉……!!」

「本当にごめん許してくれ……! でも約束破るのよくないぞ!!」

 和泉の身体はたくさんの大人に押し潰された。紫乃も腕を捻られ身動きが取れない。

 積み重なる大人達おもしに肺を潰されながら、僅かな呼吸で喉を震わす。

「……榛名さんの用事、俺だけです。その子は離してくれませんか」

 紫乃から見える和泉の手が、拘束された陰で出口を指差す。

 走って、ここから逃げてと。

「女の子を捕まえて、って聞いたけど」

「俺、が――……女の子だったころに関係する、みたいで。言い間違いですよ」

 紫乃を押さえる力が緩んだ。振り払えば突破できる。が、和泉を置いていくことになる。

――似たような状況で躊躇して、結局二人とも捕まりかけただろう。

 鏡の声の幻聴が紫乃を急かす。

 奥歯を噛み締めた。睨んだ爪先に人影が落ち、――紫乃はその希望を、見上げた。

「ちょっとセンパイがた、廊下なんかで大のオトナが団子になって――……マジで何してんの? 鬼ごっこ?」

「カザミン先輩!!」

「よっす紫乃ちゃん。榛名センセに用事?」

 任務終わりの血の匂いを纏う風見が、紫乃を見て、山積みに重なる先輩隊員らを見て、最下段で潰れる和泉に目を剥く。

「あんたら自分の体重分かってんすか!? 病み上がりの後輩相手に何やってんだよ!!」

「落ち着け、あのな。ちょっと事故ってこうなったけど、和泉を虐めようとかそういう話じゃないからさ。連れて来てって頼まれたから捕まえてるだけで」

「あーもーいいから!! そこ退いてから話せオッサンども!!」

 一人、二人、廊下にべちりと引きずり下ろす。

 負荷が減って、和泉の肺に酸素が戻った。風見を見上げて深呼吸する。

「……ここから逃げたいんです。助けて、くれませんか」

 声は、震えた。

 風見はすこし不思議がってから、得心がいって笑う。そしてそのまま、

「良いぜ、もちろん」

 大人たちの目の色が変わり、風見が最後のひとりを蹴落とした。

 二人の足音を背にしながら、追っ手を後続に投げつけ数人まとめて廊下を転がす。脇を抜けようとした一人を捕まえ引き倒し「つーか、何でそんな必死なんすか?」「俺が榛名先生すきなの知ってんだろ風見ぃ! お付き合いできるチャンスなんだよ!」「正直に言っちゃえばよくね? 榛名センセ恋人いねーし、欲しいらしいし」「……出来てたらこんなとこで泣いてねえよ!!」「ごめんごめん、オレもついてくからさ、榛名センセとお喋りするとこから頑張ろーぜ? な?」

 風見の預かり知らぬところで一人、嘔吐いて倒れた。

 相手が北支部の身内にも関わらず容赦がない。察しはつきながらも顔を確認して「げっ」予想通りの加勢に風見の表情が歪む。

「……吐かせたもん掃除すんの棗サンっすよ。オレ知らねーから」

「自分の汚物ぐらい自分で片付けたら? いい大人でしょ。……風見、刀はあるね。帯刀許可出すからあいつら護衛しに行って」

 風見の疑問符に構わず、上官はただ急かすだけだ。

 榛名――その中身は榛名でなく「白幡遊」が検体の捕縛のため、誘拐事件と同様に荒事屋を放っている。棗の任務は紫乃ら不死者の幼体の護衛および遊の身柄確保だ。

 もう一人、遊の身体に入った榛名を救出する人間側から連絡が無いことを確かめ、順調らしいと端末を仕舞う。

「殺しはすんなよ、人間相手だろうから」

「げ、マジ? うっわめんどくせぇ……つか棗サン休職指示。いいんすか?」

「許可済み。僕、あいつのツラ死ぬほど見たくないから。顔面ボコされたくなきゃさっさと走って」

 僕の名前出すんじゃねぇぞ、と。恫喝に背中を押された。


「えっと――……オレは事情よく知らねーけど、『二人を守ってやってくれ』って親切なヒトから頼まれたの。良くね? ダメ?」

 風見が曖昧に笑いながら、息切れの酷い紫乃を背負う。打ち据えた破落戸ごろつきを跨いで和泉を助け起こした。

 和泉は表情を引き締め首肯した。状況は分からなくとも、協力は心強い限りだ。

「イズミちゃん、まだ走れそ?」

「走れます。……喫茶店まで行きたいんですけど、大通りを回った方が安全ですかね?」

「逆に最短で突っ切っちまった方が楽じゃねえ? 鬼ならともかく人間なんだし、表だろうが仕掛けてくる……そうだ紫乃ちゃん絶叫系ムリ? グロいやつ見れる?」

「……グロ耐性はあると思うんすけど、ナマのモツ見たことないんでわかんないっす」

「じゃ、着くまで目ぇつむっててな。振り落とされねーよう掴まってくれりゃいいから」

 紫乃が頷き、しがみつく力を強めた。

 目的地への最短距離。路地を見つめる和泉の不安を、風見は笑って蹴飛ばした。

「心配すんなって。オレが全員どうにかすっから」

 請負う声は頼もしい。

 対照に、和泉は泣きだす寸前だ。

「……俺、風見さんに親切にしてもらえる理由、なんにも無いんですよ。なんで、」

「? 関係ねーじゃん。オレが好きなコ放っときたくねーだけだし」

 走りながら追手を蹴倒し、自身の弱り様を思い出した風見に苦笑が漏れる。和泉の反応も頷けた。だってそれほどに落ち込んだから。

 それでも、諦めきれない思慕をひっくるめて笑いに換える。

「やっぱこう、ジメッとしてんのオレらしくねーし。あれからマジでぜんっぜんダメでさ、やめだやめ! って」

 和泉の告白の返答を都合よく忘却したわけでも、まだ望みはあると認知をゆがめているわけでもない。

 大丈夫、と。まだ涙目の和泉をのぞき込む。吹っ切れていると解ってもらえるように。

「好きって気持ちだけでこんなにアガるじゃん? だったらホレたもん勝ちだろ」

 真っ直ぐな好意が伝染して、白い頬には朱が滲む。

 じわじわと逆上のぼせていく和泉に追い打ちをかけて、あっけらかんとした声が愛おしげに弾んだ。

「好きだぜイズミちゃん! 怒ってても可愛い顔とか怖がりなとことか、妹ちゃんの話になるとよくわかんねーこと言い出すのも、ちょっと呆れたやさしー顔も、なに見ても好きしか出てこね――くらい好き!」

「か、……っ風見さん!!」

「はは、かーわいい。照れてら」

 路地を塞いで前に二人、背後にナイフ持ちが一人。念のためと和泉に警棒を投げ渡した風見が前方に突っ込み、和泉が振り向いた時には既に二人が伸びている。

 和泉の手首をぐいと引いて路地から遠ざけ、残る一人に刀を抜いた。「舌噛むなよ」と紫乃に囁く。

「そーゆーのナシにしたって友達じゃんか。紫乃ちゃんもな。助ける理由は充分じゃね?」

 立合いの無音に、砂利だけが音を立てた。


 地面に伏せる二人にはまだ息があった。風見の隙をつくため頷きあい、形勢逆転を狙って呼吸を殺し――すぐそこへ忍び寄った靄に目を留める。

 束の間の冬晴れは、分厚い曇天に変わっていた。

 地面を這う霧は瞬く間に彼らを包む。

「カザミン先輩、これ以上はわたしが惚れる」

「悪り、紫乃ちゃん。オレ女のコは対象外だから!」

「知ってるよ。知ってるけど罪、――?」

 ナイフを取り落とし、目の前の敵が倒れた。

 紫乃の戸惑いも長くは続かない――風見の膝がかくりと折れる。

 倒れていく風見から慌てて離れた。頭を打つ寸前で抱き留めた身体がずるずると地面に近づいていく。

 紫乃の見回した景色が、白く煙り始めていた。

「……なにこれ、霧?」

「二人とも怪我してない!? 風見さんは、」

「無事! だと、思うけど……」

 風見の顔をのぞき込んだ。


 健やかな寝息を前に、二人で顔を見合わせる。

「寝ちゃっ、た」

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