11-6

 諭されてすぐ「分かりました」と辞められました、などと――潔い幕引きだったなら、話も早いが。

 代行屋と関係無くとも、狭間通りに向かう用事がほどほどにあるらしく(ヤク中ではない)、顔を隠して通う道すがら、細々とだが依頼が舞い込む。そういうものを、時おり引き受けているようだった。

 俺はあれに足を洗えと言ったが、徹底して厳守させる義理は無い。失敗するならするで構わなかった。そこで生まれる悩みなど、あれの荷物をどうまとめて廃棄するかという程度だ。

 不在の夜は減っていた。朝日に照らされたソファに、毛布の塊を発見することが増えた。本人は毛布の中で丸まって寝ていた。そういう寝相だと知った。


「……彼、は?」

 常連客が、あれを凝視して言葉を失っていた。

 異類対策本部北支部、支部長職を異例の若さで拝命した男だ。齢に似合わない年季を刻み始めた青年の顔を眺めながら、視線の意味を考えないようにする。

「新入りのバイトだ。掃除係とでも思ってくれ」

 他者の人生を覗き見るのが趣味の男だ。入職経緯も聞きたがるだろうと身構えていたが、予想は斜め上に裏切られた。

 男が目を伏せる。心底からの安堵と、痛みを堪えるに似た苦笑。

「……ありがとう。あの子を、すくい上げてくれたんだね」

 雨屋が男に目を留めた。指先を揃える綺麗な会釈は、他の客に向けるものと差異がない。

 こうも温度差があると、雨屋が淡白に見えすらする。

「知り合いか」

「僕も少なからず、彼の『技術』を求める顧客だ……と言ったら、軽蔑するかい?」

「あんた、出世にしたって早すぎるからな。褒められない絡繰りがあった方が驚かない」

「……ふふ。やっぱり正直だな、あなたは」


 ある深夜。玄関扉を叩き壊しそうな音で目が覚めた。

 ベッドから身を起こし、寝室の扉を見やった。その向こうに位置する廊下まで出て行くべきか迷い、気配の正体に思い至って眠りなおす。

 夜歩きから戻った雨屋には違いない。しかし、気味が悪いほど帰宅を気取らせない人間の挙動としては妙だった。目的地が定まらず、惑うばかりの足音が意味なく軋む。

 微睡みに揺蕩う頭で、一言だけ聞き取った。

「――……見付かっ、た」

 何にだ。

 過去に物騒な「飼主」でも居たのか――雨屋がヒステリックに詰め寄られ、包丁を向けられる想像をした。虚像がへらへら笑いながら刺され、妄想の霧散と同時に睡魔が襲う。

 平静を失った声が、寝惚けた己の見た夢かも分からないまま眠りに落ちた。


「……本日をもって、代行屋及び依頼殺人業の一切について手を引きますことを、ここに御報告いたします」

 渋いものを噛み締めた顔のまま、雨屋は三つ指をついて頭を下げた。

「もっと誇らしく宣言したらどうだ。それとも口先だけか」

「いいえとんでもない。しかしながらこれは、戦略的撤退とでも申し上げるべき決定でございまして……」

「慢心はどうした」

「心を入れ替えて励んで参ります」

 借りてきた猫のように縮んだまま、珍しくも言葉少なな様子が見られた。次の日には元通り、中身の無い笑顔を振り撒いていたが。

 ただ、廃業宣言を翻すことはなかった。

 雨屋はほどなく物件の審査に通り、荷物をまとめて俺の部屋から出ていった。



 見込み違いは二つだけ。

 案外にあれが店に馴染んでしまったこと。作らせたデザートがどれも好評で、製菓担当として惜しむ声が多かったこと。

 役割相応に、給料は上げた。


 ■


 地下へと続く階段に、規則正しいハイヒールの音が響く。

 公にできない凶悪犯罪者や、人間の枠をはみ出した不死者――ある事件で人喰鬼と呼ばれたモノなど。不都合なものを影に押し込めるための無機質な独房は、現在ふたつ埋まっている。

 羽住がひとつの房で立ち止まる。入口の鉄格子から窺える景色は薄暗い。

「邪魔する。睡眠中すまないな」

 呼び掛けよりも早いか、雨屋がにこやかに顔を出した。

 伸びた前髪の隙間からのぞく気安さは、羽住の冷徹な眼差しにも怯まない。

「ご機嫌麗しゅう羽住さん。私めにお気遣いは無用に御座います、何なりとお申し付けを」

「食事と診察を除いて四六時中午睡を貪る貴様への皮肉だ」

「あれ」

 驚いてから、眉を下げてふかふか笑う。棘を刺しても手応えがない。

 羽住は早々に相手をやめ、携えた封筒の紐を解く。

 分厚い書類はすべて、死神と呼ばれた殺し屋の悪事の資料だ。

「貴様という人間の出自、経歴……暗殺者への就業、離脱、再帰まで。全ての犯行を含め洗い出した。結論として、貴様の挙動には不可解な点が多く残る」

 執念深く、塵ひとつ残さず罪状を網羅した資料。それでもなお残る疑問と謎。

 一度は完全に縁を切った暗殺家業へ復帰した理由。

 それは、資料の作成者も考えなかったわけではないだろう。だが彼は――棗は、その核心に迫ることはなかった。

 核心に迫る手掛かりが、棗の毛嫌いするものだからか、それ以外かはあずかり知らない。棗の天邪鬼に辟易する羽住としては「知るか」という心持ちだ。

「貴様、先祖返りだな?」

「それは……申し訳ありません、どういった?」

「……過去に何処かで生きて死んだ、ひと綴りの生を自覚し、断片的でも記憶を保持する人間の呼称だ。前世持ち、と言えば早いか」

「えー……と、……」

 見知らぬ概念を飲み込むのに数分、自身がそれに該当するのか長考してしばらく。あやふやな回答を口にする躊躇いも捨てきれず言い淀んだ。

「……一応、答えは是と」

「一応? ……まあいい。続けるぞ」

 問いは確認。先祖返りに相当する証拠は幾らか揃っている。

 追及をはじめる声色は、逃げを許さず冷えている。

「棗陽介の要求は、貴様という犯罪者を法に則って裁くこと。なれば罪状は公平な第三者の立場で判断される必要がある。……さしあたり、私は貴様の弁護人だ。貴様という人間について。そして犯した事件について、詳らかに語る職務を負った。

 貴様の挙動を理解する為には、『雨屋浩太』の経歴のみでは疑問が残る。ならば不足は貴様の『過去』だ」

 不可解な殺し屋の行動に、整合性の糸を通すひと針。

 故に問おう、と。雨屋を冷静に見据えながら尋問をはじめる。既に緊張感の緩んできていたその表情が、


「貴様、安岐和泉の『父親』か」

 誤魔化しようもなく固まったことを、確かめながら。

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