11-2

「女性の好みが似通っているのでしょう。お兄さんとは、美味しいお酒が飲めそうですね」

「…………一切合切お断りだ」

 放り出したはずの厄種は、ヒモとして拾われていたらしい。

 望まない再会は数日後。最寄りのスーパーマーケットだった。精肉売り場でその笑顔を見た瞬間、吐き気を覚えて身構えた。

 どういう事情かと。痛む頭を抱えて説明を求めたのは、己が先だ。

 買い出しを共にする流れを作ってしまった点は致し方ない。

「ええと、ご心配には及びません。お兄さんと私は、穴兄弟ではありませんから」

――一体なに心配して声かけたと思われてるんだ俺は。

「お、……っ前、なぁ……!!」

「……あら、違いましたか?」

「っ……お前が俺を何だと認知しているのか、から問い質したい所だな。あまりふざけたいようなら警察を呼んでやる。そっちとやれ」

「それはとても困りま……お兄さん。トマトをお求めでしたら、こちらなどいかがですか」

 噎せながら、物色していた売場のひと袋を選ぶ手を見た。

 野菜の目利きが一致した――ただそれだけの事が、ここまで受け入れ難いことは初めてだ。

「私が申し上げることではありませんけれど。お兄さんも、まともなお勤め人という風情とは違っておられますね。まだお八つの時間ですよ」

「……ああ、そうだな」ヒモ男と同列というのは我慢してやる。


「お兄さんのお顔は、ホテル街で何度かお見掛けしたことがあります」

――おかしな話ではないのだ。男娼こいつにとっての仕事場なのだから。


 そうは言え、驚きはするが「ええ。貴方のお顔はよく目立ちますよ、色男さん」嬉しくないから黙ってくれないか。

「タイミングの所為ではあるのでしょうけれど、ああして日替わりランチなどなさっていれば印象にも残りますゆえ……とはいえ、浮浪者が偽兄弟ぎきょうだいという可能性はご気分の優れないものかと思いまして」

「…………俺はそんな事に興味は無いし、ご気分が優れないのはお前からの余計な世話のお陰だな」

「それは出過ぎた真似を。失礼いたしました」

――こいつに苛立つのは、同族嫌悪なのだろう。浅慮にも享楽を優先して、不特定多数と奔放に関係を持っていた若気の至り。過去の己を直視しているようで。

 いい加減、遊びも潮時だと自覚した。異性関係の清算をしている理由はそれだけ。ただ、店を口実にしたのも嘘ではない。けじめをつけないままでいて、営業に支障をきたす事態は避けたい。

 真っ当に生きると決めた。その瞬間から、過去は後ろめたい汚点と変わった。

「俺の来歴は、誰にも他言しないで欲しい」

 虫がいい頼みだ。

 確かに己は、自分の意思で快楽を選んでいた。己がどんな不利益を被ろうと、放蕩尽くしの不義理のツケが回ってきたというだけであるのに。

 これまで別れてきた相手のうち何人か、約束を反故にすることもあるだろう。感情は儘ならないもので、この世に「絶対」は無い。秘密にしようとしまいと、己の過去も変わらない。

「広めて欲しいと仰るならまだしも、『言うな』と頼まれたことを口にはいたしませんよ。ご不安でしたら、証文でもお作り致しましょう」

 だからこそ、というか。

 安直な肯定を素直に信じられないのは、己の性格がひねている所為なのか。

「……証文? ふざけてるのか」

「信用されておられないようですから。浅はかながら、お兄さんにご安心いただける提案をと思案した結果です」

「当然だ。お前が法的根拠のある書面を作れる顔には見えない」

「あら、不思議なことを仰いますね」

 そちらが愉快そうにしている意味の方がよほど分からないが。

「法的な拘束力の如何は問題ではありません。書面の意味なんて、お兄さんが安心出来さえすればいい。それだけでしょう?」

「……つまり、拘束力のある書面は作れないんだな」「当たり前ではありませんか」もうひとつ、苛立つ理由が腑に落ちる。

 単純な話、馬鹿にされていると感じる――口約束では安心できないと駄々をこねる幼子を、指切りで安心させようと宥めるに近い語調が。

「俺が、お前との口約束を信じればいいんだな。それ以外に何の意味も無い証文なら、態々作らなくていい」

 売り言葉に買い言葉を返したような気もしている。これが男の計算だというなら、罠に嵌った己はいいカモだろうが。これ以上の会話を交わしたくもない。

 レジに通した食材を袋詰めしながらも、耳に入る流暢な敬語がちくちくと障る。己でも見たことがない癇癪が顔を出しそうになる。

 何がそうまで神経に障るのか、冷静に自分を問い質したいくらい気が立っていた。

「『口を滑らせないか不安だ』と、顔に書いておられますよ」

「口が軽そうに見えるからな」

「顧客情報は遵守いたしますよ。お兄さんとてお馴染みの『作法』でしょう? ……ああ、そうですよね。ご清算なさっているのでしたっけ」だから、そういう所もだ。態々わざわざつつく必要も無い話だろうが。

「切れていない残りは一人だ。余計な心配には及ばないから帰ったらどう――」

 男の持っていた小麦粉が台に落ちる、鈍い音が最初。

 ゆっくりと傾いていく身体が、どう見積ってもおかしな角度だと気付いた瞬間、支える手が出た。

「お、……前っ!? 危な、」

 腹が薄い。全体重を支えているはずの腕に、さほどの負荷を感じなかった。異常なまでの軽さにぞわりとする。

 男は直ぐに正気に戻った。俺の腕を解いて、へらへらと礼を述べる。

「大丈夫、ただの立ち眩みです。貴方のお手を煩わせは致しませんよ」

 常が白いと(普段の白さなど知らないが)、顔色の悪さが判断しづらいのかもわからない。不便そうだなと、月並みなことを返した。

 不思議な事だが、男と鉢合わせる事故は、それきり二度と起きなかった。

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