1
北方の地方都市――観光史跡と桜で名高い街は、早くも冬の冷気を纏いはじめていた。木枯らしが秋を攫い、色めく紅葉を散らしゆく。
そんな風情も縁遠い、放置されたビル群ひしめく夜更けの路地で、銃声が響いた。
コンクリートに血飛沫が吹き付ける。
『ごめん、終わったよ』
「は!? ちょ、なぁすばる速すぎねぇ!? 仕事人かよ怖ええよ!!」
『狙撃に気づいてなさそうだったから。……位置、座標送るよ。僕は先に診てるから』
通信が途切れる。
深緑の隊服を着崩した、赤みの茶髪の男が振り向く。――狙撃手が待機していたはずの方角へ走り出しながら、端末の位置情報を確認した。
「体表の目視、触診に限れば変異は軽微。でも呪力の暴走閾値は越えてるから、中味のほうが末期なのかもね」
防護マスクを装備した
淡々とした報告を、遅れて現着した
脳漿と血液、砕けた頭蓋から飛び散った中味がコンクリートを飾る。掃除には骨が折れるかもしれな――
「……――っ、と」
一閃は、声より速い。
首の断面から血が
風見が刀の血を拭い、呆れつ鞘に納めた。
「ヘッドショット決めてもまだ動くかよ……」
人のそれが硬化した表皮の腕は、氷崎に届く前に力尽きた。血飛沫がぺしゃりと跳ねる。
人とさほど変わらない見目ながら、人には過ぎた力を行使する「異類」。化物と同列。通称を鬼。「願い」に対する「結果」として肉体が強壮に変化した、人にとっての――元々は人間だった――暴力的な脅威。
その身を
黒の死体袋は大小ふたつ。首無の死体でひとつ、
「すばるー、今日メシどうする? オレ牛丼がいい」
「行くの? いいけど」
「ちょ、任務終わりいつも行ってるだろ!?」
「そうだけどさ。今日お兄さんいないし、どうするつもりなのかと思ってただけ」
氷崎は、手元の死体袋を目の高さに持ち上げた――和泉が以前していたのと同じように。
たぷりと、重い水が動く。
水気を通さない死体袋は、
『……ごめんなさい。あなたは何も悪くなかった、から』
首級を袋に納める前。目を見開いたまま事切れた鬼の瞼を下ろしながら、和泉が呟くのを聞いた。刻々と重量を増していく首級へ、暫くの弔いを傾ける横顔も。
「それとなすばる。これだけは言っとくけどな」
「?」
「こないだの任務帰り、オレが報告上げてる間に後ろで仲良さげに話してたのしっかりバレてるからな。いい雰囲気作りやがって」
「仲良くないし、何も言ってないよ」
「嘘つけ。イズミちゃんのこと褒めてたろ聞こえてんだかんな」
「……別に褒めてもいない」
市街から離れるよう誘導しつつ、追い込む役目がほとんどだが――和泉は少しずつ、駆逐任務で受け持った仕事を果たせるようになってきていたから。
誇張なく事実を述べただけ。結果、いかにも風見が好みそうな砂糖漬けの笑顔が返ってきて、ひどく胸焼けがしたのも事実だけれど。
「うっ、っっそじゃん……じゃあ何であんな嬉しそうな顔してたんだよ……すばる頼むから口説くのやめて、オレ勝ち目無え……」
「それ以上根も葉もない想像するなら話題切ってもらっていい?」
「……じゃあ何でお前やたらモテるんだよ。メガネ? その黒縁メガネか? なあってばすばる」
化物殺しは、性格の適性からは逃れられない職種だ。
高給に惹かれて学生入隊した半数は一年以内に辞め、就職して正隊員になる人間となればさらに減る――風見はそのクチの少数派だ。氷崎は大学に通いながら学生隊員を続けているが、駆除に引け目を感じたことはない。
元から、和泉の入隊は事情があってのことだ。辞めるのなら良い頃合いではある。
「すばるー? おーい」
「この話まだ付き合わなきゃいけない?」
「聞いてすらくんねぇの!?」
「できればやめたい」
「、……ごめんな!!」
「うん、ありがとう」
「ところでメシ。何食いてえ?」
調子のよいロゼピンクの垂れ目が氷崎を捉え、ついでに話題を引き戻す。
「……蕎麦がいいかな」
「んじゃ駅向こうの牛丼屋な。あそこならソバも食えっから」
隊服の背が二つ、小路の闇に溶けていく。
濃灰に緑を重ねた
薄灰のカーペットに珈琲が染みていく。
陶器が重い音を立てて転がる。テーブルからまだ、ぽたぽたと雫が落ちていた。
床で深々と土下座した和泉に、養父母が顔を見合わせる。
彼らの焦りは、目の前の子どもにどう頭を上げてもらうかということばかり。養父の手から滑り落ちた陶器も、刻々と広がる黒い汚れにも、とても気付けそうになかった。
「お
珈琲の染みは、きっと落ちない。
■
和泉の出立の朝は、気の早すぎる寒波に見舞われた。
キャリーケースの中身を布製の旅行鞄に入れ替え、荷物を抱えて駅へと走った。粉雪と薄氷に足を取られながら、予定の列車に駆け込んで、やっと息つく猶予を得た。
車窓の景色は白から茶、茶から灰へ。トンネル区間で轟音を挟んで茶に戻る。
一面の田畑が広がる故郷は、北よりもずっと静かな土地だ。
降車した駅に、彼以外の利用客は誰一人いない。売店もなく閑散としたホームに背を向け、改札への階段を下りていく。
養父母の姿と、もう一人。すらりとした長身の女性が見えた。
「久しぶり。背、伸びたんじゃない?」
従姉の手のひらは、彼女自身のつむじから、和泉のつむじに下りてくる――身長はまだ彼女に届かない。
数年前、大学進学を機に中央へ越した従姉とは、中央本部での訓練生時代に偶然本部内で再会した。彼女の就職先が本部、それも研究員と知って驚いたのは記憶に新しい。
「もしかして、俺と同じ、里帰り?」
「当たり。そうなんだよね、偶然。おばさんの車、ちょうど修理に出してるみたいでね。暇だったから運転手なんて申し出てみたの」
驚くうち、手から荷物が消えていた。「足下、気を付けて」助手席のドアを開け、戸惑う和泉を誘導する。
トランクに旅行鞄を積み込み、養父母の乗車も確認して、赤い車は勢いよく排気を吐いた。
実家を避けていた期間で蓄積していた遠慮は、従姉の機転でうまくほぐれていった。外食の席を囲み、帰宅する車内では、気負いなく笑えるまでになっていた。
それを壊すことを、躊躇わなかったわけではないけれど。
静かに難色を示しつつ、固い意志だと手に取る反対が、和泉の神経をざらりと撫でる。
養父母から交互に続く言葉には終わりがない。途切れ途切れに掠れながらも、我が子の返答を待つ気配は無かった――悠長に待っていては返事もできない。
浅く呼吸を整えた。
「正隊員になるのは認められない。学生隊員とは話が違うんだよ。一度就職したら簡単には辞められない」
「辞めるつもりはないです。嫌なら辞めればいいなんて気持ちで目指してません。一生続けたい覚悟があるから話し合いに来たんです」
「いつ死んだっておかしくない職業でしょう。一生なんて、簡単に言わないで」
「それは対策部に限った話じゃあないです。確かに危険は多いけど、だからこそ真面目に、厳しい訓練を積むんです」
「……きっと、学生入隊のうちはわからないような非難にも晒される。対策部に好意的な人は、多くないから」
「そんなことくらい、」
やめろと念じていた口が、滑る。
「二人がずっと言ってるようなことは、全部、いっぱい見てきました。俺の方が分かってます。その上で考えたんです。初めから本気だよ。……さっきから、何を説明しても聞いてくれてないよね。ちゃんと向き合ってくれないのは、そっちのほうだ」
実際に北にいた。隊員として見てきた。一年、あの場所にいたから憧れた。
対策部と何一つ関わりのない両親に一体何が解る。――隊員には見えない、他所からなら見える現実なんて、あるわけがない。
「……和泉。そんなの、……初めから反対してたよ。ずっと」
――届かない、予感がした。
声を届けられない人は、いる。動かされたくない、触るなと。聞きたくはないと。かたくなに拒絶する人がいる。
俺という奏者は、拒まれた相手に「聴いてもらう」術を持たない。心を傾けてもらう方法を知らない。
為す術の無い硬質な感触が、いま目の前で、俺の言葉を弾いて落とす。
「危ないことは止めてほしい。たったそれだけの理由。親として反対しているのは、まだ、学生入隊を反対した気持ちの延長だよ。あなたの話に納得できない理由も同じ」
必要以上に心配する視線が苦手だった。
か弱い子どもの枠に押し込めて、自分たちの手の届くところに置いておこうとする意図が、昔からずっと絡み付いていた。
小さい子にするような庇護が苦痛で、良い子であろうと行動して「子どもじゃない」と言い続けた。我儘なんて言わないし、意見があるなら話し合った。綺麗な言葉も頑張って勉強した。それなのに――この人たちは、俺から手足をもいでいこうとする。
安全かもしれないけれど、そこには自由も無い。
この人たちの目に「俺」は映らない。大人の手がないと生きていけない、守ってあげたい子どもの幻想を重ねて、俺をその形に矯正したいだけ。
「急いで将来を決める必要はないと思う。進学して、その先を考えてからだっていいじゃないか。大学を卒業してからだって、入隊は出来るよ。一年、……たった一年しか北支部にいないのに、何が分かるっていうんだ」
でも、そうか。見てくれないのは、当然だ。
「……そんなの。俺が何年いたって、納得してくれないんでしょ」
あなたたちが欲しかったのは、何にもできない「私」だもんね。
「……それは違うよ。和泉、違う。聞いてくれ、」
「違くない。今だって、……当ててみせようか。二人が俺に、どうして欲しいと思ってるのか」
うるさいほどに『聴こえている』。
耳を塞いでも止まない耳鳴りを、その通りなぞるだけ。
「『こんなことになるなら、学生入隊なんてさせなかった。和泉が女の子だったらよかった。私たちの手元から離れて欲しくない。あの頃に戻って欲しい』……違う?」
重い塊をようやっと喉から押し出す。ぼろぼろと、余計なものまでこぼれ落ちていく。箍の外れた感情が、知らない誰かのものみたいだ。
自分の言葉に吐き気がした。
涙目に歪む視界を鋭く研いで、養父母へ向けなおす――
「……昔はもっと、私たちに笑ってくれていたから」
悲しそうな顔をしていた。
息が詰まる。僅かに冷静な部分が頭をもたげる。眼前の悲しみに共鳴して、心が軋む。痛い。咄嗟に頭を冷やそうとする、けれど。
「男の子になるまでは、そうだった。……女の子のままで幸せそうだったでしょ。どうして。本当は男だってことにしてもそう、ずっと言ってくれなかったのにいまさら、」
「――っ勝手なこと言うな!!」
それだけは認められなかった。
事実を歪めるな。改変するな。――覚えている。可愛い冗談だろうと何度も笑ったあの顔を、一生忘れることはない。
笑っていてほしいと言われた。笑えない時は、悩みを聞くから相談してねと。
言ったところで取り合ってくれなかった。受け入れてくれた例が無いのだから、実質、幸せの強要それ一択だ。ここまで意味の無い二択がどこにある。
「俺はあなた達に伝えたことがあります。私じゃない、俺だよって何度も言った。聞いてくれなかったのはそっちの方だ。都合よく勘違いするのやめてよ、俺はちゃんと覚えてる! 誤魔化そうとしないで! ……っ馬鹿にしないで!!」
言えなくなったのは、口を塞がれたからだ。幸せそうに見えていたのは、そう振舞うしか無かったからだ。笑顔を要求されていたからだ。
「俺」はこの世に一人きりなのだと。嫌というほど教え込んだのは、あなた達だ。
澄み切った冬の空、
ほとんど解いていない旅行鞄を引きずり、薄氷の張った黒い路面を辿る。涙が止まらない。濡れた顔だけがいやに熱い。真っ赤な手で涙と鼻水を拭う。鞄を握ったまま、指の関節が凍っている。
ずっと頭のどこかにあった違和感を、激情任せにぶつけてしまった。
家族のことは嫌いではない。愛してもらった。楽しい思い出の方が多い。でも、それは全て「私」の存在あってのものだったのだと思い知った。
養父母にいやな気持ちを抱いているのが悲しい。きっと嫌われてしまったことも悲しい。大事だった思い出も、そのうち捨てなければならない。
戻れはしないだろう。
手を振り払ったのは、自分なのだから。
道路標識を見上げ、黄色に点滅する一つ目の信号機を通り過ぎた。
辛うじて町だった景色は、放棄された田畑に変わっていく。どこまでも真っ直ぐに伸びるアスファルトを踏み続ける。
どれほど歩いたころか――道の先に、赤い軽自動車が停まった。
身構える和泉に、従姉は首を横に振った。
「駅まで送っていく。乗って」
「え、……」
「私も、ついさっき職場から呼び戻されたところだから……そうでなくともこんな夜遅く、車でも三十分はかかる道を徒歩では行かせられない」
かたく凍った手を開かせて、荷物を持ち上げる。立ち尽くす迷子の手を引く。
その足が一歩を踏み出すのを、根気強く待っていた。
「……ありがと、ございます」
礼ができたのは、後部座席に腰掛けてからだ。
従姉はやさしく微笑み、冷え切った身体を抱き締める。「私は和泉の味方だよ」と、小柄なペットボトルを差し出した。
蓋を開けて渡される。飲み口から、檸檬の湯気が立ち上っていた。
「好きな飲み物じゃなかったらごめん。車あっためるから、少し待ってて。……おばさんたち、追ってこないと思うから」
ドアが閉まった。再度エンジンの音が響き、ミラーに根を張る薄氷が削られていく。フロントガラスの氷が溶けて視界が開け、曇る窓の外側を、氷の粒が滑り落ちた。
柑橘のやわらかな甘さが喉を温める。指先まで、安まる心地がした。
「今から行っても、始発まで待ちぼうけでしょ。そういうこと、考えてる?」
「……どうせ急いでも、明日しか行けないから。夜通し歩いて、朝までに駅に着ければいいかなって」
「……あきれた、どうしてそう……和泉。聞いて?」
バックミラー越しに視線が合う。心配そうに、従姉の眼が
「和泉の身体は、和泉ひとりのものじゃあない。怪我なんてしたら私は悲しい。おじさんやおばさんも悲しむ。……あの人たちは、和泉のことをほんとうに心配しているからこそ、あんなに反対するんだよ」
――そんなことは解ってる。納得出来ないのはその上でだ。
何を言っても届かない。ずっと子ども扱いだ。彼らが和泉をそのように扱いたいからだ。いつまで耐えればいい。どこまで要求に応え続けなければならない。
「俺」を殺せば気が済むのか。
「俺」の見てきたものも、積んだ時間も、意味など無いと一蹴されたように思った。それは自分が養父母に望まれない形になったのが原因かと、悪意の想像が消えてくれない。
自身の感情で、在る実像を歪めることは、かつての母がかたく禁じたことなのに。
「おばさんもおじさんも、ずっと悩んでた。まだ気持ちの整理がついていないんだ、なんて言っていたけれど……和泉が選んだこと、本当は、認めてあげたいんだと思う」
悪意のノイズを取り除いて、普段の自分に調律して。養父母の表情と声を、再生しなおした。
車窓に雪の粒が張り付く。融けて、流れて、水の一筋になる。透明な筋が触れ合って、少しずつ形を変えていく。
養父母に抱いた不信のすべてが、主観で歪めた妄想だとは思わない。
同時に、――自分も結論を急いていた、とも。
「……今度こそ、落ち着いて話したいって言ったら、……会って、くれるかな」
苦い感情の咀嚼は不得手だ。少しずつ、整理をつけられそうなものと、そうでないものくらいは、見極めないといけない。感情のままぶつけてしまったものを、一つずつ。
どれほど時間が掛かるかは、分からないけれど。
折り合いをつけていけるだろうか。家族との適切な距離を、見つけられるだろうか。
もしかすると、覚悟の要ることかもしれない。これまで養ってくれた恩を、仇で返すような結論なのかもしれない――
車酔いに似たむかつきを飲み下して、ぼうっとしてきた頭を座席に預ける。心地よい揺れが眠気を連れてきて、ふわふわと意識が薄れていく。
瞼が他人のもののように重い。
窓に額をぶつけ、不意に外の景色が見えた。従姉の声が遠い。
「大丈夫。絶対に、仲直りできるよ」
こっちは、駅に向かう道とは違う――
■
「氷崎、いるか?」
北支部訓練棟。上背をかがめて隊室に入った
タイピングを止めた氷崎は、厚い掌が差し出す書面を受け取った。「足りねえとことかねえよな?」「はい。隊長職の記入欄、ここだけですから」「……ならいいけどよ」大学在学中に学生隊員を務めるための申請書類は、初年度に不備をやってごたついた前科がある。
「報告書、任せっきりで悪い。本当に助かってる」
「気にしないでください。机仕事って、性に合ってます」
最近北支部に戻ってきた
棗と個人的なコンタクトを取りやすいのも、仕事を最速で片付けるのも氷崎であるから――適材適所と言えば聞こえは良くとも、書類作製を最も苦手とするのが隊長というのも情けない話だ。
「棗さん、報告書の記載事項は纏めておいてくれますし。ほとんど打ち込むだけの仕事です。量が多いだけですね」
「……まだ終わりそうにねぇのか」
「そうですね。……多分明日の朝にはまた、一日分のデータが送られてきますから。そろそろ本人止めに行った方がいいですよ」
一枚を完成させたらしい。氷崎がチェックシートを開いて、ひとつを消した。今日処理を終えた報告書の数に、冬部の口が閉じなくなる。
次に取り掛かろうとする手を止めさせた。
不思議そうに見上げてくる氷崎に、ホット缶のカフェオレを渡す。
「今日はもう終わりにしねぇか。夜遅くなる前に、帰って休まねぇとなんねぇだろ」
作業の差し入れのつもりだったが、寒い帰路でカイロになってくれればいい。
帰宅を重ねて促すと、氷崎は訝しげに頷いた。ノートパソコンで開いていたウインドウを閉じていく。
「学校も忙しいんだろ。手伝ってくれるだけでありがてぇんだ、勉強の邪魔になんねぇくらいで頼む」
「邪魔になりそうなら断りますよ。手当だって出てますし。気を使ってるとかじゃありません」
「そもそも一人でやる量じゃねぇだろって話だ。手が空いてる奴に任せるとか、……仕事増やしちまうかも知れねぇけどよ、教えてくれりゃ俺にだってやれるんだから、あんま一人で抱え込もうとすんな」
「はあ、……まあ。不備探すのと修正の手間を考えたら、どっちもどっちって感じはしますけど」
「わざわざいい。俺が一人で事務方に怒られりゃ済むだろ。……付き合わせちまうあっちには迷惑な話だけどな」
とりあえず、明日の仕事の半分を回してもらうよう頼んだ。「それこそ無理のある量ですよ、多分」と諭され、減らされた。
氷崎は迷いながらも、小さく礼を述べた。
「仕事に関しては、お兄さんがいつ戻るかにもよりますけれど。冬部さん、なにか聞いてませんか?」
「……俺も気になってはいるんだけどよ」
実家というのも、連絡をはばかられる一因だ。
折り合いがいいとは頷きにくい家庭――というのは、和泉自身の生い立ちの特異さが関わる話でもあるが。
「十年、……娘だと思って引き取って育ててきた子供が突然息子になりゃあ、そりゃ驚くのは無理ねえよ。つったって、本人だってことに変わりはねえだろ。違うのか?」
「さあ、どうなんでしょうね。僕はそういうのよくわからないので」
さらりと流され、深追いするにも気が引ける。
押し黙っているうち、氷崎が矛先を向け直す。
「正隊員目指すの、冬部さんも反対したって聞いてますよ。お兄さん、しょんぼりしてましたから」
『もう少し、考えてみてもいいんじゃねえのか?』
力になりたい、入隊したいと目を輝かせる素直な学生隊員の希望に対して、いささか
返答を濁したことで気を急かせたのではないかと考えてはいた。フォローしようと悩んでいるうち、和泉は持ち前の行動力で、両親と話し合う算段を整えてしまっていた。
だとしても、手放しに賛成はできない。どうしても。
「……対策部なんて職、勧めてぇわけねぇだろ」
死傷者は珍しくない。遺書も書く。危険で外聞が悪く、相応に柄も悪い。真っ当とはとても呼べない職種だ。
いたいけな憧憬に目が眩むばかりで、影が見えていないのだと思った。そも対策部は、熱っぽい瞳で見つめられるような職ではない――有難がられる職であってたまるか。
血塗れた場所だ。首斬りに憧れるだと。馬鹿を言え。
中央で起きた鬼の大量発生案件以来、討伐案件に同行しても、和泉は体調を崩さなくなった。覚悟が決まった、とも聞いた。
だとしても、正隊員になる前ならまだ間に合う。引き返せる。
和泉はもともと、鬼を傷付けられない人間だった。命を奪うことを嫌っていた。対策部のザル同然な適性検査で不適格の烙印を押され、入隊を拒否されるほどに。
「……、」
生来の優しい気質を曲げた原因。自らを殺してまで対策部に志願した理由。
たったひとつ――「妹にさえ会えるなら」。他を全て捨ててしまえる人間だった。中央対策本部に自分の矜恃を売り渡して、万が一の賭けに出た。和泉はその為に北にいた。
結局それは、叶わなかったけれど。
北支部に居たことで、生来の気質を損ねてしまったのだとしたら――
「早く帰ってきてくれるといいですね。じゃあ、お疲れ様です」
氷崎はとっくに帰り支度を済ませていた。
隊室から出ていこうとする笑顔を前に、はたと我に返る。慌てて背中を呼び止めた。
「反対してんのは、お前にもだぞ。氷崎」
常々、伝えようとしていたこと。たかがバイト先の隊長ごときが個人の進路、将来のことに口を挟むのはどうなのかと。
ずっと距離感を測りかねて、伝えられていなかった言葉。
「
氷崎は背を向けたままだった。
無言の間がひどく長い。隊室の扉に手をかけ――顔が見える。
「はい。そうだろうなとは思います」
あっさりと。天気の話題でも流す気安さで笑う。
真意など一片と掴めずに
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