第4話 ごめんなさい

 光はとぼとぼ家に帰った。


 ちゃんと父のお酒は買ったし、ギリギリだが門限は守れた。


 古い貸家のドアを開ける。


 ゴミが散乱する廊下をそろそろと、音を立てないように歩き、居間に向かう。


 父が寝ていたら安全だ。どうか寝ていて······。



「おい、どこほっつき歩いてきた」



 ──起きている。


 光の心臓が速くなる。


 足が震えた。


 焦りと恐怖を出さないように、「お酒、買ってきたよ」と、日本酒の瓶をテーブルに置いた。


 父はいきなり光の腕を掴むと、自分に引き寄せて顔を殴りつける。


 鼻血を流す光の髪を無理やり引っ張ると、また顔を殴った。



「どこほっつき歩いてきたんだっつってんだよ!」


「ごめんなさい、ごめんなさい」


「謝ってねぇでちゃんと言え!」


「が、学校で、補習があって、ちょっと遅くなっただけ」



 光は莇神社の事を言わなかった。


 父は納得したかと思ったが、次の瞬間には光の腹を蹴り飛ばす。


 光が壁際まで転がると、父はずんずんと歩いてきて、光を何度も踏みつけた。



「俺の酒より大事か! 俺の酒買ってくるよりも! くだらない補習の方が大事か! あぁ!?」



 光は謝るしか出来なかった。


 頭をかばい、何度も謝るしか。


 弟たちは別の部屋にいる。それだけが唯一の救いだ。


 父の怒りが収まるまで、暴力に耐え続けなくてはいけないのがつらい。


 もう痛いのも分からない。

 もう何回謝ったかも分からない。


 光はとにかく、父の機嫌が直るまで、泣きながら謝るしかなかった。



「泣いてんじゃねぇ! 汚ねぇ顔しやがって!」


「ごめん、なさいぃ……」


「はっ、あの馬鹿女みてぇな面だな。あいつ、お前ら捨てて出ていったよなぁ。可哀想な奴らだよ。あんなクソみてぇな母親の腹から生まれてんだからよぉ!」



 父は顔が腫れた光を笑いながら、殴る蹴るを繰り返す。


 光はうずくまり、体を小さくさせながらやり過ごした。



 ふと、隣の部屋の襖が少しばかり、開いているのに気がついた。


 その隙間から、弟二人が泣きながらこちらを見つめている。



(······大丈夫。お姉ちゃん、大丈夫だから。絶対こっち来ないでね。お願いね)



 光は必死にそう願いながら、父の暴力に耐える。


 だが、弟たちは「お姉ちゃんを助けないと」と、隣の部屋から飛び出した。



「パパ! もうやめてよぉ!」


「パパ! 殴ったらダメだよ! お姉ちゃん死んじゃうよ!」



 弟たちが父の足にまとわりつく。


 光は「ダメ!」と叫んだが、もう遅かった。


 小学生の弟たちは父に振り払われて、首が捻れるほど強いパンチを喰らう。


 二人とも大きなアザを顔につくり、口から血を流してわんわんと泣いていた。


 父は「うるさい!」と叫んで蹴り飛ばす。光はどんどん青ざめていった。



「そんなに姉ちゃんが大事か! 俺のことを無視しやがって! お前らから先に殺してやる!」



 父が弟の一人の首に手をかけた。


 光は咄嗟に飛び出して、買ってきたばかりの酒の瓶で、父の頭を殴った。


 けれど、力が上手く入らなかったのと、人を殴る恐怖で、あまり強く殴れなかった。


 父の目が、血走った目が光に向いた。


 光は「あ、あぁ」と震えた声を漏らす。


 父は弟から手を離した。けれど、その手は今度、光に向いた。



「……飯当番のために、生かしておいたけど、もう我慢ならねぇ。父ちゃんにそんなことをするんなら、お前なんて殺してやる!」

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