第3話 タマバミ様

「申し遅れて、あいすみません。私は玉梓たまずさ、と申します」


「あ、秋本あきもとひかりです」


「秋本光さんですね。とても良い名だ。こちらは莇神社の祭神、タマバミです」


「た、タマバミ、様?」


 拝殿の中、光はちょこんと正座をして二人の自己紹介を聞く。


 玉梓と名乗った物腰柔らかな男は「はい」とにこやかに返事をする。


 タマバミと紹介された男は、光の前でだらんと寝そべり、気だるげにせんべいをかじる。


 玉梓はそんなタマバミの態度を気にしながら、光に話をする。



「あいすみません。タマバミ様は優れた力を持つ神なのですが、少々態度の方が……タマバミ様、手についた醤油を舐めない。袖で拭かない!」



 玉梓の焦りをよそに、タマバミは親指をべろりと舐め、そのまま真っ白な袖で拭く。


 玉梓は呆れながら手拭いを用意すると、光に向き直る。



「はぁ、失礼いたしました。それで、こちらには何のご用でいらっしゃったのです?」



 光は俯き、膝を握る。


 どう言っていいのか、そもそも話していいのか、悩んでいた。


 解決したくて訪れたのに、なんにも話せない。


 今ここにいない人間の機嫌がどうか、気になって仕方がない。


 口を開いても言葉が上手く出てこなかった。光は冷や汗をかく。



(──どうしよう。言わなきゃ。どうしよう。でももう終わりにしたい。どうしよう。どうしよう、どうしよう)




「『お父さんに怒られる。傷が増えるなぁ』」



 光の言いたかったことは、タマバミの口から出てきた。


 タマバミはむくりと起き上がると、着物にこぼれたせんべいカスを払う。


 玉梓は「掃除…」と頭を抱えた。



「そのお父さんが、原因かぇ?」


「へ? 何で。私、まだ何も」


「ずうっと、喋っておる。

『どうしよう。話していいの?』

『楽になりたい。でもお父さんに怒られたら』

『怖い。でももう痛い思いはしたくない』…ずっと、ずうっと喋っておる」



 タマバミはそう言うと、光は心臓を握られたような気分になった。


 背筋が凍る。


 人に、心を見透かされることがこんなにも怖いこととは思わなかった。


 タマバミはこめかみに指を添えると、「臭い」とはっきり言った。


 光は顔を真っ赤にし、玉梓は「タマバミ様!」と慌て出す。


 タマバミは、二人の気持ちそっちのけで言った。



「血の臭い。におうてにおうて仕方ない」


「血?」


「ちょ、タマバミ様! それは少し、繊細な話題では」



「陰部じゃあない。背中じゃ。腕と腹、胸と、脚。よぉく隠せた。大したものだ」



 タマバミは怪我の箇所を指さしながら言う。


 玉梓は「失礼」と光の制服の袖を捲った。


 そこにはくっきりと残った痣と、痛々しい火傷の跡があった。


 その傷の酷さに、玉梓は顔をしかめる。



「なんで、分かっ、たの?」


「我は神ゆえ、ある程度の事なら分かるもの。……神の目は、千里先とてすぐ近く。存外、分かるものぞ」


「なら、助けてくれる?」



 光は肩を、唇を震わせる。


 上体を前に倒し、のめり込むように顔を突き出した。


「身体が、身体中が痛いの。お父さん、毎日私たちに暴力を振るうの。お母さん、私たち置いて出ていっちゃった。

 相談所にも行ったけど、お父さん外面はいいから、誰も信じてくれなかった。

 お願い、助けて。私、もう痛い思いしたくない。お、弟たちが殺されちゃうかもしれないの。お願い」



 光は小さな体を震わせて、涙をこぼしながら床に手をついて頼んだ。


 玉梓はその姿を哀れむが、タマバミは興味無さそうに顔を背ける。



「タマバミ様、お助けいただけませんか。あまりにも哀れだ。まだ若い身で、こんなにも傷を負っている」


「ほざけ。この程度の傷なら、誰だって負うことがある。あの小娘一人だけじゃあない」


「た、助けてくれないの?」


「興味が無い。それに、我が力を貸すほどでもない。帰れ」


「そんな、お願い。助けて」


「助かりたくば、一人でやれ。他者に力を求められるなら、まだ賢明な判断も出来よう」


「そんな、でもっ!」


「帰れ」



 タマバミの無情な返事に、光は肩を落とす。魂の抜けたように、とぼとぼと家に帰る姿は目も当てられない。


 玉梓は深くお辞儀をして光を見送った。



「いいんですか。タマバミ様」


「構わぬ。我が手を出すのは今ではない」



 タマバミは頭をかき、欠伸をしながら拝殿の奥へと歩く。


「玉梓、湯浴み」


「はい、ただいま」



 玉梓は、光が帰った道をちらと見て、タマバミの世話にかかった。

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