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マリーナは砂浜側からやってきたが、砂の壁はあっという間に崩されたようだった。波の音がして、今度は水で戦おうとしているらしかったが、アミには音しか聞こえなかった。樽の隙間からちらちらと様子をうかがいながら、アミとアパラチカは資料をスキャンし続ける。
マリーナは船を大きくゆすり、アミは作業しづらくなったが、アパラチカが何か呟いて、アミは揺れていても文字が読めるようになった。アミは手元の資料をスキャンすると、次の資料の束をひっつかみ、アパラチカの名前に近そうな見た目の文字を探してスキャンする。スキャン中の資料は、すべてアルテン語で書かれており、アミには意味が理解できない。真名と普段の呼び名は、どこか少しでも近いところがあると言っていた。アミは参考文字列を手元に置きながら、手早く照合していく。
マリーナが船に乗り込んできたようだった。
アミは手が震えていた。マリーナはトランとバートに魔法を放っている。バートはトランとバリケードそのものを防御しようと、小細工の魔法を次々に放っていた。マリーナはバリケードの意味に気づいているのか、明らかにバリケードの樽にも攻撃をしてきていた。
バートの魔法程度でマリーナにかなうはずもなく、バリケードは破壊され、アミとアパラチカは資料を持って、食堂に逃げ込んだ。マリーナは追ってくる。トランがそれを制止しようと、マリーナに攻撃を放っているが、マリーナは余裕のある表情を見せている。明らかにトランのほうが相手を恐れていた。アパラチカの真名を見つけない限り、マリーナの余裕を崩せそうにはない。
マリーナの攻撃を受けて、アミはふくらはぎに何かがかすったのを感じた。痛みが走るが、逃げるのが優先だった。調味料の台が目に入り、とっさに一味唐辛子の瓶をマリーナの顔に投げつけた。唐辛子が飛び散り、マリーナは少しの間、動きを止めた。アミとアパラチカは、その隙に資料を、料理を取る台の長いテーブルクロスの裏側に隠し、そこで資料の検索を急いだ。明らかにトランとバートがマリーナを攻撃しているか、マリーナが2人を攻撃しているらしい音が聞こえてくるが、アミたちが構っている暇はなかった。
アミは記憶を頼りに文字を追い、スピードアップする。未読の束の一冊を、ぱらぱらとめくっていく。古い資料は手書きの文字で記されていて、もともと読みづらい言葉を、さらに読みづらくしている。できるだけ、形だけを追ったほうがいい。
ドン、と響く音がして、アミは思わず、テーブルの脇から向こうをのぞいてしまう。トランが何か魔法を放ち、マリーナがそれを笑いながら避けたらしい。マリーナの背後、食堂の壁に、大きな穴ができていて、側面の船室が一部、見えていた。
アミは急いで資料に戻る。気持ちが急いているせいで、ほとんど文字が頭に入ってこない。
「お願いよ、アパラチカ……」
「黙って探すの!」
アパラチカは厳しくそう言いながら、別の本を盛んにめくっている。再び大きな音がするまで、わずか数十秒だった。
状況は悪化していた。アミがのぞいた限り、トランは脚を押さえて座り込んでいるように見える。こうなってしまうと、簡単に的になってしまう。バートがトランに駆け寄り、守ろうとしている。アミは思わず叫びそうになりながら、必死に資料に戻り、ページをめくった。早くしないと。急がないと。トランが死んじゃう。どこ? どこに書いてあるの?
アパラチカは、何かアミの知らない言葉を唱えていた。資料を手にしたままだったが、その言葉の響きは、明らかにアルテン語だった。重みがある言葉に、アミは思わず資料から目を上げてしまう。
アパラチカの言葉が途切れても、アミはすぐに変化を感じなかった。
「何をしたの?」
「ほんの少し、トランの回復を早めただけ。でも、今のわたしの力じゃ、マリーナの攻撃には、とても追いつかない。いいから、急いで」
アパラチカはそう言いながら、もうまた別の本を手に取っている。アミも急いで再開する。
「うわっ!」
バートが痛そうな声を上げるが、のぞいている場合じゃないのは、アミにも理解できた。
一分一秒が惜しかった。トランの苦しみを、自分が代わりに受けられたら、少しは役に立てるかもしれないのに。アミは樽の向こうをのぞくのを諦め、ジレンマを抱えつつも文字の羅列と格闘する。新しく手に取った資料は、日本語で綴られた妖精物語だった。
「ああ、もう! 今は物語なんて読んでる場合じゃ……」
「待って!」
驚いてアミが顔を上げた途端、アパラチカがアミの手から本を取り上げた。
「もしかして、ここに……」
アパラチカは勢いよくページをめくっていく。アミはあっけにとられつつも、また時間を損してはいけないと、急いで次の資料を手に取った。それは歴史書で、先の資料と同じく、日本語で綴られていた。アパラチカの名前とも、妖精の物語とも、まったく無関係に思われた。それでも資料の中に入っているので、ざっと目を通す。
古くから島に住む、華奢な人たちの話で、彼らは<言葉>を操ったと書かれている。それは、最初にアミが船に乗ったときから、彼らが話していたその<言葉>らしかった。
その<言葉>を操る人々が、アミたちのような人間がやってくると、あちらへ、こちらへと隠れ、中には死んでしまった者たちもいた。その生き残りたちは、真名を隠していたが、それをわざわざ研究した人物がいて、その人物は<言葉>を盗み、多くの者たちが捕まったと書かれている。
トランのいた場所で、再び大きな音が立つ。アミがはっとしてのぞくと、トランは倒れ、もう身動きもしていなかった。
「トランさん!」
アミは思わず叫んでしまう。マリーナがアミのほうを振り返り、魔法で攻撃を放ってくる。アミは急いで避けた。
アミは手にしていた歴史書を隠すように小脇に抱え、トランに駆け寄った。一応、まだ息はしている。ただ、トランは明らかに傷だらけで、意識もなさそうだった。
マリーナが何か呟き始めた。アミは恐怖で何もできなかった。アパラチカがその場にあった皿の1枚を、マリーナめがけて投げていなかったら、アミも倒れていただろう。皿はマリーナが避けた先の床で、大きな音を立てて、割れた。
「ふん。モノを忘れた妖精なんか、何の役に立つんだい?」
意地悪な言い方に、アパラチカはむっとした顔でマリーナを睨みつける。アミは手近なドラゴンフルーツをマリーナの顔に向かって投げつけたが、マリーナはさっと避けた。
「いくらわたしの経験が浅くたって、真名さえわかったら、あんたみたいなケダモノ、あっという間に消してくれるんだから」
アパラチカは先のマリーナの発言に言い返している。
「だけど、あんたは覚えちゃいないじゃないか」
一見すると余裕がありそうなマリーナの口元は、なぜか少し震えていた。アミは2人が言い争っている隙に、トランと自分の身体を、テーブルで隠した。これで少しだけ時間を稼げる。だけど、わずかだ。
アミは抱えていた本を手に取り、先ほど読んでいたページよりも少し先のほうのページを開いてしまう。構わない。目についたところをスキャンしていく。
まともに読んでいる暇はなかった。アパラチカの名前を求めて、アルテン語を探していく。本自体は日本語で綴られていたが、名前はアルテン語かもしれない。
妖精たちの生き残りは3人いた。その1人はマカ・ラド・パライア。別の名は……。
ドン、という大音量とともに、テーブルの板の部分が破壊され、割れてしまう。割れたテーブルの破片からトランを逃がしたかったが、下手に身体を動かして傷つけるのもいけないので、アミはテーブルを倒して、その板をトランの盾にしようと試みる。
アミは読んでいたページを次のページとともに破り取って、ズボンのポケットにつっ込んだ。アパラチカに近づこうとするが、阻まれる。マリーナが戦輪のような物体を投げつけてきた。
「ほれ、まだまだあるよ!」
アミの左手に刃がかすり、血が噴き出した。アミは思わず手を止めて、傷口を押さえる。傷を受けていない右手で、近くにあったフォークを投げつけた。
急がなければ、負けてしまう。人数だけでは、どうにもならないとわかっていた。マリーナは、ほとんど傷を負っていない。先ほどからバートが魔法で攻撃しているが、たいして当てられていないようだった。
バートがマリーナを攻撃した隙に、アミは先の紙を取り、名前だけを拾う。マカ・ラド・パライア。エリアン・トロ・マルン。どっちも違う。最後がパーサ・ヤパ・ラチカだ。
最後の名前が一番似ている。
アミは急いで、その名前を見やすい位置で紙を折ると、ポケットにつっ込んだ。叫んではいけない。口に出したら、何かが起きてしまうはずだ。
アパラチカは魔法を繰り出そうと、空中に文字か記号を描いている。近づくチャンスがほしい。
アミもマリーナの攻撃を避けつつ、マリーナが割ったテーブル板を盾にした。マリーナが投げてきた刃を投げ返すと、マリーナが魔法でこちらに反撃し、盾に当たって砕ける。アミはその衝撃で、いくらか後方に飛ばされてしまった。お尻と左手に鈍い痛みが走る。だが、その程度で止まってはいけない。
アパラチカが何か魔法を使ったらしい。食堂の中に、奇妙な森が出現する。ただ、このせいで、アパラチカとマリーナの姿は見えない。
「アパラチカ!」
アミは叫んだ。アパラチカが自分から近づいてくる。アミは急いで紙を手渡し、名前を示した。
「ああ!」
アパラチカの顔が輝いた。次の瞬間、アパラチカは空中に舞い上がっていた。まるで魔法でそうしたかのように、きらきらと光る粉が降り、アパラチカは先ほどまでの姿とは違う、巨大な蝶のような、紫色の羽をまとっていた。
「あれ?」
トランの意識が戻ったらしい。アミは急いでそちらへ駆けつける。
「あ、アパラチカ……戻ったのか」
どこか浮いたような声でそう言うと、トランはアミに笑顔を見せた。
「あなたの呪いも解けて良かった。さあ、これでもう、マリーナは手出しできないはずだ」
「え?」
アミにはまだ事情が呑み込めなかった。アミが視線を上げると、船上の森はすっかり消えてしまっていた。奇妙なことに、そこにはマリーナの姿もなかったし、割れたテーブルや食堂の壁も、もとに戻っていた。まるで何も起きていないかのようだ。アミの傷も少しずつ癒えてきている。ただアパラチカだけが、変わったその姿をさらしたまま飛んでいた。
「アミ、助けてくれてありがとう」
アパラチカが地上に降り立つと、羽はまたしても消えてしまう。
「あれ?」
「ふふ、あなた、見えるの? 普通は、あの羽、見えないはずなのに」
心なしか、アパラチカの声に深みが出ていた。バートはケガした腕をちらちらと見ながら、近づいてくる。アパラチカはうなずいた。
「大丈夫。ケガしたところは、すぐに治るわ」
アミはトランを振り返る。トランの傷も、少しずつ治ってきているように見えた。トランもアミのほうを振り返る。
「僕からも、お礼を言うよ。本当にありがとう」
「あ、いえ」
「さて、契約は解消するのかい、アパラチカ?」
「そう……そのほうが、いいと思うの。確かにわたしは、マリーナとは少し違うけれど、今ではこの島でわたしたち以上に力を持った存在はいないでしょう? 力を持った人がどうなるかって、見てきて、最近のわたしのアミに対する態度もあって、やっぱりわたしは上に立つべきじゃないって、そう思うから……」
「まあ、僕も今は、同意するね。もうマリーナとヴァーミアを恐れなくていいし、片脚はどうしたって、不便だ」
アパラチカは自分の内側から何かを引き出そうとするように、手を動かす。出てきたのは、明らかに人骨の一部だった。太い骨、それよりも少し細い骨。
トランは骨を受け取ると、<言葉>を唱える。そして、ゆっくりとそれを動かない、ふにゃふにゃの脚のほうへ持っていくと、押し込むようにしながら、さらに<言葉>を続けた。
骨は消えていき、トランの脚が本来の位置に戻っていく。
「さて、しばらく練習しないといけないかな」
トランは笑った。
これで終わりなんだろうか、とアミはふと思った。いろいろあった。
アミが寂しく思っていると、トランがふっとほほ笑んだ。
「どうだろう、お礼と言ったら難だけど……アミにはずいぶんお世話になったし。家族との関係が難しいみたいだから、キミが今度もずっと、僕たちと一緒にいられるようにするとか。もちろん、アミが嫌でなければの話だけど」
断る理由はどこにもない。アミは笑顔でうなずいた。
「あら、ちゃんと約束どおり、わたしの仲間を探してくれるでしょ?」
「もちろん」
アパラチカの言葉に、アミはうなずいた。
「そう。ならよかった。てっきり、すっかり忘れて、トランと2人で仲良く一緒に楽しむつもりだと思ったわ」
「え? ええと……」
アミは言葉に詰まる。実際、少しの間、アパラチカとの約束を忘れていたのは、事実だった。
「だって、すぐにでも結婚しちゃいそうじゃないの」
「あ、アパラチカ!」
トランは視線を彷徨わせるが、否定はしない。
「まあ、ゆっくりでいいわよ。まだ生きてるって希望があるんだもの」
アパラチカは船を動かし始める。
「どこへ行くの?」
「さあね。バートに任せようかしら。新婚旅行は船で世界一周?」
アミは思わず笑った。隣でトランも笑う。
「まあ、そういうのんびりした旅もいいよね」
傾きかける太陽を背に、広い海へと向かう。2人と仲間たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
アルテン島~封じられた島~ 桜川 ゆうか @sakuragawa
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