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かえって印象が悪くないといいけれど、とアミが心配し始めたとき、トランが急に身体を整え始めた。
「トランさん?」
「ん? ああ、マリーナに会おうと思って」
「え?」
「ほら、アパラチカも元気になったし。あの人、美人だからさ」
アミは唖然として言葉を継げなかった。こんな一大事というときに、よりによってデートしようなんて!
わけがわからず、アミはバートを振り返り、助けを求めるように視線を送る。バートは近づいてきて、アミにだけ聞こえるように耳打ちをする。
「気晴らしでもしないと、やってられないのかもしれない。僕だって、自分が狙われてるってわかってたら、遊べるうちに遊んでおきたくなるかもしれない」
アミは俯いた。生きているうちに、楽しんでおこう、というのは、諦めた人の考え方だ。もしトランが諦めてしまったら、アミはいったい、どうなるのだろうか。
中学生の姿のまま、キレイにもなれないまま、一生、生きていくのか。あるいは、ヴァーミアとの戦いに敗れて、トランと一緒に死ぬのだろうか。
苛立ちと不安とが入り混じって、アミはどう振舞ってよいか、途方に暮れた。
船はゆったりとした調子で揺れていた。アミは最初に島へ来た日を思い出していた。岸へ上がろうとしたアミたちに襲いかかった波は、カイルがつくり出した魔法だった。魔女にとって、その程度の魔法は、造作もないだろう。
何か手を打たなければいけない。当てもなく歩き回っても、魔女と遭遇する危険性を高めるだけだが、何の抵抗もなく、みすみす殺されるよりは、マシかもしれない。
この船が戦場になるかもしれない。せめて、こちらに有利な環境だけでも、整えたほうがいい。アミは船の中にある樽や板を集め始めた。と言っても、重たい樽は1人で運べないので、飲みものがしっかり詰まった樽はそのまま置いておくしかなかったが。結局、アミが持つのに困る大きさの樽はなく、サイズ自体は、空っぽなら余裕で運べるような樽ばかり、しかも5個ほどしか集まらない。板を利用しなければ、バリケードにはなりそうになかった。甲板の広い部分から、船室、食堂に近いほうに入りづらくするように、バリケードを築こうと試みる。
経験のない作業なので、どうやっていいのかも、よくわからなかった。樽の上に樽を乗せようとしても、重みでうまくいかなかった。樽の間に板を挟んでみても、板自体もそんなに大きくなく、隠れられるような大きさのバリケードを構築するのは、無理そうに見えた。バートが出てきて、どうしたのかと訊くので、自分の試みについて説明する。
「ああ、それで樽がこっちに来てたんだ。お酒の樽くらいなら、問題ないと思うけど、薬品が詰まったやつがあるとまずいね。ちょっと確認してもいい?」
「あ、はい」
アミはうなずくしかなかった。バリケードの樽は、割れるのが前提になる。妙な薬品でも入っていたら、大変だ。
「薬は大丈夫そうだな。だけど、この樽の数じゃ、どうにもならないでしょ。もっと大量に集めてこなくちゃ」
「そうですね」
「大きな樽のほうがいいかもしれないな。積み重ねるより、簡単に隠れられるだろう」
バートはそう言うと、そのままどこかへ出かけてしまう。アミは置き去りにされて、また仕事がなく、ぶらぶらするしかなかった。
そのうちトランもバートも帰ってきたが、トランはアミが築こうとしたバリケードのでき損ないの前に立ち、杖で通りづらいと文句を言った。確かに、トランが通るためには、相応の通路が必要だった。アミは急いで樽をどかさなければならなかった。
バートは大きな樽を荷物用の台車に乗せて持ってきていたが、トランの不機嫌そうな様子を見ると、バリケードを陸側につくったほうがいいと主張し始めた。
アミは迷っていた。たとえバリケードなんかつくっても、魔法であっという間に粉々にされてしまったら、意味がない。そこにいると気づかれないように隠れなければ、何の意味もなさないと。
アミがその問題についてバートに話すと、バートはうなずいた。
「そうだね。トランさんの役には立たないだろうな。やっぱり船上につくるしかないのか。それに、トランさんは隠れちゃいけないんだ」
「それじゃ、何の意味があるんだろう……」
「いや、意味はあるよ。アミとアパラチカを守る」
「え?」
アミは戸惑った。トランを守れないバリケードの外に、トランとバートは出ると言っているように聞こえたのだ。
「トランさんは狙われてる。どっちにしても、トランさんが出ていかないと、魔女は納得しないだろう。僕はトランさんのために命をかけて戦う。だけど、アパラチカは唯一の希望だし、アミは本来、関係ない日本人だ。状況で巻き込まれたかもしれないけど、僕たちのために命を落とす義理はない」
急に仲間外れになった気がして、アミは自分の立場を改めて考えてしまう。勝手に入り込んで、いろいろ買ってもらって、助けてもらって、何も返す義理がないだろうか。命を捧げるほどの恩ではないのかもしれない。そうだとしても、困っているトランを助けないで放置するのは違う気がしていた。
昼食をとり、トランとアパラチカが船の魔女除けの魔法を始めると、アミはバートに、妖精を見つけたいと相談した。
「うーん、僕に言われても……トランさんに黙って、のんびり妖精探しに出かけるわけにはいかないし」
仕方なく、アミは知っていそうな相手を探すことにした。だれなら、妖精について詳しいだろうか。だれなら、本を読むためのさらなる魔法を知っていそうだろうか。
村の中心地を、ただふらふらと歩きながら、アミは道行く人に声をかけようか迷っていた。
「あら、アミさん」
逆に声をかけられて振り返ると、マリーナが立っていた。相変わらず若々しく、美人だが、アミはなんとなく好かなかった。
「今、伺おうと思ってたの。カイルさんから、あなたが本を読めなくて困っている、それから、妖精たちを探している、だったかしら。そういう情報が入ったものだから」
アミはぐっとこらえた。マリーナに知識があるなら、丁寧に対応しなければならない。
「はい、そうなんです」
「いいものあげるわ」
マリーナは手にした瓶をアミの手に押しつけた。その瓶は、薬品の瓶よりは大きいが、抱えるほど大きくはない。
「ここに入ってる木片を燃やして、その煙を本に当ててみて。そうしたら、読めるようになるかもしれない。それと、妖精の件だけれど、確か、あなたたちが船を留めたのと反対側の岸のほうに、比較的明るい森があってね。そのあたりには、1人、2人、いたかもしれないわ」
「あ、ありがとうございますっ!」
予想もしなかった救いの手に、アミは思わず感謝していた。木片なら、ココナッツとは、関係がなさそうに見える。アパラチカと関係改善するチャンスもある。
喜んで船に戻ると、アミはさっそく、アパラチカに声をかけた。
「アパラチカ! 仲間がいそうな場所がわかったよ!」
「え?」
アパラチカは目を丸くして、アミの片腕にしがみついた。
「どういうこと?」
「この船と反対側の森のほうに、アパラチカと同じ妖精たちがいるっていう話。全部終わったら、一緒に探しに行かない?」
「行くわ!」
アパラチカは勢いよく言ってから、急にハッとした様子で手を放した。
「あ、嫌だ、わたし……ごめんなさい。ずっとあなたに当たってばかりいたのに」
でも、アミは首を横に振る。
「いいよ。わたしだって、だれも仲間がいなかったら、同じような気分になったと思う」
実際、アミはアルテンでは、どちらかというと、仲間外れだった。それでも、アミは日本に、自分と同じような人たちがたくさんいるのを知っている。恵だっている。ほかの、それまで学校で関わってきた友だちだっている。
それに、アルテンの人たちが、みんな日本人と違うわけでもない。<言葉>という壁はあるものの、そこだけ越えれば、アミもトランたちと同じように魔法を扱えると知っている。ほかの点では、ほとんど違わないも同然だ。
アパラチカは、アミに資料を見ていいと言った。
「まあ、読めたら、だけど」
アミはうなずいた。厨房を探し出し、お皿の上に木片を出して火をつけると、一冊ずつ資料を出して、煙に当てていく。不思議なほどあっという間に、文字が浮かび上がってきた。
「あら、何を使っているの?」
「わからない。だけど、マリーナがくれたの。わたしたちが困ってるからって」
「マリーナ?」
アパラチカの表情に、恐怖の色が浮かぶ。
「え?」
アミはわけがわからず、アパラチカを見つめた。
「トランに言わなくちゃ」
アパラチカは慌てた様子で部屋を出ていく。
アミは戸惑いつつも、残りの資料を煙に当て続けた。とにかく、急いで資料を読めるようにしなければいけない。
残り数冊になったころ、トランが慌てた様子で入ってきた。
「アミ!」
「はい」
「マリーナから薬をもらったって?」
「え、ええ……木片ですけど」
「その木片に何が浸み込んでるか、聞かなかった?」
「え?」
アミは考えてもいなかった。木片はただの木片だと思っていたのだ。
「いえ……」
「魔法の力があるんだから、ただの木片のわけがないんだ。おそらく、例の魔法だろう。島に自生するココナッツと、アルテン裸ギツネの油を、適当な、たとえば杉とかの木片にしっかり浸み込ませる。それが乾いてしまう前に、アルテン語で隠された情報を暴く魔法をかけるんだ。そうすると、今、そこで使ってる木片ができる」
「わたし……でも、トランさん、マリーナが好きなんだと思ったし、これはマリーナがくれた魔法だったから……」
アミは混乱していた。マリーナは研究者ではなかったのか。だからこそ知識があるんじゃないのか。
「違うよ、そうじゃないんだってば」
トランは明らかに困った顔で否定する。
「僕はマリーナが敵だって、ちゃんとわかってたさ。マリーナはまったく、本当に僕らにとって、困った存在なんだ。なんていうか、アパラチカは妖精だけど、マリーナはそれより格が低くて、だけどやっぱり力を持ってる。それが、明らかにヴァーミアと手を組んでいたから、そのせいでヴァーミアがあんなに強力になった。マリーナを倒せれば、ヴァーミアは、相当な年齢のおばあさんだ。封印した時間をヴァーミアにさし向ければ、倒せるよ。本当に怖いのは、マリーナなんだ」
トランはアミがまったく予想もしていなかった真相を伝えてくる。
「言わなくてもいいかなって思ってたんだ。キミがマリーナに嫉妬して、嫌って近づかないだろうと期待してたから。だけど、どうやら甘かったみたいだ」
自嘲するような表情で、トランは首を横に振る。アミは内心、自分を見透かされていたと気づいて、慌てた。
「わ、わたしは別に……」
「はい、そこまで。急いで作戦立てて、資料確認しないと、呪いがかかった以上、マリーナたちが襲ってくるよ!」
「いや、マリーナだけだね。ヴァーミアとマリーナは、最近、そんなに仲がよくないらしい。ヴァーミアの狙いは僕を捕まえて殺し、村を自分の支配下に置くことだ。マリーナはそうじゃない。僕の力を奪おうとしてる。力を奪う前に殺されたら困るんで、マリーナとしては、ヴァーミアを押さえつける必要があったんだ。さっき、それを確かめてきた。ひどいもんだよ、ヴァーミアは僕の家の前で倒れてた。もう、半分、抜け殻さ」
アミは困惑しつつも、急いで資料を煙に当てた。
その間に、トランは甲板に出て指示を出し、バートがバリケードを築いた。持ち込んだ樽も、船の上に持ち込まれ、甲板のところへしっかりと並べていく。
「アミはもう、資料を読んでいいの?」
「いいわ」
アパラチカが応えると、トランはうなずいた。
「助かる。2人で資料を急いで調べて。僕は前に出るしかないし、バートは一緒に戦ってくれる。なんとか2人で持ちこたえる間に、文字だけ追って、アパラチカの名前らしい文字列を探すんだ。ちゃんと読んでる暇はないから、字面だけ見るんだよ、いいね?」
「はい!」
アパラチカが、真名、アパラチカ、とアルテン語で並べて書いた文字列をアミに手渡してくる。アミはそれを受け取った。
「これに似た文字列を急いで探すの。いいわね?」
「はい」
「できるだけ、音を立てずに、作業するのよ」
アミはうなずいた。
トランは何か長い<言葉>を唱えた。砂浜の砂が、薄い壁を形成する。砂のカーテンだ。アミとアパラチカはバリケードの内側に身を隠した。一足先に、作業を開始する。
「さあ、来るぞ!」
トランの声がかかり、バートは携帯薬品のケースを樽の裏に隠して、前に出ていく。
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