第10章 死者の家
バートが扉を開けたのは、そろそろ眠る時間になってからだった。特に傷を受けた様子もなく、うまく隠れていたのではないかと思われた。
「ヴァーミアじゃなかったんだ」
バートはそう言った。
「だれだって?」
「さあ。僕が知らない女性だった。だけど、若い女性1人で来てたから、かなり違和感はあったし、警戒は必要だと感じた」
アミは一瞬、マリーナかもしれないと思う。直後、そんなはずはない、と否定する気持ちが湧いた。
「ずいぶん長くかかったね」
荷物に粉末揚素をかけながら、トランは言った。
「眠るときまでは、合流しなくても大丈夫だと思ったんです。万が一、近くにだれかいるといけないんで、しばらくふらふら歩き回ったほうが安全でしょうから」
「だけど、場所を忘れる危険性はなかったの?」
トランが尋ねる。
「ペットボトルを勝手に動かされない限りは、大丈夫ですよ。それに、壁が平らじゃないので、それも目印になりました」
「そうか。こっちは金庫を見つけた。今は、スーツケースの中に。だけど、鍵が必要だから、いったん、僕の実家に戻らないといけない。帰りに寄ろうと思ってるんだけど」
「それなら、寝ないで急いだほうがいいですか?」
「いや、どこかでいったん、休んだほうがいい。だけど、地面があまり痛そうじゃないほうがいいね」
トランとバートは並んで歩き出す。アミはスーツケースを引っ張ったまま、続いた。一時的に、道を記憶しないといけなかったので、アミは通った場所をよく見るようにしていた。アパラチカは、並んでいる2人よりも前に出て、ちらちらとトランの様子を振り返りながら、ときに少し先の様子を見ては、また戻ってくるといった動きを繰り返していた。
「そこの道に入ると、よさそうよ」
アパラチカの誘導に従って、少し細くなった脇道に入る。地面のでこぼこが少なく、黒い面がむき出しになっていた。
「なるほどね」
トランは微笑んだ。ずっと緊張した表情をしていたから、少し和んだ瞬間だった。
アミは急いで記録を取った。道を忘れてはいけない。自分が書き続けていたほうの地図に、現在位置を書き込む。
「バートはずっと1人だったから、先に休んでもらおうか」
アミは最初の見張りを自分がしたいと言った。まとまった睡眠時間が必要だと感じていたのだ。メンバーの中では体力がなく、しっかり休まないと持たないとわかっていた。
「そうだね」
アミはトランを起こす、トランの次がバート、最後がアパラチカ。順番が決まると、アミ以外のメンバーは、ブランケットを使って各自、横になる場所を選んだ。
アパラチカは明るいLEDを落とした。これで、使えるライトはヘッドライトだけになる。一気にその場が暗くなって、アミは暗闇に目が慣れるのを、少しの間、待たなければいけなかった。
見張りという名目ではあったが、アミはトランに視線を向けた。まだ自分とさほど年齢も変わらないのに、ヴァーミアとの戦いを強いられている魔法使い。
アミ自身は、呪いの恨みを晴らし、呪いを解くのが目的だ。一方で、アミが知る限り、トランはただ、その実力のために、狙われている身だ。そう考えると、自分だけが理不尽な目に遭っているわけじゃないのだと、アミは感じた。
ゆっくりと過ぎる時間を、アミはトランの懐中時計で確認していた。就職活動は、まだセミナーに通っている段階だった。きちんと腕時計をつける習慣もなかったので、アミはアルテンに来てから、まだ時差をきちんと確認していなかった。東のほうにいるはずだった。
3時間ほど待ってから、トランを起こす。1時間半では短いし、2時間では中途半端なので、気を遣ってそうしていたのだ。
「こんなに長く起きてて、大丈夫?」
「この後、しっかり眠れれば……」
「じゃあ、しっかり休んで」
アミはリュックを枕にして横になる。ただ、すぐに落ち着いて眠れるわけでもなかった。この前ほどではないものの、相変わらず地面は硬く、トランが見ているところで落ち着かない気持ちもあった。
それでも、アミはひどく疲れていたから、次第に眠りに落ちていった。
再びアミが目覚めたとき、トランは眠っていた。あとの2人は起きていて、トランの手を治療していた。
「トランさん、何も言わないからなぁ」
バートが呟く。
アミはよくわからず、バートが治療していたトランの手を見て、気づく。ずっと壁を押していたから、豆だらけになっていたのだ。
「手だから、治りは悪いわよ。どうせまた、使うんだもの」
アパラチカは心配そうな表情で言う。殊にトランの件になると、アパラチカはよく助けていた。契約の一部なのかもしれないが、やはりそこには、トランに対する親近感のような感情があるのだろうか、とアミは思う。
トランが目を覚ます。
「ああ、おはよう。少し長く眠りすぎたかな?」
「トランさん、手が豆だらけですよ」
「知ってるよ。だけど、すぐには治らない。そうだろう?」
「トランさんが杖を突くので、時間はかかるでしょうね」
バートはうなずいた。トランは理解しているという様子で、微笑んだまま目を閉じる。
「さ、何か食べたら、すぐに実家に向かおう」
トランが告げた予定は、即座に実行に移された。ドリンクと携帯食品で食事をとり、おなかが落ち着いたら、すぐに出発する。アミは地図から現在位置を見つけ、帰り道を誘導する。バートがスーツケースを移動させながら、トランの様子に注意を払う。アパラチカは手動のライトを照らした。もちろん、ほかの人がいる気配があれば、すぐに消す構えだ。今はスーツケースの中に問題の金庫があり、スーツケースは死守すべき対象だった。一方、中身は金庫のせいで重たく、やたらに浮遊薬を使うわけにもいかない。どうしても必要な場所で、持ち上げるのに必要な量だけを使用し、バートはうまくスーツケースをコントロールした。
「よく、薬の量を加減できるね」
アミがバートに言うと、バートは少しだけ微笑んだ。
「経験だよ」
バートはアミやアパラチカと違って、金庫を1人で持ち上げる力はあったが、スーツケースにはまだ、ペットボトルのドリンクが残っていた。
「実家に着いたら、とにかくまず、鍵を探し出す。書斎の机の引き出しか、どこかに別の金庫があって、そこにしまってあるかもしれない」
トランは計画を並べ始める。
「その場で金庫を開けて、開けた金庫は祖父の書斎に置いてくる。それから、中身だけスーツケースに入れて、僕の家に戻る。そしたら、4人で手分けして、アパラチカの名前を探すんだ」
アパラチカが少し落ち着かない顔をする。自分の真名を見られるのは、どんな感じなのだろう。アミは、どこかの本で見かけたようなイメージを浮かべてみるが、実際の感覚は、やはりわからない。
洞窟を出る間に邪魔が入るかと思っていたアミの想像を裏切って、何ごともなく順調に運んだ。トランの実家に着くと、相変わらずお姉さんは苛立った様子であったものの、変わったできごともなく、アミたちは目的の部屋に入る。
その部屋は、前にアミたちが日記を探し出した部屋だった。机が1つあって、あとは棚が並べられている。
トランはすぐに机に近寄り、引き出しを開け始める。
棚には本ばかりが詰まっていて、机の周辺だけが例外だった。
「どこにあると思う?」
トランが問いかけながら、引き出しの中をあさる。特に引き出しに鍵がかかっている様子もなく、かえって不自然なほどだった。
「小さい箱に、鍵をかけてしまってあるとか」
アパラチカが提案した。アパラチカはトランの横で、トランが触っていない引き出しを開けていた。
「その箱自体は、引き出しになければ、棚か、別の部屋の押し入れの中だな」
トランは冗談めかして言った。だが、見つかりにくい場所でなければならないはずだ、とアミは考える。だれも予想しないような場所に隠されているかもしれない。
「案外、クローゼットの中に、ファッション小物とかと一緒に入ってるかもしれないですね」
「ファッション小物?」
バートが切り返す。
「ええと、バッグとか、靴とか、マフラーとか、細々とした装飾品とか……」
アミは応じながら、部屋を見回した。書斎には、そういう場所はなさそうだった。
「もしそういうところにあるんだとすると、この部屋じゃないな。まだ残ってるといいんだけど」
トランは突然、机から離れて、床の一角を指さす。そこには、台所の床下倉庫の蓋のようになっている部分があった。
「バート、手伝ってもらえる?」
「はい」
「その蓋を開けてくれればいいんだけど」
バートはすぐに動いた。そこには、下りの階段があった。
「地下室ですか?」
アミは思わず訊いた。
「そう。アルテンでは珍しいけど、ここらへんの家はみんな、外から中がほとんど筒抜けでしょ? 見えないようにしたければ、地下に隠すしかなかったんだ」
「トランさん、降りられます?」
「ゆっくり、あとから行くよ」
アミが階段を下りていくと、ただ掘って石を敷き詰めただけのような部屋が現れた。一応、床には木が張ってあって、部屋として成り立ちそうではあったが、換気が悪そうな、薄気味悪い部屋だった。
「ここって、空気、大丈夫なんですか?」
アミは心配になって確認する。
「心配しなくても大丈夫。祖父は僕なんかより、はるかに経験豊富な魔法使いだったから」
上から声が降ってくる。恐る恐る、アミは、その部屋の中に入っていく。地下に完全に潜って間もなく、空気が変わったと気づいた。
「え?」
「意外と平気でしょ?」
「はい」
アミは、トランの言うとおりだったと納得する。換気ができそうにないのに、空気に淀みは感じられなかった。決して暑くはなく、湿度が高いわけでもなく、外の空気とも、ほかの部屋とも違う。アミは老舗の書店か古い家具を扱う店なんかをイメージしていた。
部屋の一部だけに段があり、いくらか高くなっていた。この島ではほとんど見かけなかった畳だ。
「不思議な部屋」
アミは呟いた。どこで見た風景とも違う、外にいるのか室内にいるのか疑いたくなるような景色の中に、普通は室内に存在する畳がある。
トランは古い箪笥に近づき、その引き出しを開ける。和服を崩したような着物が何着か入っていた。
アミは周りを眺めた。壁には1か所、絵がかかっている。奇妙なことに、その絵は洞窟の入口の絵だった。岩山のような、しかし上部には草の生えたその山の下のほうに、ぽっかりと、不規則な形に開いた入口だ。既に何度か目にしたその風景が不意に気になって、アミはその絵を外してみる。額縁の幅は1メートルを超える絵で、結構、重たかった。すぐに気づいたバートが手伝う。
「確かに、こんな絵があったら、額縁の裏に貼ってあるかも」
バートはそう言いながら、軽々と絵をさらっていく。そして、それを畳の上に裏返しに置くと、表面の板を眺めた。アミも一緒に見つめるが、そこには何もない。
「中かも」
アパラチカが来ていた。アミとバートは、そっと裏側の板を外してみる。開けた中には、支えるための板がもう一枚入っていたが、それ以外は何もなかった。
「違うみたいですね」
少しがっかりした様子で、バートが板を戻そうとする。そのとき、かすかな音がした。
「待って」
アミはバートが手にしていた板に手をかける。その板の裏側、隅のほうに、布袋が貼ってあった。
「その袋……」
バートが袋の覆い部分を開く。確かに鍵だった。バートは鍵を取り出すと、高らかに見つけたと宣言する。トランは手を止めた。
「行こうか」
黙ったまま、トラン、バート、続いてアパラチカとアミの順で、階段を上っていく。
書斎に戻ると、バートはトランに鍵を手渡した。トランはうなずいた。バートはスーツケースを開き、そこから金庫を引っ張り出した。全員、その場でしゃがみ込む。トランは緊張した面持ちで、鍵穴に鍵をさし込む。カチッと音がして、鍵が開いた。
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