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今いる場所まで斜線を追加すると、トランは壁を押さずに杖で歩き始める。
「やっぱり、このほうが慣れてるんだな」
トランは杖の感触を確かめながら進んでいた。バートがトランのそばに控えて、いつでも手を出せるように見守っていた。
細い道の1本に入り、トランが片側の壁を押し始める。杖をついているトランには、片側ずつ別々のほうが、押しやすいようだった。
アミは記録のつけ方に悩んだ。
「覚えておけばいいか」
ルートだけを書き込み、斜線はつけずに、そのままにしておく。どうせ戻るときにも押すから、一緒にメモを取れるはずだ。
だが、その先の分岐を曲がると、想定外の事態が起きた。トランが壁を押したとき、壁が動いたのだ。
「おっと」
トランは慌てた様子でバランスを立て直す。バートがすぐに支えた。
「ここにあるんだ」
トランは少し緊張した面持ちだった。
「この向こうで、おそらく、たくさんの人が亡くなってる。さて、どうしようか。アミが記録係としてついてきて、僕と一緒に中に入る? バートには、できれば、ここにいてほしい」
「わたしは……」
アパラチカが反応したとき、洞窟の遠くのほうで、音がした。
「しっ!」
トランの表情が険しくなる。
「ライトを消して、僕たちの存在が見つけづらくなるようにして」
トランが反響しないように、小声で指示する。動くつもりもなかったので、4人はヘッドライトも消した。そこに扉がある以上、だれかに発見されるのは、問題だった。
ストレスに押しつぶされそうになりながら、アミは必死に耐えていた。遠くで聞こえる音は、少しずつ近づいてきていた。
動かなくても見つかるかもしれない。
「トランさん」
バートが聞こえるギリギリの声で話しかける。
「僕はこっちに残るんで、3人で入っちゃってください。僕はいったん、この場所を離れて、しばらくしたら、戻ってきます」
「音を立てたら危険だよ」
「僕1人なら、たいして問題にはなりません。僕が様子を見てきます。その間、隠れていてください」
「内側から開けられなかったら、どうするの?」
アパラチカが心配そうに問いかける。
「必ず戻ってきます。ヴァーミアは僕を狙ってるわけじゃないんで、殺したりはしないでしょう」
「目立たない目印が必要だな」
トランが言うと、バートは背負っていた荷物をそっと下ろしてヘッドライトをつける。できるだけ光が漏れないよう、荷物にライトを埋めるようにして、バートはその中から、空のペットボトルを出した。
「これを使います。入口から少し離しておけば、問題ないはずです。3人はスーツケースを持って入ってください」
これ以上の会話はなかった。トランが動いたからだ。トランはその扉を強く押した。だが、完全には開かない。
「手伝って」
トランに呼びかけられて、アミも動く。トランと一緒に扉を押した。アパラチカが浮いているスーツケースを引っ張ってきた。3人は思い切り扉を押して、中に入った。扉が勝手に閉まりそうになり、バートが手を出した。
扉はバートの腕に支えられて、ゆっくりと閉まっていく。真っ暗になったので、アミはヘッドライトをつけた。
「本当に大丈夫でしょうか?」
「わからない。バートを信じるしかない」
「内側から、開けられると思いますか?」
トランは自分のヘッドライトをつけると、その扉を調べた。押してみて、触ってみて。
「いや、おそらく無理だね。把手(とって)もないし、引っ張って開けられる雰囲気じゃない」
「トランさんのおじいさんは、どうやって……」
「おそらく、仲間がいたんだろう。あるいは、妖精が何か魔法を知っていたか」
トランはそう言いながら、杖をついて歩き始めていた。足場はごつごつして、かなり杖では支えづらそうだ。
「杖にはあまり頼れないな。ケンケンで移動するときの、補助ができる程度だ」
バートがこの場にいない今、それは楽観視できる状況ではなかった。
「粉末揚素は?」
アパラチカが問いかけると、トランは肩をすくめた。
「ここがどれくらい広いのか、わかってからのほうがいい」
「魔女がこっちまで追ってくる可能性は……」
アミが思わず口走ると、トランは笑った。
「どうかな。いや、そういう魔法でもあれば、わからないけど。でも、バートが計画どおり動いたら、たぶん、ないな。扉の存在も知らないのに、わざわざ重たい扉を開けるための魔法なんか、発動させないだろう」
「寄りかかって開けたりは……」
「できないだろうね。魔法は一流だけど、筋力は普通の女性だ」
アミはうなずいた。
「問題はバートが持つか、だな。あまり無理はさせたくない。確かに、バートなら、狙われない可能性もあるし、体力もあるけど」
トランはどんどん奥へ進もうと動いている。アミは道をバインダーに書き込みながら、慎重に歩いていく。この付近に水はなく、水の音もしない。バートなら、水をたくさん持っているだろうが、眠るときはこのエリアから出て、外で合流しなければならない。バートは扉の内側に入ってくるわけにいかないのだ。
アミは道を記録しながら進んでいく。バートは記録する用紙がないはずだ。あまり離れずにいてくれればいいと願い、一方ではトランの様子をちらちらと気にしながら、でこぼこした足元で足首を捻らないように、気をつけて歩く。
水や湿気がないので、トランは比較的、落ち着いていた。滑りやすい地面でさえなければ、杖とケンケンで移動できる。アパラチカが大きなLEDライトを出し、煌々と明かりを照らしているので、不安なく前に進めたのもよかったのかもしれない。
しばらく順調に進んだが、間もなく少し広めの場所に出る。正確には、分岐した道のように脇に、広いスペースがあり、そこで寝泊まりしたのではないかと思われる形跡があった。布の残骸、水筒らしい物体、革袋。そして、何よりもアミが目を離せなかったのは、バラバラと転がる人骨だった。
「ここでみんな、死んだんだ」
トランが感情のない声で言う。アミは震えていた。こんな場所に留まりたくない。そう思う自分がいるのに、その骨から逃げる気にもなれなかった。アパラチカが前に進み出る。
「ごめんなさいね。時間があれば、あなたたちを連れ帰って、埋めてあげたいんだけれど」
アパラチカはライトを下に置き、手を合わせた。アミも倣って手を合わせる。杖を突いているトランは、少し首を下げて目を閉じていた。
少しして、トランはその輪の中を覗き込んだ。
「そこに資料はないのか」
アパラチカはライトを奥に向けた。確かに、そこには何もなさそうだった。地図作成部隊がつくっていたらしい地図だけは見つかったが、資料室らしい書き込みはない。この先の道は、さほど長いわけでもなく、地図を見る限り、それ自体はほとんど完成しているように見えた。
「持っていこう」
トランの言葉に従い、アミはその地図を取り上げた。アミが持ってきた洋紙と異なり、紙は和紙らしかったが、インクのペンが使われている。ニスを塗った木の板を、下敷きにしていたようだ。
「その地図が示す奥へ行ってみないと、何とも言えないね。祖父の日記が間違っているんじゃなければ、隠し扉の奥にあるはずなんだから」
アミはうなずいた。先の道を進み、地図が示すとおり、そのスペースがさほど広くないという事実を確認する。
ただし、その奥に何もない、というわけではなかった。洞窟の最奥には、金庫のような重たそうな箱があった。その扉部分には、4マスのダイヤルがついていて、そのダイヤルを回して扉を開けるようになっていた。
「そうか。鍵が必要なんだ」
トランは俯いた。かなり気落ちした様子だったので、アミはダイヤルに近づき、適当に回し始めた。どんな文字があるだろうか。ダイヤルはすべて手動で、一つずつ、すぐ横についているハンドルで回すようになっていた。文字はアルテン文字だったが、1つのダイヤルにつき、選択肢は9つずつしかなかった。
「トランさん」
アミは、そこにある文字をトランに伝えた。
「書き出したほうがいい」
トランはそう言うと、アミのバインダーに手をかけた。
「あ、わたし、書きますから」
アミはダイヤルを回しながら、一つずつ文字を書き出す。アパラチカがライトを照らし、トランはそれを横でじっと見つめていた。
「祖父がパスワードにするとしたら……」
トランは書き出された文字列を見ながら、何か考えている様子で首をかしげている。
「休んだほうが、いいアイディアが浮かぶかもしれないよ」
アパラチカがトランの肩に手をかける。
「ああ、そうだね。意味のある文字列だといいんだけど」
トランは金庫に手をかけて、座り込んでしまう。
アミもその場にしゃがんだ。リュックサックから、ボトルドリンクとお菓子を出して休憩する。
「バインダーはここに置いてくれる?」
トランに言われて、アミはバインダーを首から外し、トランの前に置いた。トランはうなずいて、ちらちらとバインダーを見ながら、緑茶のボトルをあおっている。
「こういうパスワードって、どんな文字を設定すると思う?」
トランの質問に、アミも考え始める。もしトランのおじいさんなら、だれにその金庫を開けてほしいと思うだろうか。どんな相手に伝わるように設定するだろうか。あるいは、だれも開けないように設定するだろうか。
「もしだれかに開いてもらう前提なら、その人が来たときには、すぐに思いつくようなパスワードのほうが、いいですね。逆にだれにも開いてほしくないなら、でたらめな文字列を設定すると思いますけど」
パソコンのパスワードと同じだ。開けられたら嫌な相手がいるなら、その相手には推測できない文字列を設定する必要がある。
「でたらめに試すと、かなりの回数、やらないといけない。何かヒントが必要だ。持ってこなかった日記にヒントがあったのかなぁ……」
トランはお菓子に手を伸ばす。
いったん帰って、またここへ戻ってくるという方法も、ないわけではない。アミがそう言うと、トランは首を横に振った。
「できれば、あのドアを何度も通るような危険は冒したくない。ここに金庫があると知られるだけでも、秘密の一つが公になるんだから」
「魔法で鍵を見つけられないんですか?」
「無理だね。祖父は魔法使いだったんだ。そんな魔法が通用するように設定しているとは考えられない」
アパラチカがじろりとアミを見る。
「訊くまでもないわね」
小さく呟くアパラチカの声は、トランに聞こえた様子はない。アミは肩をすくめた。まだアパラチカとの関係には、改善の余地がありそうだ。
トランが一瞬、ハッとしたような顔をした。
「そうか」
「何かわかったんですか?」
「母の名前」
トランはそう言うと、杖を持って立ち上がり、金庫のダイヤルに近づく。ダイヤルを回して、扉のハンドルを回した。
金庫の扉が開いた。だが、中にあったのは、紙や本ではなかった。
「うわぁ……またか」
マトリョーシカだ。金庫の中に金庫。ただし、今度の金庫はスーツケースに入りそうなサイズだった。
「わかった。とりあえず、ここに来たときの、あの重い扉のところまで、持っていこう。バートがドアを開けるまで、金庫を開けられそうかどうか、試してみよう。それでダメなら、金庫ごと持ち帰る」
トランの指示どおりになった。金庫は重たく、アパラチカとアミが力を合わせてようやく持ち上げられる重さだった。入口まで運ぶために、いったん、スーツケースにしまって、アミが転がす必要があった。
もしバートが来られなかったら。最初に開けるのがバート以外のだれかだったら。そんな不安にはだれも触れない。
改めてドアの前でスーツケースを開く。金庫には、鍵穴がついていた。
「ダメか。鍵が要るんだ」
トランは肩をすくめる。
「また実家で探してこないといけないですね」
アミは呟くように言った。
「無事にここから出られたら、帰りに寄ってみよう」
無事に出られたら。そこが問題だ。
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