第8章 マリーナ
トランの家に戻り、軽く昼食を済ませると、それぞれ荷物をまとめ始める。買ってきた食糧は、それぞれのリュックサックに分けて入れる。トランのリュックサックには、魔法薬のセットを入れる。飲料は多くをスーツケースのほうに入れ、3リットルから6リットル程度をリュックサックに入れる。バートは少しでもスーツケースを軽くしようと主張し、自分のカバンに多めに入れている。
ブランケットもリュックサックの中にしまう。チャッカマンはバートが持ち、アミはバインダーとペンを持つ。携帯を持っていこうかと考えるが、どうせ役に立たないだろうと、アミは手にした携帯を脇へやる。家族や友人から、メッセージや電話が来ているかもしれないと、一瞬、手に取り直そうかと迷う。だが、結局、すぐに荷づくりを再開した。
荷づくりは順調に進んだ。飲食関係と薬品、ブランケットはある。残りは衣類だ。いったん荷物を置いて、今度は服を買いに出かける。アミの上着、そして、全員の身を守るための服だ。
アミが前に服を買った店で、買いものをしようとする。一応、長袖の服はあるが、薄い服ばかりだ。厚手の服、上着など、ほとんど置いていない。
「基本的には、暑い地域だからね」
トランも困った顔で言う。
「これくらい、予測できたはずなのに……」
アミは肩を落とす。見つかった長袖のTシャツを買い、早々に店を出る。アミは先に立って歩き出す。トランとあとの2人もついてきた。
「どうするつもり?」
「わかりません」
布がたくさん出ている店があった。アミが中に入ると、そこには裁縫セット、様々な生地が置いてある。
「できるかな……」
アミが独り言をいうと、トランは首を横に振った。
「時間を無駄にはできない。手作業でつくる暇があるなら、日本に注文を出すほうが早いよ」
アミは溜息をついて奥へ入る。まだ何か手がないか、ぎりぎりまで挑戦してみたかった。布、針、糸。さらに布、ボタン、ファスナー、ミシン。
「うーん……」
アイディアは一向に浮かばない。
「こんなところに来たって無駄よ。さっさと次、行きましょう」
アパラチカが先に出てしまう。持っていれば使えるだろう。アミは慌ててぬい針と適当な糸を、手持ちのお金で買った。
夏のような日射しが照りつける。既に10月も終わりに近くなっているが、亜熱帯の気候のせいで、まだまだ寒くはなりそうにない。
「冬近くなれば、薄手の上着くらいは出るんだけど」
トランは同情的だ。
次の店、少し行った先の店、と店の外側に出ている商品を見て歩く。食品や生活雑貨の店の前を通り、寝具の店の前に来る。
敷蒲団が表に出ているのを見たアミは、ほとんど何も考えずに店に入った。
「どうする気?」
「わかりません」
トランに尋ねられ、曖昧に返答すると、アミは商品を眺め始める。薄手の掛蒲団、マットレス、敷蒲団。薄いハーフケット、それにタオルケット。
「タオルケット……いや、大きすぎるか」
「タオルケットなんて纏ったら、動きづらくなるよ」
バートが笑う。
「うん。でも、半分くらいの大きさだったら、悪くないかもしれない」
「縫ってる時間なんて、ほとんどないよ? できれば明日中には、出発したいんだから」
トランが脇から声をかけてくる。
「そうですけど、今晩中に仕上げればいいんじゃないですか?」
「寝ないで作業するつもり?」
「いえ……でも、一時間もあれば、ポンチョみたいなものはつくれます」
トランは一瞬、首をかしげる。
「記録の邪魔にならないように、うまくやってね」
「はい」
バインダーを上からかければ、邪魔にはならない。問題は腕の部分をどうするか、だけだ。といっても、前回もブランケットの前を留めていた。腕の動きそのものは制限されるわけではないので、切ってしまえばどうにかなるだろう。アミは花柄のタオルケットを一枚、手に取って清算場所へ持っていく。
「これ、お願いします」
古い店で、レジはなかった。中年らしい男性の店員が、前かけ状のエプロンから、電卓と小銭を出している。手書きの領収書を渡されて、アミはお礼を告げた。
「それじゃ、行こうか」
トランの言葉で、店から出る。防具類なんかは、どこを見ても、まったく見当たらなかった。
「うーん、やっぱり村のはずれのスポーツ用品店にしか、ないか」
「そんな場所で手に入るんですか?」
アミには、防具があるとは思えなかった。
「剣道用しか見たことない」
アミは肩をすくめる。防弾チョッキのような防具類は、一般人が簡単に入手できる代物じゃない。
「一番の防具は、ヴァーミアを超える魔法武装だね」
「服に魔法をかけるんですか?」
「いや、そういう意味じゃなくて……それ、やってみようか?」
「できるんですか?」
バートが脇から口を挟む。
「簡単じゃないよ」
トランは腕を上げ、身体を伸ばす。
「僕が勉強してる途中だった本をマスターできれば、たぶん」
時間がかかりそうだ。
「島を封印したのに……」
アミが不思議に思って呟くと、トランは首を左右に振った。
「島を封印する魔法は、<言葉>とペンで扱う魔法だ。それに対して、服にかける魔法は、<言葉>と薬品を使う魔法だ。薬の量を間違えると、服が硬くなりすぎたり、あまり効果がなかったりするだろう。僕が持ってない種類の薬だから、入手しないといけないっていうのもある。コウソコナが必要だ」
「コウソコナ?」
「硬い、素材の素、粉」
アミはうなずいた。初めて扱う薬の分量を計算しないといけないんだ。それは、確かに難しい仕事に思われるのだった。
「だけど、服自体が硬いと、気持ち悪そうね」
アパラチカは自分の服をつまんだ。
「直接肌に着けなければいい。下に何か着て、その上に魔法をかけた服を着る」
「洞窟に入るまでは、暑そうですね」
バートはあまり嬉しそうではない。
「それから、マネキンが要るかもしれない。形を整えておかないと、硬くなってから着られないから」
「それじゃ、非現実的じゃないの」
アパラチカが顔をしかめる。アミも硬くなった服をイメージしてみる。
「そうですね。硬くなった服が着られるかどうかも、気になりますし」
戦いに快も不快もない。アミは自分が着ている服の上から、タオルケットのポンチョを羽織り、そのポンチョに軽く魔法をかけてもらうしかないと思った。
「帽子を買わないと」
トランは来た道を戻り、帽子屋に入っていく。ぱっと見た瞬間、アミはその麦わら帽子の多さに驚いた。
「麦わら帽子がたくさん……」
大小さまざまなサイズ、デザインの麦わら帽子が並んでいる。
「ああ、暑いから、どうしても、こういうのが多いよね」
トランはさして気にも留めない様子で、奥へ入っていく。次に多いのは、紫外線カットの女性用ハットだ。つばの大きい帽子は、白や薄いピンク、ベージュなどの色合いが多い。
「UVカットのハットも入ってますよ! どうです、ちゃんと中が涼しくなるように、内側にメッシュ加工がされてまして……」
40代くらいの男が、アミとアパラチカに話しかけてくる。アパラチカはちょっと顔をしかめる。
「わたしたち、洞窟の中に入るのよ」
「ん、そうなんですか? それなら、作業用ヘルメットのほうがいいですか?」
「あるんですか?」
アミは思わず訊き返した。
「ええ、日本から工事の人たちが入ってきてるんで、役に立つかな、と思って入荷してるんですよ。建築現場では、結構、使うでしょう」
トランも興味を持ったらしく、見せてほしいと店員に頼む。店員は自信に満ちた足取りで4人を案内し、ヘルメットを4つ持ってきた。
「基本的には、男性が使うものなんで、サイズの種類はないですが、頭を守るには、これが一番ですよ」
ただ、アパラチカは頭が小さいのか、どうにもうまく取りつけられないようだった。
「お姉さん、細いんですね」
店員の男は目を瞬き、少し動揺した様子で言う。
「わたしは妖精なの」
アパラチカが主張すると、店員の男は苦笑した。
「妖精って、あの村に伝わる話に出てくる妖精ですか? こんなところで、妖精さんを見るとは思いませんでした」
店員の男は、また奥の棚を探った。
「そうしたら、ヘルメットではないんですが、このあたりの帽子なら、比較的、厚手にできてますけど……10歳くらいの子ども向けのサイズですが」
男が出にした帽子は、変わったデザインだった。毛糸で編んだ帽子は、日本でも見かけるが、これは明らかに何かを束ねて編んでいるように見える。
「何か混ざってる?」
アパラチカが呟く。
「そうなんですよ。ココヤシの木の皮の繊維と、麻の糸と、馬のしっぽが使われてます」
奇妙な組み合わせだ、とアミは思った。
「ココヤシか……」
バートが一瞬、苦い顔をする。
「だいじょうぶだよ、バート。木と実は違うから」
トランが脇でうなずく。アパラチカが帽子をかぶり、どう、と訊くようにメンバーを見回す。
「脱げない? きつくない?」
トランの質問に、アパラチカは大丈夫と伝えた。
「いいんじゃない?」
バートがうなずくと、アパラチカは少し気取った表情になる。
会計を済ませて、バートが真っ先に外へ出ようとしたが、すぐに慌てた顔をして店の中に戻る。
「どうかなさいましたか?」
「ヴァーミアがいるんです」
バートが答えると、男は奥のデスクを探る。アミは恐怖のあまり、その場にしゃがみこんだ。買い出しのために出てきただけなので、トランは魔法薬セットを持ってきていない。何かぶつぶつと<言葉>を唱えているが、アミにはトランが何をしているのか、わからなかった。トランは再び黙り込む。
そのまま5分が過ぎ、10分が過ぎる。何も起こらない。アミはゆっくりと立ち上がり、店の壁の隙間から、外の様子を探ろうとした。バートがそれを制止する。
「僕が見てきます」
バートは店の外へ顔を出す。
顔を戻すと、バートはうなずいた。
「いませんね」
「まだ油断はできない」
トランは明らかに警戒した様子だ。
「隠れてばかりいても……」
アミは不安になって、思わず呟いていた。逃げ隠れしても、問題は何も解決しない。最後には結局、ヴァーミアと戦うしかない。
「逃げるのは大事だよ」
トランは、アミとは違う考えのようだった。
「アパラチカが力を取り戻さないと、どうやっても僕たちに勝ち目はないんだ。ヴァーミアに比べたら、僕なんか、ひよっこなんだから」
祖父が生きていたらよかったのに。そう言ったトランの声は、かき消えてしまいそうなほど小さかった。
トランは歩き出す。アミたちは、トランと一緒に店を出た。
ヴァーミアの姿はどこにもなかった。ガサガサと大きな音がして、アミは一瞬、身構えたが、木を揺らしていたのは、茶色い、ほとんど毛のないキツネのような生きものだった。
アミは、その奇妙な生きものを見つめてしまっていた。
「アミ、行くよ」
「あ、はい」
トランに促されて、アミは歩き出す。アルテン島には、まだアミが知らない生きものたちが、たくさん潜んでいそうだった。
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