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翌朝、バートが郵便物を持って戻ってくると、トランは新聞を手に取った。簡単な日本語で発行すると、ニュースで報じていた新聞だ。アミは気になって新聞をのぞき込んでみる。トランが生きていた、というニュースが報じられていた。なんだか妙な感じだった。
「ずっとここにいるのに、変な感じがします」
「それは、僕たち4人だけだよ。村にとっては、重要なニュースなんだ」
トランが笑う。
「これで、嘘がばら撒かれていた事実も、はっきりしただろう」
「はい」
トランはアミに新聞を渡した。
「読んでみる?」
渡された新聞は、思った以上に漢字が多かった。
「これが簡単な日本語?」
「ああ、その話か。いや、最初は本当に簡単な日本語で書いてあったらしいよ。でも、ここには古い文献が多く伝わっていて、少し古い言葉で書いてあれば読めるという意見が殺到したらしいんだ。それで、今は割と普通の日本語で書いてある。現代語の訓練になるという理由で、あえて今の言葉を使うようにしているらしい」
アミはうなずいた。発行しているチームの人々についての欄もあって、アルテン人も何人か携わっているようだった。そこには、カイルの名前も含まれていた。カイルの似顔絵とともに、簡単なコメントが載っている。
「トランとは友人なんです。彼が生きていて、本当に良かったですよ」
アミは思わず微笑んで新聞をトランに返す。
「カイルさんも、関わってるんですね」
「ああ。カイルは魔法使いの1人だが、好奇心が旺盛でね。昔から、他人のことを嗅ぎまわるのが好きだったから」
あまり表現はよくないが、トランの顔には笑みが浮かんでいる。愛着があるから、わざとそんな言い方をしたんだろう、とアミは思い直した。
「どんな関係なんですか?」
「幼馴染さ。この村は人が少ないから、子どものころから一緒に遊び、学んできた友だちは少ないんだ。カイルは僕にとって、そういう貴重な友だちの1人だよ」
「他にもいるんですか?」
「あと2人いた」
過去形で言われて、アミはぎょっとした。
「……1人はヴァーミアの魔法で死んだよ。リシアっていう女の子だった。魔法の力をあまり持っていなくてね。美人だった。ヴァーミアが大っ嫌いなタイプさ」
「……ごめんなさい」
「いや、構わないよ」
構わない、とは言ったけれども、その声には少し哀しげな響きがあった。トランの昔の恋人かもしれない。それとも、数少ない幼馴染を失ったからだろうか。アミはそれ以上、深入りできなかった。
視線を逸らしたとき、アミはアパラチカの鋭い視線に気づいた。明らかに、非難するような目でアミを見ていた。アミは逃げだそうかと思ったが、逃げる先もなかった。
「アパラチカ、ちょっといい?」
バートが声をかける。アパラチカはアミから視線を外した。
「知ってると思うけれど、僕たち4人は、今、魔女と戦うのと、あなたの真名を探すのに、力を注いでる。あなたの不機嫌な表情は、僕から見ても、ちょっと怖いよ。理由は知らないけど、なんとかもう少し穏やかでいられないかな?」
アパラチカは一瞬、目を見開いた。
「別に、不機嫌なんかじゃないわ」
そう呟いて、視線を逸らしてしまった。
「バートの言うとおりだよ、アパラチカ。理由はわからないけど、少し落ち着いてくれないかな?」
トランにも言われて、アパラチカは明らかに困った顔になる。
「わたしは……」
「無理にとは言わない。強制はできないけど、お願いできるかな? 難しいなら、理由を話してくれても、構わない。僕たちはできるだけ、力になるから」
アパラチカは戸惑った表情のまま、ゆっくりとうなずいた。
「さて、今日は出かける準備に時間をかけたい。十分な装備を整えないと。本当はバートに買いものにつき添ってほしいんだけど、2人だけ置いて行くのは、ちょっと気になるなぁ。全員で出かけようか」
「トランさん……」
郵便物をチェックしていたバートが、トランに声をかける。
「ん?」
「これ、ちょっと見てください」
バートが一枚の紙を、トランに手渡す。
「なんでこんなのが入ってるのか、気になってるんですが……切手も貼ってないですし」
トランは少しの間、じっとその紙を見つめていたが、みるみる表情から血の気が失せていく。
「……トランさん?」
「バート。これ、どこにあった?」
「郵便物の中に」
トランはその紙をテーブルの上に置いた。頭を抱え込んで、青い顔で押し黙っている。アミはトランが今しがた手にしていた紙を手に取り、視線を落とした。アルテン語で書かれたそれは、アミにはまったく理解できない。
「何が書いてあるの?」
「詩だね。でも、トランさんが恐れるくらいだから、ただの詩ではないと思う。たぶん、これは呪いだよ。おそらく、ヴァーミアの。日本語に訳してみようか?」
ヴァーミアの呪いと聞いて、アミは身震いした。醜い中学生の姿にされてしまったあの呪いを、アミは決して忘れはしない。
「あの……あの、魔女……っ」
半分は怒り、半分は恐怖だった。どんなに悔しくても、どんなに怒っても、アミが戦える相手ではないのは、明らかだ。アミは唇をかんだ。自分も魔女ならよかったのに。
「どんな呪いなの?」
「わからないよ。たぶん、完成すると何か起こるんだと思うけれど」
「ああ……そうだ。ヴァーミアの呪いだよ。ほとんどは既に起きた過去の事実だね。だけど、まだ残ってるのがいくつかある。それが現実になったとき、ヴァーミアは僕を捕まえるんだろうな。それとも、殺すのかな」
アミは震えていた。紙をバートに渡して、渦巻く感情をどうにか鎮めようと、お茶を淹れに席を立つ。だが、手が震えて、お茶の葉をこぼしてしまう。
「ちょっと、貸しなさいよ」
アパラチカが横から手を出してきた。アミは持っていた道具から手を放して、元の位置に座る。アパラチカには、役立たずだと言われているような気がしていた。
「僕もヴァーミアは怖いけど、こうなった以上、僕もトランさんも、戦わないといけないんだろうな。アミさん、魔法使えないんだよね?」
「使えたら、みすみすこんな姿になんか、されないわよ」
アミは強い怒りを込めて言い返す。
「それはどうかな。なにしろ、経験豊富な力のある魔女だから、相手が魔女でも、平気でこれくらいの呪い、かけるかもしれない。僕だって、正面からぶつかったら、やられちゃうよ」
バートの言葉はどうにも頼りない。アミは苛立ちから身体を大きく揺すった。
絶対に仕返ししてやるんだ。でも、どうやって? アミはいらだって、思わず手近にあったクッションをつかんで地面にたたきつける。
「ああ、ちょっと!」
バートが慌てたようにアミの腕を押さえ込む。
「アミ、呪いを受けたのは、この僕だ。悪いけど、少しおとなしくしてくれる?」
アミはふてくされて座り込んだ。何もできない自分が、とにかく腹立たしかった。
アパラチカがお茶を全員に配ると、アミはすぐに手を伸ばした。
「熱っ!」
「当たり前じゃないの」
「緑茶は……」
アミは咳込んだ。舌をやけどしただけでは、済まなかった。喉のあたりまで、ひりひりしている。
「ああ、ちょっと」
トランが手元から携帯薬品の箱を取り出し、少し困った顔をする。
「うーん、口の中は難しいんだよな……」
「いいです、このままで」
アミは惨めな気分だった。痛い思いでもしているほうが、まだマシだと思った。
「よくないよ。でも、そのお茶を飲んでからのほうがいい。薬を塗ってすぐに、お茶で流してしまわないように」
そう言うトランの脇で、バートは先ほどの紙と別の紙、ペンを手に、作業を始めていた。トランは小瓶を取り出して、一緒に箱に入っている小さな匙で、薬を調合し始める。
しばらくして、バートがアミに近づいてくる。手には紙きれを持っていた。
「あの、僕の翻訳じゃ、つたないとは思うけど、できるだけ内容がわかるように訳してみたんだ。見る?」
アミはその紙を受け取った。
さあ、悪魔と遊ぼう!
妖精が棲む木の洞へ潜ろう!
蛇の棲む穴をつついて、
サトウキビ畑で歌を歌おう!
船に乗って旅へ出よう!
遠い道のりを歩き回って。
家族を置き去りにしようとも、
身体が不自由になろうとも。
拾われた少女に恋をして、
失われた記憶を求めても、
伝説の洞窟に眠る本は
キミの心を休ませはしない。
嫉妬に狂う妖精を介抱して、
ココヤシの実に感謝せよ!
封じられた島が目覚めた今、
キミの希望は暗黒の世界にしかないのだ!
アミは、その詩の内容に戸惑った。こんな詩を送りつけて、ヴァーミアはいったい何をしようとしているのだろうか。
「この中の大半を、トランさんは既にやってるんだ。たぶん、これを全部実現すると、呪いが完成するんだと思う」
「だから呪いって?」
「うん。こんな詩は、僕も見たことがないし、たぶんヴァーミア自身が書いたんだと思う。まるでトランさんの運命を知ってるみたいな表現だよ」
「ああ、知ってるんだろうさ」
トランは皮肉めいた声を出で言った。
「ちなみに、実現してないのは、どのへん?」
「嫉妬に狂う妖精を介抱して、ココヤシの実に感謝せよ! とかだな。まったく、アパラチカの不機嫌の原因がそれだったんじゃないかと思うと、ぞっとするね」
アパラチカは視線を逸らしたが、何も言わなかった。
「だけど、それが事実なら、アパラチカを守らないと。ヴァーミアが狙ってきそうだな」
バートが神妙な顔で言う。
「確かにそうだ。だけど、どうすればいいんだろう」
トランは明らかに困惑した顔で溜息をつく。
「僕を殺すのに失敗したからって、こんな呪いをかけなくてもいいのになぁ」
アミは、アパラチカの件について考えを巡らせていた。トランは魔法使いだが、人間だ。アパラチカは妖精で、アミやトランとは種族が違う。ただ、アパラチカの種族が他に生きているかどうか、現状では何とも言えなかった。アパラチカの嫉妬は、トランとどうなるという話よりは、どちらかというと同種族と関わる機会がない点に原因がありそうでもあった。
「アパラチカと同じ種族がまだ生きてる保証は、ないんだよね……」
バートも少し困った顔をする。
「ええ、まったくね」
アパラチカは、感情のない声で肯定した。
「アパラチカの出身地にもいないの?」
アミは問いかける。
「さあ、どうかしら」
アパラチカはそれ以上、何も語ろうとはしなかった。
「長年、僕と一緒にいたからね」
トランが肩をすくめた。
「だけど、僕はアパラチカと違って、妖精じゃない。やっぱり異種族は異種族だから」
トランは少し困った顔をしている。
「ええ、知ってるわ」
アパラチカはそう呟くが、無表情だ。
バートがアミに近づいてきた。何か耳打ちしようとしたので、アミは耳を傾ける。
「この状況、まずいよね。僕たちは今、洞窟探索に向けて、準備をしていないといけないのに、アパラチカの話に時間を取られてる」
アミはうなずいた。ただ、トランとアパラチカが別の話に集中しているときに、アミとバートの2人だけで準備を進めるのは、容易ではなさそうだ。アミは見た目が子どもであり、たいした買いものもできないうえ、魔法も知らない。バートはバートで、未成年の、ただの修行者にすぎない。一人前の2人が参加してはじめて、まともな話し合いができるはずだ。
「だけど、わたしたちに何ができるって言うの?」
「わからない。トランさんがどんな装備をしようとしてるのか、わかればいいんだけど」
「ああ、すまない。こういう話に気を取られている場合じゃなかったね」
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