第7章 ヴァーミアの呪い
自宅に戻ったトランは、すぐに携帯用セットに薬を足していた。家にある瓶のほうはそれぞれ高さ15センチくらいあるが、セットに入った小瓶は7センチ程度だった。粉末揚素が貴重だと言っていたにもかかわらず、瓶にはしっかり詰まっている。アミが不思議に思って訊いてみると、トランは真面目な顔をしたまま、「値段が張るよ」とだけ言った。それでも持っているのは、ただ単に「ヴァーミアが怖いから」だと言う。
実際、トランの身体では、粉末揚素を持っていたほうが、安心なのかもしれない。自由に動かせない脚のために、飛んでしまったほうが、身動きが取れるなら。
「バート、みんなにお茶出してくれる?」
バートはすぐにお茶を淹れる。トランは棚から砂糖菓子を出してきて、テーブルに置いた。トランは日記帳の束から数冊持ってきて、お茶を飲みながら読み始める。
「みんな、疲れたでしょ。適当にくつろいでよ」
くつろいでよ、と言われてのんびりくつろいでいられるような状況とは思えなかったが、アミは言われるまま座り込んでしまう。アパラチカが日記帳を何冊か持ってきた。
「トラン1人に負担かけるわけには、いかないでしょ?」
「アパラチカには、その文字が普通に読めるの?」
アミはうんざりして問いかける。
「あったり前じゃないよ。読めないの?」
「手書きで読みづらいから」
「こんなの、普通よ!」
バートがアミに視線を送る。何か言いたそうだったが、バートは黙ったままだ。アミが首をかしげると、顔を近づけて耳打ちするように手をかざした。
「あのさ、アパラチカの嫌がらせは、無視していいと思う。理由がわからないけど、なんだか変だよ。僕でも嫌な気分になる。キミだけをいじめてるみたいじゃないか」
アミはうなずいた。とはいえ、理由がわからないので、落ち着かないのも事実だった。自分が何か、アパラチカの気に入らないことでもしたんじゃないのか、と思うと、悪い気もしていた。
「それで、これからどうするんですか?」
バートがトランに問いかける。
「そうだなぁ……まず、しっかり休んで、それから、準備して、また出かけるんだ。その間に、何が必要か、みんな考えておいてよ。洞窟のどのへんか、書いてあるといいんだけどなぁ」
トランはそう言うと、また日記に集中し始める。
「ちょっと僕、いったん、自分の家に行って、様子見てきますね」
「近いの?」
「まあ、それなりに」
バートはうなずいて、そのまま出て行ってしまう。日記に手をつけていないのがアミだけになると、アミはひどく居心地が悪くなる。少しは手伝おうかと思って、日記帳を取りに行くも、一冊だけでやめておく。2人ほど速く読める自信はなかった。
アミが日記帳をめくり始めて少ししたころ、トランがアミの行動に気づいた。
「ん? 無理しなくていいよ?」
「あ、いえ……」
アミは何と言い返していいかわからず、困った顔をする。
「その代わり、ちょっとお使いに出てくれない? この部屋に、クッションを何個か用意したいんだ。そうだなぁ、持ち帰れるだけ買ってくれれば、いいや。これ、お金。この金額なら、そんなに変な顔もされないと思うし」
五千円。アミはうなずいた。この金額なら、中学生に買い出しに行かせる親はいるだろう。
「近所に安い店があるんだ。地図を描くから、そこで買って。色や柄は気にしないから、ここで休むのに使えそうなやつを選んできてよ」
トランが地図を描き終えると、アミは地図とお金だけ持って出かける。外はよく晴れていて、気持ちのいい天気だった。日本だったら肌寒いはずの時季だが、アルテンには季節がない。真夏の花が咲いているのを、アミはなんとなく不思議に思いながら通り過ぎる。
隙間だらけの店舗でも、中の金属の棚を見ると、なんだか不釣り合いな印象だ。アミはクッションや座布団の類を探し出すと、平べったいクッションと膨らんだクッションをできるだけたくさん持とうとした。
平べったいクッションは、座る前提のシンプルなデザインが多い。色は実にカラフルだが、ほとんど柄がなかった。一方、膨らんだクッションのいくつかは、かなり派手なデザインだった。ピンクと紫の曲線的なデザインのクッションとか、普通に考えたらトランが使いそうにもないデザインが結構、あった。こんなクッションがあの質素な部屋にあったら、なんだか冗談みたいだと、アミは笑う。
膨らんだクッションは、あまりたくさん持てそうになかった。よくあるサイズが四百円ほど、特に大きなサイズのクッションは、安いといっても、六百円から千円くらいはする。平たいクッションは、たくさん持てそうだった。安いものは五百円くらいからあったので、アミは平たいクッションと膨らんだクッションを組み合わせて、四百円のクッションを三個、五百円のクッションを持てるだけ買った。
アミが戻ると、トランが組み合わせに喜んだ。
「いいね、これで全員、楽に寝られそうだ」
「本を読まないなら、何をしたらいいです?」
「うーん、どうしても何かするなら、アルテン語の勉強だな。魔法を少しでも使えるようになったほうがいいから」
それはアミも気にしていたところだ。だが、まだ文字さえ覚えられていないのに、まともに本を読む自信はなかった。
「最初の本を勉強しておいてよ」
「わかりました」
同意はしたものの、アミはどう勉強していいのか、よくわからなかった。とりあえず、普通に読み進めてみようと、本を持ってきて、広げる。だが、5分もしないうちに眠くなってしまい、結局、買ってきたクッションに手を伸ばした。
「だから、休んだほうがいいって言ってるのに」
トランは笑ったが、アミは並べたクッションに横になって、本を広げ直した。気温が高いから何もかけなくていいかと思ったが、おなかが少し冷える気がしたので、もう一度起き上がって、ブランケットを取ってくる。
トランはもう、何も言わなかった。日記帳に集中しているようだ。
アミが目を覚ましたとき、部屋は薄暗くなっていた。バートとアパラチカも眠ってしまっている。トランはまだ、何か作業をしているらしかった。日記と格闘しているのかもしれない。アミは起き上がって、トイレに行く。
戻ってきたとき、トランはアミに気づいていた。
「よく休めた?」
「はい」
「よかった。日記を確認してみたけど、どうも洞窟の奥に、秘密の通路があるらしいんだ。そこに入り込めないと、探している資料は出てこないらしい」
「そうなんですか」
トランはうなずいた。
「もしかしたら、過去に消えた地図の作成者たちも、通路に迷い込んだのかもしれないな。知らないうちに扉に触れるか何かして、入ったはいいけど、出てこられなくなったとか」
アミは身震いした。自分たちも、その奥へ行かなければならない。本当に帰れなくなる危険性もあるんだ。
「まあ、そんなに怖がらないで。そうとわかっていたら、十分、準備をしていくから」
「そうですね……」
「前回のバインダーも持って行かないと。前と同じ道を通っても、見つかる確率は低い。できれば、違うルートを試したいから」
アミはうなずいた。どこへ入り込むにしても、もう少し重装にしたほうがいい。
「今度はTシャツじゃなくて、上着を着て行きます」
「どんな服装なら、いいと思う?」
「そうですね……防具にもなるような服、でしょうか」
アミはトランが倒れたときの光景を思い出していた。背中をえぐられたような傷だった。薄着をすればするほど、危険なのは、間違いない。
「剣道の防具なら販売もしてるだろうけど、あの洞窟に入る前提なら、いい装備とは、言えないな」
トランは真面目な顔で言った。
「視野は狭く、背中は無防備だ。動きにくくもありそうだし。もし見つかるなら、ラグビーの装備のほうが、マシか」
「女性用は、たぶんないですね」
「たぶんね」
もしあっても、日本にさえ入ってきているかどうか、怪しい、とアミは思った。世界との交流が始まったばかりのアルテンで、生活に不要なレア商品を販売しているとは思えなかった。
「それに、あまり窮屈な格好で歩き回るわけにはいかない。ただでさえ、暗くて起伏のある洞窟だから」
「膝当ては役に立つかも」
ジーンズが濡れた感触を思い出して、アミはつけ足した。
「どうかな。滑りそうだけど」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます