第36話 霊漂う墓林

 森の中に入れば鬱蒼とした木々がすぐに俺の視界に入り、ただならぬ怨念の気配が、実際にうめき声として耳に聴こえてきた。


「う……カオス、本当にこの奥へ入るの?」


 後ろから付いてきているフィーリアは早速入り口で足を止めた。


「あぁ……何か問題か?」

「いや、だって……なんかヤバい声とか聞こえるし……」


 確かに。先程からどこからともなく聞こえる呻き声。姿が見えず、ただ大気中の魔力が人の形を形成してそこら中に浮かんで見せているのみ。

 言わば怨念の様な物なのだろうが、外は真昼間だというのに、森の中が暗すぎて霊達の住処になっているようだ。

 ただ明るい所に必ず霊がいないと言えばそういうこともない。ただ、此処の森はやけに集まり過ぎている。


 まるで何かに引き寄せられているような。それもそのほとんどが悪霊だ。今はまだ我々を様子見しているだけだが、用心に越したことは無いだろう。

 フィーリアは恐らくこれに感知して一度俺を引き返そうとしたのだろう。


「確かに。だが十分に用心して進めば問題無い」

「いやいやいや、何でそれで進もうと思うの? こんな不気味な所、寒気がおさまらないわよ」

「ならお前は此処で待っていろ。そうだな……一時間だ。それ程時間が経っても戻らなかったら救援を呼んで来い。ここは本来特級しか入れない森だから、助けも特級を呼ぶ事になるだろう。

 今日は異変とやらで出払っているようだが、一人くらいは待機がいるだろう」


 フィーリアはどれほど警戒心が強いのか。前に進めぬ程とは逆に驚く。ただそんな精神状態では、此処で待ってもらうのも酷な話だが、進めない以上はそうしてもらう他が無い。


「な、此処で待ってろって!? くううぅ……お兄ちゃん以外にくっ付くのはしゃくだけど……こうすれば! 少しは安心出来る……」


 フィーリアは何故か俺の背後から制服の裾を掴んだ。安心すると言っていたがまさか……この精神状態は単なる警戒心では無く、恐怖……?


「……。そうか、人間にはそんな感情もあったな。だが……それでは急激な動きに対応出来ない。これを貼ってやるから少し離れろ」

「え……?」


 此処の森にいるのは全てが霊だ。幾ら察知魔法を使ってもそれ以外の生命体は感知出来ない。そして、霊には光属性が有効の筈だ。

 いや、ほとんどの霊に光属性が有効と言えば良いだろう。稀に光に対抗する霊もいるが、そんなことを気にしては対抗手段が見つからない。

 俺は服の裾を掴むフィーリアを少し離すと、全身を囲う光の結界をフィーリアに貼る。


 これはフィーリア自体を霊から守る効果もあるが、周囲にいるいつ攻撃してくるか分からない悪霊からの不意打ちにも対応する効果もある。

 ただその為には、フィーリアが一度霊から攻撃を食らってもらう必要があるが……。


「これで安心だろう」

「これって……結界よね? 上級魔法科に昇格したのは知ってるけど……もう習得したの?」

「これはあくまでも簡易的な結界だ。結界の貼り方は方法さえ分かれば簡単な物は誰だって作る事は出来る。

 俺がまだ習得していないのは、巨大な結界を貼る方法だな。いくら方法が分かっても大きく分厚い丈夫な結界を貼るには、それを長時間持続させるためにも魔力のコントロール方法を学ぶ必要が有る」

「へぇー」


 さて、光の結界を貼った事でフィーリアの精神の緊張状態は一気にだいぶ和らいだ。

 森を歩き始めてからどれほど経っただろうか。未だに変化が見られない。

 若しくは此処の悪霊達は何かを待っているのだろうか?


「ねぇ、本当にもうそろそろ帰らない? いくら結界があっても、はぁ……はぁ……」


 フィーリアに貼った結界はあくまでも保険に過ぎない。もしあの結界を破るほどの力をもった悪霊なら、フィーリアの今にも爆発しそうな緊張状態は危ういことになるだろう。

 ふむ。何もないのなら良いのだが……これ以上奥へ進んでも暗闇が続くだけか。なら、そろそろ帰るか……。


「そうだな。いつまでも暗闇の中を歩くのは誰だって不安になる。そろそろ帰ろうか」

「うん……」


 して、帰ろうと俺は背中を向くが……どうやら悪霊達は俺達が帰る瞬間を待っていたようだ。突然悪霊達の呻き声が一層強くなる。


『オオォォオオォォ……!』

『ア"ア"ア"ァァア"ァァ……!』


「来るか……!」

「え!? ちょ、待って!」


 悪霊達は一斉に俺たちの退路を塞ぎ、包囲した。流石に呪い殺す程の力を持っている悪霊は中にはいないようだが……。

 それ以前にフィーリアに遂に恐れていた事が起きる。


「カオス!? はははやく、何とかしなさいよ! あわわわわ!?」


 なんとその場でうずくまってしまった。この状態を解決するにはすぐさまフィーリアと共にこの包囲網を強行突破し、森から脱出が最適だが……。

 こうも動けない状態になってしまってはどうしようも無い。

 最悪なら抱きかかえるという手段もあるが……。


 まずは周囲の悪霊を退かせた方が良いだろう。


 最も聖炎が発動できれば全て簡単に片付くのだが……神であっても神では無い俺には発動は絶対に出来ない。

 闇を打ち払う光魔法。そう言えば具体的な光の攻撃魔法を学んでいなかったな。


 中級魔法の授業中に自然の神であるフィトラが、ルルドと俺を戦わせた時に、俺は光魔法を使ったが……あれはあくまでも緊急的な対応手段に過ぎない。

 悪霊を除霊出来るほどではないのだ。


 こうなれば、アレを使うしかないか……。

 "アレ"とは、『魔力解放』の事だ。


 魔力解放とは、特級の訓練官であるアウラ・アハトが使っていたオーラを発動するにあたっての第一段階とも言えるものだ。

 魔核の魔力を一気に最大限まで活性化させ、それを切らさず持続させる状態の事を言う。ただ、やろうとすれば誰にでも出来る状態なので、名前を付ける程でもないが、オーラの発動方法が分かってから人間の間で名付けられた。

 

 またこれを発動するにあたってとある似た現象が起こる。俺とアウラが戦っている最中、雷の防壁で間一髪攻撃を防いだ時だ。

 俺はあの時、咄嗟に雷の防壁を作り、雷がアウラの攻撃を一瞬だけ弾いた瞬間に、余る魔力を一気に活性化させる事で爆発を起こした。

 まぁ、あれも魔力解放と同じようなものだが、最大限の力では無い所だけ違うだろう。


 さて、そんな魔力解放をやる訳だが、雷の防壁でもあった通り、"爆発"が発生する。

 つまりこの爆発で周囲を包囲する無数の悪霊を一掃する訳だが……勿論光の魔法だからと言って全く人間に対して攻撃性能が無い訳ではない。

 それもこの悪霊を一掃する爆発だ。いくらフィーリアとの距離を離そうとも爆発範囲外には行けるものの、それに悪霊が取り憑かない訳が無い。

 フィーリアを範囲内に入れつつ、一斉に悪霊を一掃する。うーむ。


「カオス!! さっきから何を悩んでるの!? 早く逃げようよ!」

「よし、フィーリア。今からお前に全力で防御力支援をかける。多少痛むかもしれないが我慢してくれ」

「へっ!? ちょ、何をするつもり!?」


 俺は多少の魔力で、今出来る最大の純度でフィーリアに防御力を上昇させる支援魔法をかける。


「今の状況を突破する方法だッ! はああぁぁ!!」


 自身の魔核に保有している魔力を一気に活性化させ、光属性に切り替えた後、一気に爆発させる。

 体の中央から、魔核から、魔力が多量に放出されていく感覚がわかる。

 そして爆発が起こる。半球体状に爆風が広がり、一瞬にして周囲の悪霊が消え去り、フィーリアもまた爆発で吹き飛ばされる。


『オォォォ……』

『ア"ア"ァァ……』


「いったぁ……き、消えたの?」

「あぁ、だが一時的だ。今の爆発で遠くから更に悪霊が集まってきている……! モタモタするな。早く森から脱出するぞ!」


 やはりこうなるのか。俺はフィーリアの手を引いて森から脱出を試みるが、フィーリアは足が竦んで微動だにしなかった。

 なので俺は、完全に座り込むフィーリアの膝裏と背中に手を回し、胸の辺りまでぐっと持ち上げる。


 まだ魔力解放は持続している。

 そこから風属性に切り替え、風を足に纏わせ、走る速度を増幅させる。


 知らぬ間にどこまで森の奥へ進んだのか。いくら走っても出口らしき光は見えなかった。


「クソッ! いつの間に幻覚魔法でも掛けられたか!?」


 魔力解放が持続する中、凄まじいスピードで、木の間を通り抜けて行くが、まるで同じ場所をひたすらぐるぐる回っているような感覚がしてくる。

 これほど足元が暗く、先の視界が悪い場所であれば、全く気付かれずに幻覚魔法を発動するのは容易なことだ。


 そして俺は魔力解放が切れるまで森を走り続けたが、出口に着く事は無かった。


「はぁ……はぁ……っ! ここまで走っても出口に辿り付かないとは……しかもこの幻覚魔法。範囲が広過ぎる。どうやら術者は俺と同じ速さで尾行してきているようだ……」


 いくら幻覚魔法といえど、対象を混乱させることが目的の為、これは幻覚魔法であると気づく事ができれば、範囲外へ脱出することも可能なのだ。

 しかし、今のように近くで術者が俺を追ってきているのなら、話は別。幻覚魔法は、術者を中心に発動する為、範囲外へいくら出ようとしても、追われていては一向に脱出出来ない。


「近くに術者がいるのだろう! 出てこい!」

「あのー、そろそろ下ろしてくれない……?」

「ん? あぁ……」


 そう俺が叫ぶと、その声を待っていたかのように目の前で黒い霧が人型を形成し、真っ暗なフード付きのロープを着た人に姿を現した。


「いやはや、申し訳ありません。私は呪術師のペテスと申します。此処にいる霊達にはしつけをしているつもりなのですが、どうやら迷惑をかけてしまったようで、謝る為に幻覚魔法で閉じ込めさせて頂きました」

「ひゃあっ!? お、お化けええぇ!」

「……。そうか。だが済まないが、今すぐにでもこの者を外へ出したい。限界らしくてな」


 呪術師のペテスと名乗る男。歳は三十〜四十代ぐらいだろうか。ロープで顔は隠れているが、微かに見える口から、ゆっくりと言葉を紡ぐように話している。

 だが、霊にしつけとはどう言う事だろうか? 霊を手玉にしているとは、今まで聞いた事が無い。

 

 それにそんなことは、彷徨う霊に対して冒涜な行為ではないだろうか。

 しかしこの呪術師が言っている通り、しつけられた霊は皆、俺達を前にしても静かに何もせずに浮かんでいるだけだ。


「それは申し訳ない。だが、こちらも言い分は少しはあるので、お聴きください。

 此処にいる霊は皆、元は人間や動物の魂なのです。新たな拠り所を求めて彷徨っているのですが、これでも悪意や邪気は無いのです。

 ただ、あなた方を包囲したのは謝りましょう。

 何故だが、最近森に入ってくる人間が極端に少なくなりましてね。それで恐らく霊達は寂しかったのでしょう。どうかご理解ください。

 なので以降、この森に勝手に入るのはご遠慮ください。もし入る時が有れば、こちらの鈴を鳴らしてお入りください。特に何もありませんが、私がその音に気が付き、霊達を鎮めますので」

「そうか。分かった。悪いことをしたな。では、帰らせてもらおう」


 そう言うと、ペテスは懐から金色の鈴を取り出すと俺に渡し、もう一つ黒色の鈴を取り出すと、一回鳴らす。

 チリーンと静かな音が暗闇に木霊し、すると突然俺とフィーリアは黒い霧包まれる。


「また、迷っては意味が有りません。私が出口へ連れていきましょう」

「そうか。助かる」


 そうして黒い霧でペテスの姿が見えなくなると、次に視界が開けると眩しい太陽の光が急に差し込んで来た。

 どうやら森の外へ出る事が出来たらしい。


 俺の手元には金色の鈴が残っていた。恐らく何か言われるかもしれないが、特級の者報告した方が良いだろう。

 最も事がスムーズに進むのは、フィーリアの兄、ウィル・アデルフィアだろう。

 もう戻っているだろうか。


 俺は、森の中で起きた出来事を特級に報告する為に、一旦王都ユーラティアに帰り、ウィルの元へ向かった。

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