間話2:異端審問官


「俺が……あんなやつに……負けた……?」


 粉塵舞う中、ベイグは尻餅をついたまま、まだ自身に起こった事が信じられなかった。


 死んでいたはずの雑用係が生きていただけでも、信じられないのに、更に前とは比べ物にならないほどの強さを身に付けていた。

 

 剣士としての実力なら、この大陸でも上位の存在であるという自負があったベイグだが、ルインがどこからともなく大剣を出した時から――微かな恐怖を抱いていた。


 勝てない。なぜかそう思ってしまったのだった。


 そして剣をあっさり砕かれ、瞬きする間もなく――刃を喉へと突きつけられていた。


 更にどうやったか知らないが、魔術で強化した専用の工具でないと傷を付けることさえ出来ない、この谷の水晶を爆散させた。


 ありえない。S級冒険者であり、大陸最高峰の剣士である自分ですら見切れないあの動きはもはや……人を超えている。


「ふざけるな。なんで俺が……俺の剣が……あんな奴に!!」


 ベイグは立ち上がりながら怒りのままに叫んだ。そうでもしないと恐怖に負けてしまいそうだったからだ。


 ベイグは、初めてルインと会った時の事を思い出す。

 

 第一印象は、ただの田舎の若者だった。だが、スキル【鷹視】を使った時には驚いた。中身はともかくとして実力は確かである賢者ラーズや魔術師カティラよりも遙かに大きな器が見えたのだ。


 聞けば、テイマーの適性しかないという。だから、少しは期待して育てようと思ったが、ゴブリンどころか、スライムすらもテイムできないルインを見て、ベイグは自身のスキルの力を先に疑った。


 そしてラーズが、やけにしつこくそれ以外の魔物をテイムさせようとしていないように進言してきたのだ。今思えばそれも全てラーズの仕組んだことなのだろう。


 あいつは、テイマーなんかじゃなかった。きっと別の何かで、俺を騙す為にそう偽ったんだ。ベイグは、思い出すだけで、更に怒りが増すのを感じた。


 そんなベイグの背中へと声が掛かった。


「ベイグ殿。何の騒ぎかと思ったら……貴方は何をしているのです?」


 粘っこい声だ。ベイグは嫌悪感を隠しつつに振り返った。

 そこには黒い法衣に身を包んだ小太りの男が立っていた。腰には、分厚い本がベルトで固定されており、首には十字架を模した銀のナイフがぶら下がっていた。


 周囲で騒いでいた人々がその姿を見て、まるで潮が引くように静かになり、そして足早に去っていった。


 残されたベイグが絞り出すように、その男の名を呼んだ。


「ベルナール……殿」

「この騒ぎは?」

「なんでもない」


 ベイグは折れた剣をさりげなく鞘に仕舞い、宿屋に戻ろうとする。


「待ちなさい。もう一度聞きますよ? 


 小太りの男――ベルナールの視線がベイグの剣へと向けられた。


「……ちょっと昔なじみと喧嘩しただけだ。それだけだよ! 勇者候補の事とは関係ねえ!」

「喧嘩……と言う割には、一方的にやられていますね? 剣は折れ、相手は逃げた。しかも貴方……魔王のなんやらと叫んでいませんでしたか」


 そこでようやくベイグは怒りを忘れ、冷静になった。そして自身の過ちに気付いた。まさか聞いていたとは。


 この男の前でだけは、言うべきではなかった言葉を発してしまった。


 この大陸における、一大宗教である【ミレネシウス教】。それは唯一神であるミレネシウスを信奉する教えであり、故にそれ以外の神を邪神とし、それを信奉する者全てを異教徒と指定して厳しく断罪していた。精霊神を信仰するエルフ達を虐殺をした【緑王戦争】など、その苛烈すぎる行動は問題視されつつも、教徒の多さ、所有する武力や権力は侮れず、各国も配慮しているほどだ。


 そして唯一神であるミレネシウスは――かつて魔王を倒した勇者に加護を与え、その戦いに付き添ったと伝わっていた。


 つまり――彼らにとって、魔王とは異教徒以上の敵なのだ。


 【ミレネシウス教】の宗教母体である、ミレネシウス教団は各国に勇者及び降臨したと噂される神の捜索要請をしており、同時にとある神官達をと称して各地に送りこんでいた。


 その者達は大陸中の人々の恐怖と畏怖の対象であり、こう呼ばれていた――【異端審問官インクィジター】、と。


 上級神官しか切れない黒い法衣に、分厚い聖書と十字架を模した銀のナイフ。それが彼らの聖装であり、そしてそれを見かけたら逃げろというのが、この大陸に住む者達の常識だった。


 そして、このベルナールという男はまさにその見た目通り――【異端審問官インクィジター】であった。


 そんなベルナールの前で、魔王という言葉を発してしまった事に気付いたベイグが焦り始める。


「い、いや、あれは言葉の綾で」

「言葉の綾? つまり貴方は軽々しく魔王という言葉を使われたと」

「ま、待ってくれ! 違うんだ!」

「勇者候補だからと会ってみれば……どうやら貴方は私が思うような人物ではなさそうだ」


 ベルナールは【異端審問官インクィジター】としては、一流だった。これまでも数多くの異教徒を裁いてきた。そして彼はその功績が認められ、法王より直々に、勇者捜索及び魔王討伐の命を下されたのだった。


「ベイグ・グラナッド。職業は冒険者。S級パーティ【ブラッドホーク】のリーダー。実力、名声は申し分ないですが……怪しい点がちらほら見え隠れてしていますな」

「お、おい、待ってくれ……それと勇者候補は関係ないだろ?」


 ベルナールの視線が鋭くなったのを感じて、ベイグは嫌な予感がしていた。

 見れば、通りには誰も歩いていない。


 宿屋もいつの間にか扉を閉めている。


 ベルナールが、どこからか取り出した巻物を読んでいく。


「おや? おやおや? パーティメンバーに……同志カティラがいるではありませんか」

「そ、そうだよ! カティラは熱心なミレネシウス教徒だった! 【緑王戦争】でも勝利に貢献したんだろ!?」

「まあ、結局彼女は死にましたけどね。それに……ほお……あの【愚者ラーズ】もいたのですか」

「そいつも死んだ! 俺は何も知らん!」


 まずい。まずいまずい。


 ベイグはラーズの名前を聞いて、本格的にまずい展開だと気付き始めた。


 ラーズの勧めで、雑用係の口封じに使っていたあの祭壇。今、考えれば怪しい場所だ。ラーズは、あの祭壇は魔王に生け贄を捧げる祭壇だとかなんだとか言っていたが……。


 勿論、そんなものは眉唾だと思っていた。


 だが……もしそれが本当だったのなら。

 何よりも魔王が目覚めたタイミングが悪い。


 まるで……自分達が生け贄を捧げたせいで魔王が目覚めたみたいじゃないか。


 勿論、確証はない。


 だが、目の前にいるこいつにとっては、それは異教徒指定するには十分すぎる理由だ。


「ふむ……ラセンの街の住人の証言によると……【嘆きの大穴】と呼ばれる土地が近くにあるそうですね。貴方達パーティが何度かそこへと足を運んでいるとか。しかも一定期間ごとに……雑用係が交代していますね。おやあ? なぜか雑用係の行方がそれから途絶えてますねえ」

「無能だから追放した! それだけだ! 無能だからどっかで野垂れ死んだんだろ!」

「なぜか雑用係の交代時期と、【嘆きの大穴】へと向かったという証言の時期が被っていますね。【嘆きの大穴】は異教徒共が愚かにも魔王に生け贄を捧げるという、神をも恐れぬ大罪を為した土地……」

「まってくれ、ベルナール! 俺は何も知らない! 全部ラーズがやったんだ!」


 焦るベイグの言葉を聞いて、ベルナールがニヤリと笑った。その微笑みには――暗い感情がへばりついていた。


「何も知らない。のに、ラーズがやったという言葉。何を、ラーズはやったのでしょうか?」

「あ、いや……」

「じっくりと、教えてもらう必要がありますねえ」

「く、くそ!!」

 

 ベイグは、逃げる事を選択した。【異端審問官インクィジター】だかなんだか知らないが、逃げ切れる自信があった。


 事実、ベイグはS級冒険者であり、その身体能力を単体で見れば、この大陸の中でもトップクラスだ。


 だから、逃げ切れる……はずだった。


「へ?」


 ベイグが地面を蹴って走り出そうとした途端に、右足の感覚がなくなった。


「おや?」


 ベルナールが首を傾げた。


 目の前で、逃げようとした男が突如倒れたのだ。


「え? ああ……ああああああ!!」


 ベイグが自身の右足を見て、発狂したような声を出す。


 なぜなら彼のが、まるで強酸でも浴びさせられたかのように、グジュグジュの肉塊と化していたからだ。


 何よりも不思議だったのは、ベイグは走り出そうと足を動かすまでその事に一切気付かなかった……つまり痛みが今ですら、一切ない点だ。


「なんだ! なんだこれ!! 貴様、何をした!! なんで痛くねえんだよ!!」


 その余りの不自然さに、ベイグは身体に力が入らず、立ち上がれなかった。


 そこへ、ゆっくりとベルナールが歩み寄った。


「来るな……来るなああああ!!」

「まあ、丁度良いでしょう。では、宿屋に頼んで一室借りて……じっくりとを行わせていただきますよ、ベイグ殿」


 翌日。


「……魔王は覚醒したと考えて間違いなさそうですね。やれやれ……そしてその手先と言われているルインとやらも……


 血だらけの顔に醜悪な笑みを浮かべ、ベルナールがそう言って、宿屋を後をした。


 その後、ベルナールに貸した部屋を恐る恐る覗いた宿屋の主人は、その余りに凄惨な光景を見て、気絶したという。その部屋の中で、肉の塊となってなお蠢くソレに――ベイグの面影はもう無かった。

 

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