8話:魔王、怒る


「お前、なんで生きているんだ!!」


 ベイグが歯を剥き出しにして俺を威嚇する。その右手は腰に差している剣へと伸びた。周囲の通行人が一瞬ざわつくが、冒険者同士の諍いと分かり、そのまま通り過ぎていく。


 冒険者の多い街ではこんなこと、日常茶飯事だ。


「……奇跡的にな。お陰様で生きていたよ」


 なぜだろうか。昔はあれほど怖かったベイグが、ただのチンピラにしか見えない。


「ふざけんな!! さてはお前、俺をたばかったな! ラーズとか!? それともカティラか!? いや……両方か。あの殺しても死なないような二人が【魔王の目覚め】で死んだという事にされたのはそういうことか!」


 全く見当違いな事をまくしたてるベイグの顔を見ていると、段々腹がたってきた。


 俺は……こんな奴の為に一年、泥水を啜って、屈辱に耐えていたのか。


 そして最後には剣で斬られ……大穴に落とされた。


 ああ……許せねえ。許せねえ!!


 俺は、心の奥底からどす黒い感情が滲み出てくる。脳裏に、玉座に座った時のあの光景が浮かぶ。ああ、いくらSランク冒険者のベイグといえど、あの軍勢があれば……簡単に殺――


「――ダメだよ、ルイン」


 暗い炎に飲み込まれそうになった俺の手を、ミウが握った。


 その途端、その炎は消え、ベイグへと向けられた憎しみがスッと無くなった気がした。


「悪ぃ……ありがとうミウ」


 僕は頭ふるふると振って、邪念を飛ばす。俺の馬鹿野郎! さっき俺は何を考えた!?

 個人の復讐の為に、欲望の為に、身に余る力を使おうとするほどに俺は傲慢なのか?


 違うだろ。


 それじゃあ……こいつと一緒だ。


 俺は、剣を抜こうとするベイグを睨む。


「ああ、うぜえ!! なんだその目は!! お前みたいな愚図で底辺で無能な男が! 何を一丁前な面してやがる!! 」

「ベイグ、あんた、こんなとこで何やってるんだ」 


 王都に呼ばれてあの時、ラセンの街にいなかったというのはルクスから聞いている。であれば、今、なぜこの街に?


「黙れ! ラーズを! カティラを出せ!! 俺が勇者候補のなったから嵌めようとしてるんだろ!?」


 うん? 勇者候補? なんだそれ。


「ゆう……しゃ?」


 俺の手を握ったままだったミウの手に僅かに力が入った。


「いや、落ち着いてくれベイグ。俺がこの街に来たのは偶然だよ。別にあんたの命を狙ってとかじゃない」

「さきほど尋常でない殺気を出しておいて、命を狙っていない? 馬鹿も休み休み言え、ルイン!」


 そう言ってベイグが剣を抜いて、俺へと突進。その剣の切っ先がキラリと光る。


 あ、やば。


「っ!! ルイン!!」


 ミウが、反応出来ずにいた俺を突き飛ばした。


 放たれた突きが俺とミウの間の空間を穿つ。ミウの綺麗な銀髪の一房がその剣圧だけで切れて地面へと落ちた。


「ちっ! 邪魔をするなガキ!!」


 苛立ったベイグがミウへと右足で蹴りを放った。


「きゃっ!」


 ベイグの蹴りを食らって、ミウの小さな身体が吹っ飛び、地面を転がっていく。


「ミウ!!」


 俺は立ち上がり、ミウへと駆け出そうとしたところへ――ベイグが立ちはだかった。


「魔王の手先を殺せば、俺の手柄になって……俺が勇者だと証明される!! だから――今度こそ死ねルイン!」


 ベイグが――僕へと剣を振り下ろした。



☆☆☆



 頭が沸騰しそうなほど、俺は怒りを感じていた。


 それはあのどす黒い感情ではなく――紅蓮の炎だ。


 俺がなんであれ、ベイグが勘違いして俺を殺そうとするのは、百歩譲って許す。だけど……ミウは関係ないだろ。俺を庇っただけのミウを、こいつはよりにもよって足蹴にした。


 何の力もない女の子をだ。


 俺は、それが許せなかった。


 だから。


 目の前に迫る刃へと、俺は右手を掲げた。


 俺に、今必要なのは【力】だ。ベイグにも、誰にも負けない力。


 力――イメージするのはやはり、力の象徴であり、現にこの世界で最強だと言われている……竜だ。


 すると右人差し指に嵌まった、赤い指輪が煌めく。その瞬間、世界が――時が、止まった。


「これ……は?」

「我が愛しの君の感覚を極限まで研ぎ澄ましている。ゆえに世界が止まって見えるほどに、時が引き延ばされているのだ」


 その声に気付き俺が振り返ると、そこには赤い竜――ゼテアが立っていた。


「なぜここに!?」

「これは……我の幻影に過ぎない。魂……と呼んでも良い」


 確かに言われてみれば、ゼテアは半透明で、向こう側が透けて見えた。


「魂?」

「我が愛しの君よ。まさか我々が、貴方を本当に一人で行かせると思ったか? その指輪は――我々の魂だ」

「指輪が?」

「そう。我々の本体は【四天城クワドラード】で会議の真っ最中だろうな」

「……つまり、魂だけ指輪の形にして、僕に渡したということか」

「流石は我が愛しの君。理解が早い。そして、それこそが、我々四天王の本質である。我が愛しの君よ、聞いて欲しい。魔王は――


 へ? 弱い? 

 いや確かに俺は、剣もろくに振れないし、魔力もなく魔術も使えない、ごく普通の一般人だ。


 だけど、魔王は違うはずだ。あれほどの魔物を従えて、かつて世界を恐怖に陥れた魔王が、弱いなんて信じられない。


「魔王単体としては、ただの人間と変わらない。いや、場合によっては普通の人間の戦士より弱い」

「俺が弱いのは自覚しているよ」

「だが……魔王は。魔王は常に我々の前に立ち、そして勝ち続けた」


 どういうことだ? 弱いんじゃなかったのか?


「魔王は弱い。ゆえに――魔王は魔物を束ね、支配するのだ。それはただ命令するだけではない。魔王の力の本質は魂の――そして魂の変性」

「変性?」

「魔王は、隷属した魂を、そのあるべき姿を変化させてしまうのだ。もっと分かりやすく言おう。魔王は、支配した魔物の魂を変質させ――使うことが出来る」

「スキルや武器に……出来る」

「今、我々の魂を持つ我が愛しの君は、つまり四つの武器と四つのスキルで武装しているのと同じなのだ。そしてその武器の姿形やスキルは……その魂の強さに依存する」


 だからか。だから、四天王は指輪を俺に渡したのか。それは彼らの忠義の証であり、何よりも俺を守る為だった。

 

「我が愛しの君よ――使うが良い、我々の魂を、我々の力を」

「だけど……いくらこの指輪が凄い武器になったところで……俺は剣もろくに使ったことがないんだ」

「心配しなくても良い。我々が我が愛しの君と繋がっているように、愛しの君もまた我々の魂と繋がっているのだ。だからこそ――使える力がある。ゆけ、我が愛しの君よ。竜である強さを、体現せよ!」


 ゼテアが吼えると同時――時が流れ始める。


 そして俺は、初めて【テイム】以外のスキルが発現している事に気付いた。


 俺は頭に浮かんだ、そのスキルを――発動させた。


「――【紅蓮の竜王クリムゾン・キング】」


 身体の奥底から力が湧いていくるのが分かる。感覚まで鋭敏になっているのか、目の前に迫るベイグの剣が遅すぎてあくびが出そうだ。


 これが、竜の力。俺はジョブ【魔王】のスキルについて少しだけ理解したのだった。


 魔王はどうやら単体としてはかなり弱いようだ。というより、弱い者だからこそなれると言った方が正解か。


 その大きく空っぽの器に、配下の力をスキルとして入れられるのだ。


 今、俺が使っているのはゼテアの力だ。すべてを、捻じ伏せる――圧倒的な力。ならば、この力に相応しい……武器が必要だろう。


 俺がそう考えた瞬間――紅蓮の炎が指輪から放たれた。それは赤い両刃剣へと姿が変化していく。


 シンプルだが、美しい見た目の大剣。気高く強く美しいゼテアを体現したかのような形だ。


 俺は何も考えず、ただ身体の動くままにその赤い大剣を下から掬い上げるように払った。


「は?」


 驚いたように目を見開いたベイグ。業物であるはずのベイグの剣が――あっけなく砕け散った。


「ば、馬鹿な……!? アダマンタイト製の剣だぞ!?」


 うん、知ってる。だって俺が苦労して素材集めて、頑固な鍛冶屋を説得して作らせたからね。まさか一撃で砕けるとは……アダマンタイト製を砕くとかなんの素材で出来てるんだよ俺の剣。


 俺は更に大剣を翻し――ベイグの喉元へと突きつけた。反応すら出来ないベイグが口をパクパクと動かすだけだった。


「終わりだよベイグ。俺はもう昔の俺じゃない。お前の事は許すつもりはないけど……殺したらお前と一緒だからな」

「嘘だ……ありえない! Sランクの剣士である俺が……見切れなかったなんて」

「勇者候補だかなんだか知らないけど、お前はもう終わりだ――ん?」


 俺は視界の端、具体的に言うとベイグの頭上――宿屋のあるこの通りの上に張り出している、巨大な水晶――に赤い線が刻まれているのを見てしまった。


 それは先ほど俺が払った大剣の軌道と重なっていた。


 そして次の瞬間――頭上の巨大水晶が

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