第3話
丘の上に設置された木製のベンチに腰掛ける。
隣には、未だに鼻歌を垂れ流すピエロがいる。
「なぁ」
俺は、こいつに一つだけ質問してみた。
「運命は変えられると思うか?」
チャッピーは、俺を見て、顔を歪める。
「ぷっ」
漫画のように吹き出した後
「運命は変えられると思うか?」
俺の言葉を反芻し、今度は腹を抱えて笑い出した。
「いいね、いいね、君、センスあるよ」
ツボに入ったらしく、息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。
「運命はね、絶対なんだ。絶対に、絶対なんだよ」
そう言うと、ベンチから腰を上げた。
「ついておいで」
また歩き出す、チャッピーの後を追った。
しばらく、チャッピーはニヤニヤしていた。
まだ、先程、突かれたツボが疼くらしい。
そして、俺が、歩き疲れたと根を上げようとした時に、そこに着いた。
丘に似つかわしくない、巨大な建物。何かの工場だろうか。
「図書館」
チャッピーは短く、この建物の名称を告げた。
よく見ると、表札らしき物が、入り口に打ち付けてある。
【運命図書館】
意気揚々と進むピエロに続いて、俺は、おずおずと中に入った。
圧巻だった。
床から、吹き抜けの天井まで、入り口から奥まで、本棚に制圧された室内。
その立派な無数の本棚には、背表紙に人名が記されたファイルがびっしり詰まっている。
チャッピーは、ええと、ええと、と何かを探していたが、目的の物を見つけたようで、一冊のファイルを携えて、こちらに戻ってきた。
「はい。どうぞ」
俺に渡されたファイルには
【瀬谷雅明】と、紛れもない俺のフルネームがあった。もはや、それくらいでは驚かなくなっていた。
一つ、深呼吸をしてから、開く。
後ろの方を確認する。
『車に跳ねられて、意識不明となる』の文字があった。
疑念が湧く。
「チャッピー」
呼ばれたピエロは、不思議そうな顔をしている。
「俺は、死んだんじゃないのか」
目をパチクリさせてから、チャッピーは両手をひらつかせる。
「まだだよ、まだ君は病院で、生死をさまよってる」
どういうことだ。と、さらに聞こうとすると、壁にある扉の向こうから、悲痛な声が聞こえた。
「あー!なんだよ!くそ!」
それを聞いたチャッピーは扉に近づき、遠慮なく開け放つ。
そこは、およそ見た事がない広さの、小学生の時に、とても広く感じた体育館の、さらに五十倍ほどはあろうか、という、
「オフィス」
ずらりとデスクが並び、頭の上に輪っかを浮かべた男たちが、一心に作業をしている。
口々に文句を言いながら。
「なんだよ!こいつ!自分の才能に気づきやがった!」
「あーあ、そっちの女の子と結婚しちゃったかぁ」
「おいおい!お前はまだ、その仕事続けるはずだろ!」
すると、一人の男が、こちらに気づいたらしく、駆け寄ってくる。
「お願いします!ちょっと手伝ってください!」
チャッピーは、胸をドンと拳で叩くと、図書館とオフィスを何度も往復し、大量のファイルを運搬し始めた。
プリンターが次々と吐き出す用紙を、ファイルに挟んでいく。
また、その際、ファイルに元々入っていた用紙を抜き出し、シュレッダーにかけていく。
そんな作業を忙しくこなしながら、チャッピーは横目でこちらを見る。
「わかった?」
何が。だろうか。
「君たち人間が、何かを行動に移す、その度にこうして」
手が滑ったのであろう。一枚の用紙が宙に舞う。
それをあたふたと両手で捕まえようとする。
「こうして、運命を更新してるんだ。だから、運命のファイルは絶対に間違っちゃいない」
思わず吹き出した。
それは、俺たち人間が何かを行動に移せば、運命は容易く変わる。そう言う話じゃないか。
久しぶりに笑った気がする。
俺は、もし、意識を取り戻して、明日を迎える事が出来たら。
今度こそ、運命をぶち壊してやろうと思った。
「だからさ、もし君が死んじゃったら、どっちに行くかを話し合ってるんだって」
聞いてなかったの。チャッピーは頬を膨らませる。
丘の上で、俺たちは、しばらく談笑した。
この奇妙なピエロは、俺の、これまでの人生を寸劇のように立ち回り、俺を笑わせる事に夢中だった。
大いに笑った。
俺は、なんて、馬鹿だったのか。
俺は、なんて、普通だったのか。
やがて、チャッピーの元に、小鳥が飛んできて、ペラペラな紙を落としていった。
そこには『瀬谷雅明 死んだら 地獄』と、汚い字で書いてあって、また腹を抱えて笑った。
分かった。いいよ。死んだらな。
見てろよ。運命、全部、まるごと、根本から、ひっくり返してやるからよ。
目が覚めた。
消毒液の匂いが充満している。
病室のベッドから立ち上がる。
簡素な作りの棚の上に、俺の筆跡で「遺書」と記された封筒を見つけた。
俺は、その封筒をびりびりに破いて、一思いに放り投げた。
ぱらぱら。宙を舞う紙吹雪は、窓から差し込む朝日を浴びて、白く、何度も瞬いて、地に落ちた。
丘の上に佇むピエロは、その様子を空に映して眺めていた。
優しげに、何度も、うなづいている。
そこに、やつれた様相の天使が駆け寄ってくる。
「ちょっと!貴方!またそうやって気まぐれに、人間の運命をいじって!」
ピエロはそちらを、ちらりと見て
「まぁ、いいじゃん」と全く悪びれずに言った。
「こっちの身にもなって下さいよ!人間たちが、これ以上、どんどん積極的になったら、もう我々だけじゃ運命図書館を切り盛り出来ませんよ!」
くすくす。くすくす。
ピエロは笑いながら
「じゃ、潰しちゃおっか!図書館」と、おどけて見せた。
「もう、また、そうやってはぐらかすんですから」天使は呆れて、苦笑いした後に
「貴方は本当に、気まぐれですね、神様」
ほんの少しだけ皮肉を言った。
ピエロは地面から仔猫を拾い上げて
「言われてるよ?神さま!」と頬擦りした。
仔猫は身をよじって抵抗している。まるで、運命を変えようとしているように。
死に損ないが明日を綴る もぐら @moguraDAT
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