扉の向こうのリベルタ

伊織千景

扉の向こうのリベルタ

 腐るほどある「自由」に、何故こんな値段がつくのかわからない。

 僕は昨日送られてきた小切手を見て苦笑いした。小切手にはそれが50万円分の価値があると記されていて、更にその取引相手である経済産業省の刻印が押されている。

今日から一週間分の「外に出る自由」を売ったのは、確か一昨日の夜十一時半頃だった。「自由」の取引は二十歳以下だと国の法律で厳密に禁止されている。だから高校生の頃は「自由」を自由に売り買いする大人を見て、自分も早く大人になりたいと思ったものだ。しかし一昨日、僕は成人式を迎えた。晴れて自分自身の「自由」を扱う権利を得た訳だ。

式が終わったあと、僕はすぐにネットでの取引窓口を開いていた。「自由」の取引は経済産業省が管理運営しているため、取引の安全性機密性は確保されているらしい。そのかわりチェック項目が尋常じゃない程あって、すべての取引設定を完了させたのは2時間後のことだった。

次の日は一週間外出をしなくていい様に、必要になりそうなものを一週間分買い込んだ。さらに普段あまりしない掃除洗濯もすべてこなしておいた。まるでピクニックの前日みたいで、夜中々寝付くことが出来なかったのを覚えている。

そして今日である。本日午前0時00分から、一週間後の午前0時00分まで、僕はどんなことをしても外出することは出来なくなった。言葉にすると重々しい感じだ。しかし僕の顔の筋肉は、その事実とは不釣り合いなほどに緩んで締まらない。マットレスとシーツは昨日干したばかりなので、鼻を押し付けて嗅いでみると太陽の香りがした。暫く二転三転ベッドの上で転がると、そのあまりの気持ちよさに気持ちの悪い笑い声を上げてしまう。冷蔵庫の中には好きな食べ物が勢揃い。リビングには食費を限界まで削って、危うく餓死しかけながら手に入れたゲーム機がある。読みかけの本だってあるし、掃除も昨日の内に済ませている。準備万端この上ない状況で、最高のバケーションが神によって約束されているかの如きこの環境。すべきことはなく、ただしたいことをすればいい。おまけにこの手には報酬の50万。外出するという自由を売っておいてなんだけど、今僕はここ数年で最高に自由な気がした。  

そんなことを朝から二時間ほど考えていたので、さすがにお腹が減ってきてしまった。ベッドから冷蔵庫のあるキッチンまでは、リビングを経由するが歩いて20歩程度。けれど今はその20歩がとてつもなく億劫で、こんな事なら昨日の内に全部寝室に持ってくればよかったと後悔した。心の贅肉は2時間程で付くらしい。腹の音にせかれ、ベッドのバネを反動にして、跳ねるように立ち上がり、鼻歌混じりに寝室の扉のドアノブに手をかけ手首を回し、勢い良く開けようとした。体が扉に弾かれた。


何が起きたのか、尻餅をついたまま呆然と扉を見た。カギは閉まっていない。そもそもこのうちには玄関と風呂の扉以外カギは付いて無いから当然だ。扉の反対側は短い廊下で、遮ったり突っ張ったりするものは置いていない。暫くガチャガチャとドアノブを回したり、扉に何度も非力なタックルを繰り出したりした。けれど結局残ったのは依然変わらぬ姿で無常にも立つ扉と、肩周辺が青あざになった無残な自分だけだった。  

おかしい。ついさっきまで自分は我が世の春を謳歌せんと意気揚々だったはずだ。それが今はなんだ、扉如きに全力で敗北を喫しているではないか。忌々しい扉を涙目で睨みながら、

「べっお前に負けたわけじゃないんだからなっ! 勘違いすんなよ!」

 と、誰に対しての弁解かも解らない啖呵を切ったりしている。想像して欲しい、扉に向かって罵声を吐きながら、肩の痛みで半泣きのパジャマ男を。その滑稽さたるや、不覚にも自分で少し笑ってしまうほどだ。暫く笑った後、なんだか涙が出てきた。

痛みと笑いで怒りが白けたので、僕はもっとこの現状について、つまり開かずの扉の原因について考えることにした。まずこの扉にはカギが無い。だから自分が寝ぼけてカギを閉めていたなんて事はない。何かが邪魔していて扉が開かなくなっているのか?でも扉の向こうは廊下で、廊下には何も置いていない。友人の誰かがいたずらで突っ張り棒でも置いていったか? そもそも友人がいなかった。なぜかまた出てきた涙を拭い、童謡を乾ききった笑いとともにひとしきり歌った後、ふとあることに気がついた。嫌な汗を掻きながら携帯を見る。見るのは昨日自分が取引した「外に出る自由」についての注意事項メールだ。


「自由外出権譲渡契約(一週間コース)についてのご説明。


ご契約有難うございます。

本契約は☓月23日午前23時59分から、☓月29日午後23時59分までの外出権を第三者に譲渡して頂く替りに、その時間帯で一個人が得られるであろう利益を現金に換算してお渡しするものです。なお換算方法に関しては、我が国独自の統計的な観点から得られた基準に則っております。…………」


 早くも意識を持っていかれそうになる。契約書の読み込みが大切なのは、今の自分が体を張って証明している。けれどこうも硬い文章を読んでいると、噛み切れないし味のない、賞味期限切れの激安ジャーキーを食っているような気分になる。律儀にはじめから読むのは諦めて、よくある質問の項目に目を通す。それっぽい項目を見つけたので、気合を入れて読み始めた。


「Q 自由外出権譲渡契約と屋外自由外出権譲渡契約という似た名前の契約が2つありますが、2つの違いはなんですか?


 A この2つの契約は、外に出るという点で共通しておりますが、決定的な違いは「屋外自由外出権譲渡契約」は「家」から自由に出る権利を他者に譲渡します。それに対し、「自由外出権譲渡契約」は、契約が発生した時刻にご自身が居た閉鎖空間(大きさ問わず)から自由に出る権利を他者に譲渡します。後者に対して前者は、閉鎖空間であればご自宅でなくても契約可能です。しかし性質上、事前準備が不足いたしますと大変危険です。もし不測の事態が御座いましたら後述するサポートセンターの電話番号にお掛けください。スタッフが懇切丁寧対応させて頂きます。(なお、場合によっては違約金(報酬の二倍)を頂く可能性もございます。何卒ご留意いただけると幸いです。)……」


 まとめると、「屋外」が付いている方は家の中は自由に動ける。ついていない方は家じゃなくていいけど一部屋の中から動けない。ちなみに僕が契約したのは「屋外」がついていないほうだった。

 全てを理解した僕は、経済産業省の血も涙もない冷血ぶりに対してひとしきり八つ当たりし、社会全体が弱者を搾取する様な世界の仕組みに憤り、「大と小はどう処理するか」という問題の行き着く先を想像して戦慄したりした。そんな無意味な時間を2時間ほど過ごした後、自己嫌悪に苛まれながらようやく、全ては自分の軽率な行動ゆえの自業自得である。その正論を断腸の思いで認めることが出来たのだった。

 さて、ここで問題です。この僕が今取れる行動パターンの種類を列挙して、その中で自分にとってベストな選択を可及的速やかに導き出しなさい。


①違約金覚悟でサポートセンターに電話して、とにかく外に出してもらう。

②一週間飲まず食わずのまま、この部屋でサバイバルする。

③ハンサムな僕は突如脱出のアイデアが閃く。

③飢えて死ぬ、現実は非情である。


 選択肢は2つしか無い。コールセンターに助けを求めるのは、確実に外に出られるメリットがある。けれど外に出れば、今回の契約での報酬は0となるだろう。もしかしたら違約金として報酬を二倍した金額を払わされる可能性さえある。今回の報酬額は五十万。つまりコールセンターに助けを求めると、下手をしたら外に出た後残るのは百万の借金だけというわけだ。

次にサバイブ案。最近食費を限界まで削っていたので3日ぐらいまでなら生きている自信がある。でも人間は一週間飲まず食わずで生きていけるのか。携帯で調べてみると、水があれば不可能ではないらしい。水なら山ほどある。ただし扉の向こうに。水のない場合は、どう頑張ったとしも四、五日しか持たないらしい。先日の飢えからくる苦しみを思い出す。選択肢は一つになった。

夢にまで見た理想郷の先にあったのは、言い知れぬ深い絶望感と、百万円の借金だったとは。サポートセンターへの電話番号を確認して、携帯のボタンをひとつひとつ押す。途中何度かためらいつつ、最後に通話ボタンに手をかけ、深呼吸を何度も何度も繰り返す。最後に深く息を吐ききり、覚悟を決めてボタンを押した。

ワンコールで繋がった。

「はいどうもーこちらサポートセンターです! ご用件を伺いたいので、ひとまずお宅に入らせてもらいますね?」

「対応がダイレクトすぎやしませんかっ!?」

 こちらの突っ込みを無視して、電話から聞こえてきた妙にハキハキした声の主は電話を切った。現状を全く理解できない僕に追い打ちをかけるように、玄関からドアのロックが外れる音がした。そして間髪入れず、さっきのハキハキ声が電話越しではなく、直接家の中に響いてきた。

「サポートセンターの者です! お手数ですが、お客様が現在いらっしゃる部屋の場所を教えて下さい!」

 言葉のスピード感に圧倒され、自分のいる寝室の場所を伝えてしまった。

「ただ今向かいます!」と元気な声の後、タカタカと足音がこちらに近づく音がした。その音は目の前の扉の反対側で止まり、「こちらで宜しいですか?」と足音の主はドアをノックしながら聞いてきた。

「本当に、サポートセンターの人?」

「サポートセンターの人です!」

 清々しいほど即答だった。状況の展開が早すぎたので気づかなかったが、声からして同い年か少し年下の女の子のようだ。こちらの理解の速度はお構いなしに、サポセンの女の子は事務的な説明を始めた。

「まず確認のために、いくつかお話することがあります。まずこのサポートセンター自体に対して、契約に関する質問をする事で料金は発生しません。しかしお客様が契約によって置かれている問題の解決に関与すると、その状況に応じた依頼料を頂きます。ここまでご不明な点はございますか?」

 ご不明な点はないのだけれど、何かが引っかかる。サポセン子さんに少し待ってもらい、その疑問点について考える。が、上手く言葉に出来ない。しばらくすると、玄関口から誰かの足音が聞こえてきた。ご近所さんでも来てしまったのかと思い、意識をそちらに向ける。しかし聞こえてきた声は聞き覚えのない、低く張りのある男性の声だった。

「おいベル、そんなにまくし立てたら相手も理解が追いつかないぞ」

 サポセン子さんがダンディボイスの声の主に謝罪と弁解の言葉を並べているのが聞こえる。見えないけれど恐らくものすごい勢いで頭を下げている気がする。それに対してダンディボイスさんは「そこまでしなくてもいいさ」と彼女をなだめ、扉の向こう側まで歩いてきた。なぜか扉の前で正座している自分がいた。

「慌ただしくお伺いしてすみません。お電話いただいたサポートセンターの横島直人と申します。こちらの大家さんに事情を説明していたので、挨拶が少し遅れてしまいました。このような状況ですので、身分証明という意味でも名刺をお渡しします」

 その言葉の後、ドアの下にあるわずかな隙間から、一枚の名刺が飛び出てきた。シンプルなデザインで、サポートセンターの社名が左上にある。中央には漢字で名前、その上にアルファベット”yokoshima naoto”で読み。右下には連絡先が記入されていた。そして経済産業省の許可をとっている証である印章も、名前の脇にばっちりあった。

「わっ! すみません私も名刺お渡ししますね!」

 サポセン子さんの声がして、扉の下から勢い良く名刺が飛び出した。デザインは全く同じで、同じく経済産業省の印章がある。しかしその中で異彩を放っているのが名前だ。

「ベル・リベルタス」あまりに言葉が流暢だったので疑いもしなかった。まさかこの国の人じゃなかったとは。というか今まで名前も聞かずに話していたとは。

「それでは、改めてサポートセンターとしての仕事をさせて頂きます。問題解決にこちらが関与しない限り、料金は発生しないのでご安心ください」

「は、はい。よろしくお願いします」

緊張が自然とほぐれていくのが分かる。貫禄があるけれど、威圧的ではない。聞いていると安心できるその声から、横島直人という人物がこの道のベテランであることを想像させた。次第にこの状況にも慣れてきたので、冷静さを取り戻した頭でいくつか質問をしてみる。

「えっと、こちらに来るのが随分と早かったですね」

「迅速かつ丁寧で親身な対応が我が社のモットーですから!」

 早押しクイズのようにベルちゃんが答える。けれど電話を掛けた瞬間玄関前にいるのは、迅速とかそういうレベルではない気がする。そう思っていると、それを察したのか横島さんが答える。

「数日前成人式がありましたよね? うちの業界ではこの時期が一番忙しいんですよ。今も自分達以外のチームが何十組も駆け回っています。連絡があってから行動ではとても手が足りない。そこである程度、初回契約のお客様の所在地を事前に把握しておくんです。実はつい先程この周辺で一仕事終わらせたばかりでして、そのお宅がここから100メートルも離れていなかった。魔法のような速さのカラクリはそんなところです」

 異常な速さに得体のしれない恐怖を感じていたので、種明かしをして貰えて少し安心した。けれど同時にどこかがっかりしている自分もいた。それにしても、自分のようなアホがこの国には沢山いるのか。しかもその内の一人が100メートルも離れていない所にいるとは。知っている人かもしれないけれど、お互いのために知らないほうがよさそうだ。頭を切り替えて別の質問をしてみる。

「電話越しで一言も喋っていないのに変な話ですが、今僕が置かれている状況はどれくらい御存知ですか?」

「ほぼ大筋理解してます!」

理解力と反射神経は凄いのだろう。食い気味に話すベルちゃんの後を、一呼吸置いて横島さんが詳しく補足をしてくれる。

「……お客さんのプライバシーを損害するような情報は存じ上げません。ただ契約内容に関するデータは参照させて頂いております。そこからある程度、どのような問題かは推測はしておりますが、「自由」の取引には予測だけでは対応できません。場合によっては人命まで失われかねないケースもありますので、電話越しより直接話した方がいいのです」

「現場で解決至上主義なんです!」

横島さんの話が難しくなると、ベルちゃんが端的に要約する。割といいコンビなのかもしれない。

「まあこの契約をして、この状況で困っている事と言ったら一つでしょう。部屋から出られないんですね?」

「お恥ずかしながら」

「いえいえ、恥じることはありません。この取引に関わるものが一度は通る道です。解決方法はありますのでご心配なく。それでは今回のサポートに関する書類を下から失礼します。私たちはこちらにおりますので、ご不明な点がありましたら遠慮なくどうぞ」

 先程の名刺の時のように、扉の下から紙が2枚飛び出してきた。一枚は今回のサポートで掛かる費用についての説明。もう一枚はその支払方法について。支払い方法は現物・クレジット払いと、契約中の「自由」から支払いの3項目だ。その普通さに驚かされたが、それより驚かされたのはサポート費の方だった。

「こ、このサポート費って間違ってないんですか!?」

 素っ頓狂な声を上げた僕に、向こう側の横島さんも驚きながら返事をくれる。

「間違っていませんよ? 今すぐお支払い出来ない場合は、2枚目に書かれているとおり、取引の報酬から引くことも出来ますが……もしかして我々のサポートに関してご不満な点が御座いましたか?」

 意図が正しく伝わっていないようなので、慌てて訂正する。

「いくらなんでも安すぎますよ! 「自由契約の報酬から」がサポート%費ってことはですよ? つまり僕が今回「外に出る権利」で得られる金額は50万だから……サポート費はたったの5000円じゃないですか。てっきり20万くらい持ってかれるのかと……」

 安すぎてケチを付けるというのもおかしな話だと自分でも思う。けれどもこちとら100万円の借金を背負う覚悟でいたわけで、それがたったの5000円で済むという訳だから動揺の一つや二つする権利があると思う。

「それに僕はこれからこの部屋から出るんです。報酬以前に契約がなくなってしまうんじゃないんですか? 契約が破棄になってしまったら、そもそもこの契約の報酬から支払いは出来ないんじゃないんですか?」

 語気が強くなってしまう。疑心暗鬼に自業自得で八つ当たり。そしてこの状況に自己嫌悪でなんだかネガティブの役満状態で訳がわからない。

「申し訳ない。まずしなければいけない話でした。実は『自由取引』にはいくつか抜け道といいますか、裏技があるんですよ。例えばお客さんの契約。「自由外出権譲渡契約」についてですが、ある特定の第三者の介入について禁じられてはいない。ちなみにそれがサポートセンターでね。お客さんが契約中、その部屋から自分の意思では出られない。けれど私達ならこの扉を開ける事ができる。つまり私たちは扉を開けるだけでいい。つまり仕事が異様に楽だから安いんですよ。ただね、これをまず話してしまう。するとその5000円ですら惜しくなる人も多くてですね。下手すると揉め事に発展する。だから言い出すタイミングがとても難しい」

 そういうつもりではなかったけれど、さっきまでの自分を思い出す。なんだか申し訳ない気分になる。

「まあそんな恐縮しないでください。この仕事は実際、作業が単純すぎる事が多い。だからこそ説明の仕方が大切なんです。私一人だと怖がられちゃうんで、ベルにサポートしてもらっているんですよ。コイツも半人前なんで、まあ持ちつ持たれつですがね。扉一つを開ける作業が5000円。高いと感じるか安いと感じるかは人次第です。けれどお互いの出来ないことを助け合うような関係を沢山作れたら、もっと人生、生きやすいと思いませんかね」

 僕は、もう迷わなかった。

 

「それではちょーっと下がっていてくださいね! 具体的に言うと扉から1メートルちょい後ろです」

 ベルちゃんに言われた通り、扉から一メートル程離れ待機する。するとドアノブが音を立てて回る音がして、さっきまでどんなことをしても開かなかった扉が、何事もなく開いていく。扉の隙間から目が痛くなるほどの明るい光が、扇子を開くようにゆっくりと寝室を照らす。そして今頃になって、混乱のあまり自分が部屋の明かりを点けず、カーテンすら開けていなかったことに気がついた。

「眩しかったら行ってください! 一度開くの止めますから!」

「大丈夫です。そのまま開いてください」

 染みるような目の痛みにこらえながら、僕は視線を扉の向こうに向ける。逆光で輪郭しか見えていなかった2人の姿が、眩しい光が収まるのに反比例してはっきり見えてくる。横島さんは予想していた通り、30代後半位の渋い男性だった。190センチ近いのか、長身かつ屈強な体は扉が小さく見えるほどで、グレーのスーツをモデルのように着こなしている。髪はオールバックで固めていて、一見怖そうだけれど表情は柔らかかった。そして予想外だったのはベルちゃんのほうだ。扉をゆっくり開いているその姿は予想していたより小さい。長身の横島さんが隣にいるからか、彼のギャップが余計に目立つ。40センチは差がありそうだ。しかしそれより異彩を放つのは、その容姿の方だ。肩あたりで切りそろえられた髪はなんと銀髪。その雪のような白さとは対照的なのは、赤みがかった褐色の肌だった。一体この子は何人なのだろう? 

「ね? 横島さんが言った通りだったでしょ。扉を開けるだけの簡単なお仕事です!」

 気持ちまで溢れているような笑顔で、ベルちゃんは笑った。その笑顔が太陽のように光っているように見えたのは、目が外の光に慣れていなかっただけだろうか。不思議な女の子だと思っていると、横島さんが肩の力の抜けた口調で話し始めた。

「以上で私たちのサポートは終了です。現時点よりお客様がおられるお部屋は、閉鎖空間ではなくなりました。しかしこれはサポートセンター職員の関与により、契約の対象はこの部屋から、この家の中に変更されます。とまあ建前はややこしくてアレですが、要はこの家から出たりしなければ、「外に出る自由」の契約は続行可能です。この扉を閉じるとまた振り出しに戻るので、念のため開けたまま固定することをおすすめしますよ」

 横島さんの指示通り、この後扉の固定作業に励んだ。作業は簡単だった。扉を開ききり、横島さんから借りた特製のガムテープで壁に固定する。これを家の中すべての扉に施したので、もう一部屋に閉じ込められることは無さそうだ。僕は協力してくれた2人に感謝し、契約書を手渡した。横島さんは手際よくそれを確認し、手に持っていたビジネスバッグから出したクリアファイルに収め、元のビジネスバッグの中に仕舞いこんだ。そういえば扉の固定を手伝ってもらったのは料金に入るのだろうか。それについて聞くと、それすらも1%の中に含まれているらしい。対応が費用に対して随分と充実していやしないか。それとも自分が思っているより、「自由」という物の価値は高いのだろうか。そして自由を売り買いすれば難なく生活出来るこの国で、2人は一体何故この仕事をしているのか。知りたい事知らない事が多すぎて、一体何をどう聞けばいいのかわからない。けれども随分と引き止めてしまっている。忙しい中二人を引き止めるのは申し訳ない気がする。2人に謝って玄関まで見送ることにした。それにしても部屋から出して貰っただけなのに、異次元から帰還したレベルの大冒険をした気分だ。これで一番軽いトラブルなのだから、重大なトラブルって一体どういうものなのだろう。そんなことを考えている内に、玄関にたどり着いた。

「それでは、私達はこれで失礼します。サポートセンターのご利用は契約中なら可能ですが、毎度毎度サポート費が必要なので乱用はおすすめできません。まあ家の扉も全て固定したので、また閉じ込められることも無いでしょう。それと契約中に家から出ないでくださいね。契約書に書かれていた恐ろしい違約金が発生しますので。万が一家に出る必要がありましたら、強行突破の前にご連絡をお願いします」

 軽くおどけながら横島さんは言う。実は想像以上に気さくな人なのかもしれない。その横でベルちゃんが、肩をすくめていたずらっぽく笑っていた。自由を売って生活する家庭の中で僕は生まれた。そして自分自身もまた、親たちと同じように自由を売って生きていく。先ほどまでそれが普通で、それだけしか選択肢が無いと思っていた。けれど、実はそうじゃないみたいだ。

「あのっ!」

 予想以上に大きな声が出たことに自分で驚きつつ、僕は外に出ようとする2人を引き止めていた。

「サポートセンターでの求人は何処で募集していますか!」

 何故か少しの間が空いた。横島さんとベルちゃんは驚いた様な表情で固まっている。なにかまずいことを言ってしまったのかと焦っていると、2人の頬が次第に緩み始め、歓声を出してハイタッチし始めた。ますます訳がわからなかった。

「ああスイマセンスイマセン! 自主的に仕事をする人って殆どいなくって、求人出しても殆ど人がこないんです。だから営業の時にコツコツと勧誘したりしてるんですけど、殆どだれも聞いてくれなくて……軽く心が折れかけてたところなんですよ!」

 通常の1.5倍速でベルちゃんがまくし立て、横島さんは興奮しながらビジネスバッグの中に入っていたパンフレットを渡してくれた。

「これ! このパンフレットに全部書いてあるから読んどいて。面接は経済産業省の中でやるけれど、このパンフレットに書かれていることを理解していれば大丈夫! 募集はいつでもしているから、契約が終わって外に出られるようになってから来てね! なにかあったら俺たちどっちかに電話で聞いてもいいからさ。よろしく頼む!」

 あまりのテンションの上昇に圧倒されながら、上機嫌で去っていった二人を見送った。ただ扉が開かなくなっただけのはずなのに、本当に最後まで驚きに満ちていた。今までの人生に不満はなかったけれど、もう満足する事は出来なくなるかもしれない。手に持ったパンフレットに目を落とす。

「たのしく学ぼう じゆう職」

 やたらひらがなが多い。更に随分と薄い。20ページもないんじゃないか。なにかとても嫌な予感を感じながら、ひとまず僕は食べそこねていた朝ごはんを食べることにした。

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