37.あの場面を風景として見たのです

 私は起き上がると、病衣の乱れを整えて部屋を出ました。

 廊下は左右に広く伸び、片側には等間隔に扉があります。私の部屋と同じような病室が連なっているのでしょうね。

 右手側の正面には窓があり、どうやら行き止まりのようです。

 なので、私は逆を向いて廊下を歩き出しました。

 すると、開け放たれていた、隣の部屋の扉にレシアさんの姿を発見しました。

 ベッドから起き上がり、何かを読んでいるみたいです。新聞でしょうか?


「レシアさん!」

 私は声を掛けながら部屋へ入って行きました。

 レシアさんは顔を上げると、柔らかな笑顔を私に向けました。

「あら、あなた、やっと気が付いたのね」

「レシアさんこそ! 大丈夫なのですか?」

「私は大したことないわ。検査が残っていて退院できないだけよ。それより、こっちに来て座ってちょうだい」

 レシアさんは、読んでいた新聞を傍らに置くと、体を捻り猫の手を使って、ベッドの下のイスを引き出してくれました。

 私の部屋と同じですね。ジャンセンさんが座っていた、あの背もたれのない丸いイスです。

 私はそれに腰かけると、マジマジとレシアさんを観察しました。

 見た感じですと、どこかに大きな怪我を負っているようには思いませんね。

 良かった。ほっと一安心です。であれば、次に気になることは一つです。


「あの、レシアさん、ハル君ってどこですか?」

 私が尋ねると、レシアさんは、フッと息を吐いて言いました。

「ああ、レープリさんね。大丈夫よ。あなたの輸血で一命はとりとめて、今は集中治療室にいるわよ」

 良かった! 本当に良かった!

 ハル君、無事なのですね! いや、無事ではないですが、死んじゃうってことはないのですね!

 急にいなくなったりしたら、私は……。

 私は、ハル君がいなくなったら……、生きていけませんよ。

 怪我をしてしまいましたが、本当に生きていてくれて嬉しいです!

 早く顔が見たいですね。

 あの優しい笑顔……。

 私はそこで、張りつめていた気持ちの糸が切れてしまったのか、レシアさんのベッドの上に倒れ込んでしまいました。


 涙が溢れました。

「ハル君……」

 嗚咽が漏れます。

「レシアさん、ハル君が……」

 レシアさんが優しく頭を撫でてくれました。


 ひとしきり泣きじゃくると、スッキリしました。

 この病院に来て以来、なんだかやっと気持ちが落ち着いた感じです。


「レシアさん、ありがとうございます。もう、なにがなんだか……」

 私は涙を拭いながら、イスに座りなおしました。

「そうね。大変だったわね」

「いったい、何があったのですか? 昨日、あの研究室で何があったのです?」

 私が尋ねると、レシアさんは、

「まずは、昨日、ではないわ」

 と言いました。

「昨日ではない?」

「そうね。あなた、レープリさんの輸血が終わってから、一日中寝ていたのよ」

「えっ! そうなのですか?」

「そうね。麻酔が効きすぎていたのか……、もしくは……、まあ、あなたも怪我をしている状態での採血だったから、体力的にも厳しかったのかもしれないわね」

 そうなのですね。私は左腕に残る採血の後を指で撫でていました。

「じゃあ、一昨日なのですね。あの夜いったい何が?」

「そうね。どこまで覚えているかしら?」

 どこまで?

 えーと、ですね……。

「オートムがハル君に体当たりして、その後、何も見えなくなって……、あっ! そうですよ! あのとき、レシアさん! 私に何かしましたね!」

「そこまで覚えているのね! なら、話しが早いわ」

 レシアさんは、フフっと笑って続けました。

「エレンよ! あなたのエレンに賭けてみたのよ」

 エレン? えっ? 私のエレンに賭けてみた?

「疑問の顔つきね」

「はい、どういうことですか?」

「あの時、私は感覚的にまずい状況になると悟ったわ。以前に見た白虹の球体と同じなら、爆発すると思ったのよ」

「はい、そんなことを言ってましたよね。市庁舎と同じとか……」

「そうね。だから一部始終を記録しておこうと思ったのよ」

「記録ですか?」

「そう記録……、というより、あなたの場合は記憶になるのかしら?」

 レシアさんが猫の手を顎先に当てて首を傾げています。

 そして、少し間を空けて言いました。


「あなたに見せたかったのよ。あの場面を風景としてね!」


 あっ!

「あの状況で、意識的に見るな! という方が無理な話しでしょう。だから咄嗟に幻導力であなたの網膜に、あの部屋の外観だけを重ねて視界の一部を奪ったのよ。そして、そこに簡単な催眠術をかけて、あなたの意識が部屋しか認識しないように仕向けたわ。そうすることで、あなたが、あの状況を風景として見てくれると思ったのよ」

 なるほど! だから、あの時……、急に……。

「私たちが見えなくなっていた。と言うのなら、それは、きっと成功だわ」

 レシアさんは唇を上げてニヤリとしました。

「じゃあ、見てみるってのは、どうかしら?」


 それにしても、やっぱりレシアさんは凄い人ですね。

 あんな短い間に、そんな判断をしていたなんて……。

 私以上に、私のエレンの使い方を知っていますね!

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