36.気が付くといつも同じシーンです

 採血を行う前に、いくつかの誓約書にサインをしました。

 これは、主に先生方の責任回避のためのものであり、それ自体に意味があるものではありません。こういうの……、私はあまり好きではありませんが、拒んでしまうとハル君を助けられないので、今日のところはサインをするのです。


「はい、では、採血と輸血を同時に行うので、手術室へ入りますよ」

 先ほどの看護婦さんが、私が横たわるストレッチャーを押し始めます。

 ガラガラと大きな音を立てて、ストレッチャーは奥の扉を目指しているようです。


 扉の中、手術室は、まさに戦場のようでした。

 私は首だけを起こし、少し辛い体制ですが、辺りを確認していました。

 何人もの先生と看護婦さんがバタバタと行きかっています。

 見たこともない機械があちこちで、小さな音を立てています。

 お薬の匂いでしょうか? どこかお花の匂いに近い甘い香りが漂っています。

 そして、その部屋の最奥にハル君が横たわっていました。


 ですが、ハル君!

 そんな……。


 足がありません。

 右脚でしょうか?

 脛の辺りから下が無くなっています。

 包帯のようなものを巻かれていますが、それは真っ赤に染まり、今もポタポタと血を滴らせています。

 そして、先生方はハル君のお腹の辺りに集まり、何かの治療を行っています。


 嫌です!

 こんなの嫌です!

 なんで、ハル君が、こんな目に遭っているのですか?

 嫌ですよ!

 助けてください!


 私はハル君の隣まで運ばれると、唐突に口の辺りにマスクのようなものを付けられてしまいました。

 そして、そこからは、先ほどの甘い香りが漂ってきます。

「気持ちを楽にしてくださいね。はい、ゆっくりと深呼吸ですよ」

 看護婦さんが、優しい言葉を事務的に伝えてきます。

「いいですね、では、リラックスしてくださいね」

 今度は目の前で指をパチンと鳴らされました。

 すると、視界の隅の方から闇が押し寄せてきます。

 香りと幻導力による視覚的麻酔ってやつでしょうか?

 そう言えば、これって、昨日のレシアさんのアレに似ていますね。

 私がそんな風に思いながら朦朧としていると、不意に景色が変わってしまいました。


 あっ!

 どこでしょう?


 サラサラと緑の揺れる音に混じって水の流れる音も聞こえます。

 近くに小川でもあるのでしょうか?


 そよ風が気持ち良いですね。


 目を開けます。

 青空です。

 抜けるような青空です。

 五月でしょうか?

 気持ち良いですね。

 空が高いですよ。


 うん?

 向こうに誰かいますね。

 ほら、あそこの丘の上です。

 金色のワンピースをはためかせています。

 女の人でしょうか?

 不思議な形の仮面を被る、髪の長い女の人が立っています。


「あっ! キ・リリカ・キンローブ!」


 懐かしいですね。キリリカさんですよ。

 でも、どうして、こんなところに居るのでしょうか?

 キリリカさんは残ったはずですよね?

 そして、キ族の仮面は……、誰でしたっけ?

 赤い帽子が好きなオコイ人。

 えーと、顔は思い出せるのですが、名前を思い出せませんよ……。

 確か、私のル族の仮面と一緒に、途中で彼女の船となったはずですが?

 約束通り、今もあの灯台に保管されているのでしょうか?

 いえいえ、違いますね!

 そろそろ船を離れる頃だったはずですが……。

 無事に目覚めることができたのでしょうか?


 うーん、心配ですね。

 ああ見えて、なんだか子供っぽいところがありましたもんね。

 しかたないですね。キリリカさんとの約束もありますし、私も一緒に起きますかね。


「その方がいいですよね? キリリカさん!」


 あれ? キリリカさんじゃないですね!

 あの仮面は……、まさか、ク族の仮面ですか?


 それなら……。


「ク・リニカ・ハルバート!」


 今度は、おまえですか!

 おまえだけは許しませんよ!

 メ・モール人の総意は、リュシャンの教えを支持しています。

 ク王など、誰も認めていませんよ。


「逃げるのですか?」


 そんなことしても無駄ですからね!

 私は追いかけますよ。

 どこまでも、どこまでも。

 そして、必ず、お前の野望を仮面と共に打ち砕きます!


 ――


 嫌ですね……。

 また、これですか……。


 目覚めると、私の部屋のベッドの上でした。

 私の部屋と言っても、病院の、という言葉が付きますが……。


 それにしても、なんだか時間の感覚が曖昧になりますね。

 気が付くと必ず病院のベッドの上のような気がします。

 なんでしたっけ? なんでここにいるのでしたっけ?


 いや、それにしても眩しいですね。

 窓から差し込む光が少し強くなった気がします。

 お昼を少し回ったあたりでしょうか?

 そう言えば、お腹もすきましたね。

 シュリンプサンド、また食べたいですね。


 あっ! ハル君……。

 そうでした! ハル君はどうなりましたか?

 左腕の針の傷跡が、チクんと痛みました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る