33.四日目の真っ赤なアレは本物です

 こんな状況になれば、さすがに避けるのも面倒になります。

 春の心地よい風が吹く、清々しい朝だというのに、まったくもって面倒なのです。

 だからと言って、私は生来の『メンドクサガリ』と言うわけではありません。どちらかと言えば、マメな方だと認識しています。

 まだ、おばあちゃんが生きていた頃は、言いつけに従って、毎朝かかさず黒フサスグリの木に水をやっていましたし、夕方には家の前に灯す篝火かがりびにオイルを継ぎ足すことも、きちんとこなしていました。

 そうです。ちゃんと意味があって、因果応報にもとづく結果が伴うのであれば、それは面倒なことであっても、必要なことと認識しているのです。

 それを行う事は義務であり、はたまたそれは社会的な奉仕、いや仕事と言うものにも繋がっていくのです。そんな日々の積み重ねこそが、私と世界を、より良い方向へ運んで行くと、細やかながら、信じているのです。


 ですが、これは、理に適っているとは思えません……。

 いや、こんな状況なのにリンゴを投げてくる神経が分かりません。


 私が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上のようでした。

 鉄パイプの簡易的なベッドに横たわり、クリーム色の天井を見上げていました。

 どうやら個室のようで、傍らの窓からは、朝の澄み切った風が流れ込んでいます。

 その風に乗って、鼻を衝くアルコールの匂いが、病院独特の雰囲気を醸し出しています。


 あれ? なんで私はこんなところで、寝ているのでしたっけ?

 病院にいるのだから、どこか怪我でもしたか、あるいは、何か病気を患ったか……。

 全然、思い出せませんね。

 私は、毛布の中でゴソゴソと体のあちこちを触り、五体満足であることを確認しました。

 うん、取り敢えず、大怪我を負っているわけでは、ないようですね。体は動きそうです。


 私はむくりと起き上がりました。


 痛っ!

 お腹と背中、そして頭の後ろ側に痛みが走ります。

 大怪我ではないようですが、やはり怪我はしているみたいですね。

 私が後頭部へ手を回すと、包帯の感触がありました。

 上目遣いで額を見上げると、その包帯の端くれが目に入ります。

 どうやら、頭をグルグルと巻かれているみたいです。


 と、そこへ、視界の片隅から、不意に真っ赤なリンゴが現れました。

 あっ、と思うと、そのリンゴは私の胸に当たり、ボトリと足の間に転がり落ちました。

 痛いじゃないですか!

 怪我人に向かって、リンゴを投げるなんて聞いたことがないですよ。

 いや、こんな状況なのにリンゴを投げてくる神経が分かりません。

 ははぁん、これは、やっぱり、ハル君の仕業ですね!


 私が顔を上げると、そこには、季節外れなブルーのロングコートに、同じ色のベレー帽を被った、見知らぬ男が立っていました。


 あれ? ハル君じゃないですね? どなたでしょうか?

 私は人差し指を口元に当てていました。


「キミが一番早起きだ!」

 そう言って男が私のベッドに近寄ってきました。

 そして、ベッドの下にあった、小さな木のイスを引き出すと、それに座って、

「そのリンゴはお見舞い。で、何があったか教えてくれないか?」

 と言って、懐からペンと手帳を取り出しました。


 私は、ポカンと口を開けて男の顔を見つめていました。

 男は二十代後半くらいでしょうか? ベレー帽を深めに被っていますが、そこから零れ落ちる黒髪が美しく、女の子でいうところのショートボブでしょうか? そんな髪型をしていますが、そこに似合わない無精ひげを生やしています。

 ちょっとアンバランスな感じですが、目鼻立ちが良いせいか、あまり違和感はありませんね?

 あっ! いや、そうでもないかもしれません。人差し指が口元にありました。


「あの? どちら様でしょうか?」

 私が尋ねると、男は顔を上げました。

「うん? そうか、自己紹介はまだだったな。俺は、ジャニィ! ジャニィ・E・ジャンセンだ。オボステムタイムズで記者をやっている……」

 記者? ジャンセン? あっ! ってことは……。

「もしかして、レシアさんのお兄さんですか?」

「レシア? ああ、アイソレシアのことか、そうだな、アイツはまだ向こうで寝たままだがな」

 そう言いながら、ジャンセンさんは、ペン頭を扉の向こうへ向けました。


 私は、そのペンにつられて、扉の外をぼんやりと見つめていました。

 レシアさんも向こうで寝ているのですね。

 そうですか……、えっ? レシアさんも向こうで寝ている?

 あれ? では、レシアさんも病院にいるってことですか?

 うん?

 そう言えば……、ハル君! ハル君はどこですか?

 いえ、思い出してきましたよ!

 昨日、あの研究室で何が起こったのか。

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