28.マツリカの標本箱を届けるのです

「それじゃ頼んだよ。それと、気を付けて行くんだよ! ルリリカさんを殴るような男がいるかもしれないんだからさ!」と、園長さんに送り出されて、私たちは、幻子力研究所へ向って歩いています。

 春になったとはいえ、夜になれば、やはり風も少し冷たく感じますね。

 その冷たい風が吹く度に、花壇の草花が揺れて、サラサラと小さな緑の音を立てています。

 月明かりに照らされた白や黄色の花々は、その光を反射して花壇をぼんやりと輝かせています。クサフジとツマトリソウの列を除いてですが……。


「ねえ、ハル君、その標本箱、私が持っていてもいいですか?」

 昨日は園長さんに奪われてしまったので、この機会にじっくり見ておきたいと思ってしまいました。良いですよね? せっかくのチャンスなのですから?

「これかい、別に構わないけど、ルリちゃん、おっちょこちょいだからねぇ、落としてガラスを割ったりしないよう注意してよ」

 ハル君、私のことを良く分かっていますね。

「うぅ……、それを言われてしまいますと、保証ができませんよ」

「じゃあ、私が持つわよ」

 あっ! レシアさん!

「それで、一緒に見るのは、どうかしら?」

 ありがとうございます!

「見ましょう! 是非、一緒に見ましょう! レシアさん、マツリカ可愛いんですよ!」


 私はマツリカの蕾をジャスミン茶にすると美味しいことや、根っこの部分は生薬として利用できること、なにより、お花の香りがとても良くて、東の方の国では、これを天国の香りと呼んでいるところもある、なんてことを、自慢気に話しながら歩いて行きました。


 私たちが植物園の花壇を抜け、正門を左手に見て右折し、実験棟の前を過ぎると、奥に見える幻子力研究所の二階の窓から明かりが漏れていました。

「ハル君、ソリンさんの研究室って、あそこですかね?」

 私の言葉にレシアさんも明かりの窓に目を向けています。

「いや、ソリン主任の研究室は、もっと奥じゃないかな? 西日が差し込むんで、夕方は眩しくてしょうがないって言ってた気がするからねぇ」

「そうなのですか? じゃあ、別の教授ですかね? みなさん晩くまでお仕事されているのですね。しかし、寒いですね、早く行きましょうよ!」

 私は小走りで明かりの元へ向いました。


 入り口の扉には、今日も立入禁止の警告文が貼られています。

 本当に入っていいのですか? 鍵、開いているのでしょうか?

 私が扉の前で躊躇ためらっていると、ハル君がドアノブを掴み、クイっと扉を開けてしまいました。こういうときのハル君は頼りになりますね。これが男らしいというものでしょうか? なんか違う気もしますが……。

 レシアさんがマツリカの標本箱を大事そうに抱えながら、ハル君の後に続いて入って行きました。

「扉、閉めてちょうだい」

 私の前を通り過ぎると、チラッと私の方を振り返りレシアさんが言いました。

「あっ、はい」


 幻子力研究所に入ると、そこはエントランスになっており、正面にはまっすぐに続く廊下がありました。その廊下の中央の床には、等間隔に小さな幻導力灯ホロランタンが埋め込まれており、青白いほのかな光を放っています。そんな心細い明かりを頼りに目を凝らすと、どうやら、この廊下の突き当りには扉があり、裏口へと続いているようです。そして、その廊下沿いには、左右に二つずつ扉があることから、一階には大き目な実験室が四つほどあることが窺えます。

 そして、今入ってきた扉を背に、右側を見ると、そこには少し広い空間が広がっていて、そこかしこに木箱やら樽やらが乱雑に置かれています。さながら倉庫の様相ですが、正面には、大型の蓄幻装置が置かれていて、どうやら、この施設の幻導力灯は、これで一元管理されているようですね。


「ルリちゃん、こっち、二階に上がるよ」

 ハル君が小さな幻導力灯を手にして、左手側にある階段を照らしています。

 階段には、幻導力灯は埋め込まれていないようで、廊下に比べると、ずいぶん暗いです。

「あっ、ハル君、その携帯用の幻導力灯って、いつも持ち歩いているのですか?」

「うん、まあね、これでも一応は幻灯者ホロライターだからねぇ」

「さすがです! 幻灯者の鏡ですね!」

「いやいや、実はそうでもなくてねぇ、これは、おやじの形見でもあるんだよ」

「ハル君のお父さん? バンシュさんですか?」

「そうだねぇ」

「そう言えば、私、バンシュさんって、会ったことないですよね?」

「うん? そうだったかい?」

「そうですよ」

 私が無意識に人差し指を口に当てると、

「まあ、早くに亡くなってしまったからねぇ」

 と、間髪入れず、ハル君が答えました。

「そうですよね。悲しいですね。でも、やっぱりアレですか? バンシュさんも幻灯者だったのですか?」

「まあね、でも本業は科学者だったから、僕の方が幻灯者としては優秀だよ」

「またまたー」

 そこで、私はふっと思い出しました。

「あっ! では、向こうにある蓄幻装置に充幻しているのもハル君ですか?」

「うん?」と言って、ハル君が振り返り、奥の蓄幻装置を見遣ると、

「あー、いや、あれは大学専属の幻導師が毎夕やっているよ」

「大学専属の幻導師ですか? 幻灯者でなくても、充幻って出来るのですね。知りませんでした」

「まあね、それなりの幻導力の持ち主であれば、誰でもできるよ。まあ、本来は僕らがやった方が効率は良いのだけど。実はルウさんに頼まれて、たまにハーバリウムの充幻はやってあげてるんだよねぇ」

「へー、そうなのですか!」

「そっ、ここの幻導師だと、朝まで持たないらしくてさ、明け方には暗くなるってボヤいていたよ」

 頼もしいですね。やはり幻灯者のハル君が居てくれて助かりますね。


 私たちは、そんなハル君の灯りに続いて階段を上がって行きました。


 二階に上がると正面は壁になっており、そこには掲示板がありました。そして、その掲示板の片隅には、各部屋への案内があります。

 どうやら、二階は実験室ではなく、教授たちの研究室となっているようです。

 しかし、今、目に入るのは、そんなものではありません。

 掲示板の前に、フワフワと漂いながら、藤色に光る物体があります。

 それは、まるでラッパの様な筒状の小さな花の形に似ています。

 昨日、レシアさんが観察していた、ツマトリソウの精霊モドキとも違うようです。


「ヒーレンヴィルナの人工精霊? かしら?」

 レシアさんが首を傾げながらポツリと呟きました。

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