11.あの人の左手は昨日も猫の手です

「ハル君、ちょっと拡大します!」

「拡大! えっ、ルリちゃん、そんなことも出来るのかい?」

「できますよー、パワーアップしたって言ったじゃないですかー、実はですね、もっと凄いこともできるのですが……、それはまだ秘密です!」

「そっ、そうかい……、まあ、秘密なら別に構わないけど……」

「はい! 秘密です! じゃあ、拡大しますね!」

 私はシャボン玉の中のレシアさんと思しき人物の左手を拡大しました。

「あっ! ハル君! やっぱりですよ! ほら、猫の手です!」

「猫の手? あっ、本当だねぇ! しかし、どういうことなのかい? なんでこの娘は猫の手なんか……」

「あっ、これ、義手だそうです。なんでも昔お兄さんにプレゼントして頂いたとか」

「義手のプレゼント? それは珍しいねぇ、しかもそれが猫の手なんて」

「はい、私も聞いてみたのですが……、それが結構重たい過去なんですよ。でも本人は、そのことをあまり気にしていないようで……。聞きたいですか?」

「いや、重たい過去なら遠慮しておくよ。でもルリちゃん詳しいねぇ、知り合いかい?」

「あっ、そうなんですよ! 応用幻導学で同じクラスのレシアさんです」

「レシアさん? どんな娘なんだい?」

 ハル君は猫の手を見つめています。


「えーとですね。アイソレシア・S・ジャンセンさんです。歳は私の二つ上で……、あっ、私が飛び級で入学しているので、大体の人は二つ上なんですけどね。で、オボステム市の北区に、お兄さんと、その知り合いの三人で暮らしているそうです。あっ、お兄さんと言っても血は繋がってないらしいですけど」

「ふーん、で、そのレシアさんは、花を盗んだりする娘なのかい?」

「えっ! レシアさんが? いやいや、そんな娘じゃないですよー、猫の手ですけど、中身はちゃんとした人ですよ! むしろ、ちゃんとしすぎているくらいです」

「ちゃんとねぇ、まあ確かに、この後に花を摘み取りそうには見えないねぇ」

「その前に猫の手で花なんて摘めるのかい?」

 園長さんが怪訝な顔つきでシャボン玉を見ています。

「たしかに、ルウさんの言う通りですね。この手じゃ花を摘むのは難しいですよ」

 ハル君も続きました。

「いえいえ、そんなことはないですよ。この猫の手、ちゃんと動くんですよ。先日なんて器用にナイフとフォークで食事してましたからね」

「ナイフとフォーク、そうなのかい……、それはそれで、ちょっと不気味だねぇ」

 ハル君の顔が少し引きつっているように見えます。

「不気味じゃないですよー、どっちかと言うと可愛い感じですよ」

「可愛いねぇ、じゃあ、レシアさんも一応犯人候補にしておこうか」

「あっ!」

 そうなっちゃいますか? うーん、なんか私、墓穴を掘りましたか? レシアさんが犯人なんてあり得ないはずなのですが……。


「ルリちゃん、そんな顔しないでよ、ただの候補で僕も犯人だなんて思ってないからさ、念のため、レシアさんには明日にでも、話しを聞くくらいにしておこうか」

「そっ、そうですね」

「うん、じゃあ、あとは右側だね? 花壇の正面は実験棟かな?」

 ハル君がスフィアスクリーンに、実験棟側を映すよう促してきました。

 私は今度も記憶の目を右に振り向かせました。

 しかし、スフィアスクリーンには何も映りません。ただの空白、真っ白です。真っ白な紙がスフィアスクリーンの中で揺蕩たゆたっています。

「あれま、真っ白じゃないか」

 園長さんが、見たままの光景を呟きました。

「あっ、ごめんなさい。そう言えば、昨日帰るとき実験棟の方が明るかったので見てしまいまして……」

「見てしまって? それで?」

 園長さんがシャボン玉から顔を上げると、不思議そうに私の顔を見つめてきました。

「えーと、なんて言えばいいですかね……、ここに映せるのは、私が見ていないものだけなんですよ。意識的に見ようと思って見たものは映せなくて、無意識に目に入ってきたものだけを映せるんです。簡単に言いますと、私が風景として認識したものだけを再現して映すことができるのです」

「うーん、なんだかややこしいね……、見たものは映せなくて、見てないものは映せるなんて……」

 園長さんが少し困り顔になってしまいました。

「じゃあ、ルリリカさんの後ろ側は? そっちは見てないから映せるのかい?」

「あー、いやいや、後ろ側は、そもそも視界に入ってないので……、映せないですね」

「そうなのかい?」

 やっぱり園長さんは、少し困り顔ですね。

「じゃあ、これに映せるのは、これでおしまいかい?」

 あっ、そう言われてしまうと、……そうですね。これで終わりになってしまいます。

「ええ、まあ、あとは空くらいですかね……、夜だったので月しか映ってないかもしれませんが……」

 って、あれ? 必殺技を披露したのに、最終的にはガッカリさせてしまいましたか?

 なんだか、とても申し訳ない気分になってきましたよ。


「ルリちゃん! さっきのレシアさんの絵をもう少し引きで見ることはできないかな?」

 と、そこにハル君の新たな注文が飛んできました。

「えっ? さっきのですか? ええ、まあ、拡大ができるので、その逆も然りですけど、それがどうかしましたか?」

「うん、ちょっと気になってねぇ」

「分かりました」

 レシアさんの引きの絵ですね。えーと、あの時の私がちょっと後ろにいるイメージを膨らませて、記憶の目を一歩二歩と後ろへ下がらせます。

「こんな感じでしょうか?」

「やっぱり!」

 ハル君が声を上げます。

「ほらっ! ルリちゃんにルウさん! これ、レシアさん、正門の左側の木陰を見てませんか?」

 ハル君に言われて、先ほどのレシアさんを見ると、確かに首を左側に向けています。

「ルリちゃんが、実験棟の明かりに気を取られて、そっち側を見ているのに、レシアさんは反対側の木陰を見ている。ってことは、明かりより気になる何かがあった、ってことじゃないのかな?」

 明かりより気になる何か? 私が気付かなかった何か?

「あっ! もしかして犯人ですか?」

 園長さんも同じことを思ったのでしょうか?

 私と目が合ってしまいました。

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