第41話:検査結果の報告と今後について

 その後、ベイブリッジ、羽田空港を抜け15時過ぎ有明病院の駐車場に到着。下村が、入院の手続きを取り、終わると、病室へ、荷物を持って行き、ロッカーに入れた。その後、下村が礼を言って、宮下と泉堂さんが、お大事にと告げた。また何か必要なものがあれば電話しろと宮入が言いった。


 その時は、世話になるよと言い病室を出た。帰りの良かったら横浜中華街で食事していくかと、宮入が聞くと、今日は、気が進まないと言ので、そのまま、泉堂さんのマンション前まで送り別れた。宮入も下村が、心配で、心ここにあらずの心境だった。


 家に帰り、なかなか寝られずウイスキーを飲んで寝た。11月4日の朝、有明病院から下村さんの付き添いの方ですよねと言われハイと答えると、大事なお話があるので関係者の方に訪問して欲しいと言われた。今日、夕方17時に病院の受付で名前を告げてくださいと言われた。


 その後、宮入が、泉堂さんに電話して現状を話すと、一緒に行きたいと言ったので、明日、15時代、最初の列車の京王線の先頭車両の一番先頭の乗車口に乗ってと告げた。翌日、15時過ぎ、京王永山駅から、先頭車両に泉堂さんが乗ってきた。


 そして、新宿で埼京線に乗り換え、国際展示場前に15時45分頃到着し、有明病院に入り受付近くのソファーで待った。17時に病院の受付に行き自分の名前を伝えた。こちらへと2人が、案内された。そして、残念ながら、すい臓がんが発見されました。このがんは、悪性で、転移も早い。


 今の所、転移してなさそうですが予後不良と言われた。とりあえず、抗がん剤の治療で、がんの勢いを止めてから、手術するしかないと思われますと言った。そのため万が一のために覚悟が必要です。そして、今年いっぱいは、退院できないでしょうと言われた。また、病状が急変することも覚悟する事を理解してください。


 下村さんには、子供さんがおられず、奥様は、数年前に亡くなったと、直接、聞いておりますが、間違いないですねと聞かれ、相違ありませんと告げた。それでは、病気の説明を理解したと言う事と緊急時の手術の同意書したと、ここにサインしてくださいと言われた。


 そこに、友人代表、宮入晋平と書き込んで、ハンコを押した。これで結構ですと、事務の女性が言った。17時過ぎに、担当の先生が来られますので、少し、ここで、お待ちくださいと言われ、10分後、50歳代とみられる男性医師が来て、主治医の相沢ですと言った。


 この度は、大変なことでと言い、すぐ本論の病状について話し始めた。本人からの話では、数年前から、たまに消化不良起こすので消化酵素剤と下痢止めを飲んでいたようです。これで、病気の発見が遅れたものとみられますと話した。


 がんは、かなり進行して、抗がん剤で、病気の進行を止めて、落ち着いてからでないと、手術できない状況で、

放射線療法もやり始めました。予定では、来春までに、がんの進行を止めて、3,4月に、すい臓の全摘出術をしようと考えていますと語った。


 この話を宮入は、冷静に聞いていたが、隣の泉堂さんが、じれったくなり、治る確率はと、突然、聞いた。それに対して、正確な事は、言えないと告げた。なぜならば、本人のがんに対する抵抗性が、分からないからと言い、がん抵抗性の強弱により治癒率は、大きく異なると言った。


 現在の放射線治療と薬物治療で彼のがんに対する抵抗性が分かるのは、いつと聞くと早くて1月、2月までには判明するでしょうと言った。抵抗性が弱いとわかったらと質問すると、最悪の場合は、手術できませんと話した。という事は手の打ちようがないのですねと聞いた。


 その通りですと言うと、泉堂さんが、それは、あんまりだわ日本一のこの病院でも助けられないのと聞き返すと、現在の医学では、難しいと答えた。それを聞き、泉堂さんが、ふらつき、看護婦さんが、彼女を部屋から出して、ベッドに寝かせた。

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