第6話:子供達の進路と株投資

 1992年10月12日、朝、証券会社の担当者からソニー株が6300円の気配値で安いと言われ、成り行きで2百株買いを指示、1260万円で買え、口座残金が1640万円となった。1994年1月、宮入の長男の智和が東京都立大学経済学部に入学した。1997年1月、宮入の長女の悦子は筑波大学教育学部に入学し、大学の寮に引っ越した。2003年に博士課程を修了。


 一方、宮入智和は、1998年、東京都立大学経済学部に卒業し住友銀行に入行したが、自分の上司が、会社内の抗争で、主流派から外れた。そして2000年、ソニーと出資したソニー銀行設立のために出向させられ、ついに2001年4月、ソニーバンクに移籍することとなった。


 2000年2月22日、朝、証券会社の担当者からソニー株が33150円の気配値で高いと言われ、成り行きで2百株売りを指示し全株売れた。その結果、税引き後利益5500万円となり資産残高が7140万円となった。2001年3月、宮入悦子は、筑波大学で心理学の分野に興味を持ち大学院博士課程へ。


 2003年4月、筑波大学の心理学科で博士号を取得。そして、特に人間の発達や支援に関して科学的に分析・理解するための専門的な知識や技能を学生に教えたい考え始めた。この頃、ネットバブル崩壊し急上昇株が、一気に値を下げ、半分、または、数分の一に株価を下げる株もあった。


 そこで、宮入晋平は、奥さんの沙織さんと話し合い、ヤフー株が、有利子負債もなく安全だろうと考えて下げ止まりを待った。2001年9月4日、朝、ヤフー株の気配値が182万円となっていたので安いと考え、宮入晋平が、2株、成り行き買いを入れた。


 すると、すぐに364万円で買え、投資残金が6776万円となった。その後、宮入悦子は2003年6月、これらの知識・技能を活用し人が抱える様々な問題に対処し人間社会に広く貢献したいと考えた。その人材を育成のため筑波大学教育学部の講師に就任。


 宮入智和は、社内の派閥争いに嫌気がさし2003年4月、クレディセゾンに移った。ここでクレジットカードという新分野に興味を持ち新規顧客獲得の営業活動をした。この頃、米国で流行っていた投資信託に興味を持ち、その領域の専門家を目指すため勉強・研修を開始。


 その勉強ため米国に渡り米国の一流投資信託「ファンド」を持つ企業で研修してきたいとクレディセゾンに要望書を提出し受理された。そして2004年から「フィディリティ」、「バンガード」、「ブラックロック」、「ステート・ストリート」などの一流ファンド会社で、1年間研修。


 一方、宮入晋平は、2004年4月6日、朝、ヤフー株の気配値が140万円で高いと考え、全株、成り行き売りを入れ売れた。2002年3月26日に2分割して以降、計5回の2分割で64倍になった。その結果、宮入晋平の税引き後利益が7200万円で資産残高合計14000万円となった。


 この利益で賃貸マンションから分譲マンション購入を決意し中古の広めのマンションを探すと八王子駅まで徒歩6分、築7年の15階建ての10階、駐車場付きで3LDK75平米、販売価格が5200万円が、4800万円に値下げしていた。最近のネットバブル崩壊で売り急いでいるようだ。

 

 宮入晋平と奥さんの沙織さんが実際にマンションを見て気に入り購入を決意。その後、2004年4月、契約書類に、次々とサインし、不動産会社の口座に4800万円を送金。それを不動産会社が、確認し、5月マンションの鍵3つを渡してくれ引っ越した。その結果、宮入晋平の資産合計が9200万円となった。


 一方、宮入悦子は、2007年4月、新しくできた筑波大学人間学群の講師に就任した。人間学群の教育目標は、人が抱える様々な問題へ対処する事で人間社会に広く貢献できる人材を養成が目的。これが人間学群の設立理由と目的とされていた。

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