#141 星夏の後見人と二度目の再会


 信さんの車で向かったのは自宅ではなく、バイト先であるハーフムーンだ。

 いくらなんでも送って貰う程、図々しくなった訳じゃない。

 単にここにも用があるだけだ。


 車を降りて、訳あって閉店している店内へ入る。


 客の居ないフロアには星夏と真犂さんの姿があった。

 俺が来たことに気付いた星夏が、不安げな面持ちを浮かべながら駆け寄って来る。


「こーた。お疲れ」

「労れるほど何かした訳じゃないけどな」

「アタシの代わりに行ってくれたんだから、お礼くらい言わせてよ」

「なら、ありがたく受け取っておく」

「うん……それで、お母さんはどうだった?」


 彼女の立場なら気になって当然の心配だ。


 どう説明したモノか逡巡するが、結局はありのままに話すしかなかった。

 自分の伝言が決定打になったと知った時は、目を丸くして驚いた程だ。


 ただこれだけは言っておきたい


「星夏が気に病む必要は無いからな? 全部、アイツの自業自得だ」

「うん……分かってる。ちゃんと伝えてくれて、教えてくれてありがとね」


 そう感謝の言葉を述べた星夏の表情は、思いの外冷静だった。

 完全に母親と決別したことで踏ん切りが着いたのか、卑屈になるでもなく事実を受け止められたみたいだ。


「信さんも、ありがとうございます」

「弁護士として当然のことをしたまでだよ」

「俺からもありがとうございました。それと……費用はいくらぐらいになるんですか?」

「今回は告訴にまで至っていないからお金は必要ないよ」

「え、でも相談料とか……」

「それも構わないさ。普段は親に頼らない娘からのお願いなんだ、少しは格好つけさせてくれたら十分だよ」

「……ハハっ、じゃあお言葉に甘えさせて頂きます」


 咲里之と違って、子供に見栄を張る信さんに好感が持てた。

 眞矢宮の両親もそうだったが、この人も親として娘を思っているんだと実感する。


 星夏も同じ感想を懐いたようで、クスクスと笑みを浮かべていた。


 出来ればもう少し穏やかな時間を過ごしたかったが、ハーフムーンに来たのはそういう目的じゃない。


 今回の件で星夏は咲里之と絶縁することになった。

 その証明書類へのサインは既に済まされているため、それを家庭裁判所に出して認可が下りれば戸籍上の親子関係は無くなる。


 だが肝心の星夏はまだ未成年だ。

 成人するまでの親権を誰かが代わりに担わないと、様々な不都合が出てきてしまう。

 それらを避けるには養子縁組をするか、未成年後見人を立てるのが良いらしい。


 詳細は省くが前者だと十五歳以上である星夏では、咲里之が持つ親権は失くならないという。

 だから後者を選ぶことにした。


 しかしこれも一筋縄ではいかなかったりする。


 戸籍上はまだ親権者である咲里之は健常だ。

 だから遺言が無い以上、後見人は家庭裁判所が選任することになる。

 申し立てすれば候補者を推薦出来るが、最終的な決定権は家庭裁判所にある点に変わりはない。


 予め会長から訊かされていた説明をざっくりと思い返しても、中々に面倒だなと感じさせられる。


 候補者が居てくれたことがせめてもの幸いだ。


 その内の一人が今まさにここにいる信さん。

 とはいっても彼曰く自分はあくまで保険だとか。


 だったら本命は誰なのかというと……。


「なぁ、星夏。本当にあたしで良いのか?」


 今でも戸惑いを隠せていない真犂さんだ。

 後見人になるための資格は特にないと訊いた星夏が、真っ先に名前を挙げたのが彼女だった。


 起訴しないって言ったのもそうだが、これにも俺と会長は驚いてしまったモノである。

 名指しされた当人も衝撃が大きかったようで、困惑を露わにしていた。

 何気に初めて見た表情だったりするが、そこに感心を向ける余裕はない。 


 何せ真犂さんは……星夏を捨てた元父親の浮気相手だった人なのだから。


 いくら恨んでいないとはいっても、普通は自分の後見人として挙げないはずだ。


「他の誰よりも真犂さんが良いんです」

「……物好きなヤツめ」


 そんな疑問に対し、星夏はあっけらかんとした面持ちで答える。

 これまた珍しく照れた様子で真犂さんがぶっきらぼうに返す。


 なんだか昔の自分を見ているようで、堪らなく苦笑してしまう。


 ふと、今になって気になったことが浮かんできたので、そういえばと前置きをしてから続ける。 


「正式に真犂さんが後見人になったら、星夏はどっちで過ごすつもりなんだ?」

「こーたの家か真犂さんの家のどっちかってこと? あ~どうしよう……」


 無理矢理連れ戻された時と違い、星夏の表情は良い意味で悩まし気だった。

 ちなみに真犂さんの家は、今居る店から車で十分の所にあるマンションだ。


 学校が変わる心配もないだろう。

 それでも悩むのは、真犂さんとの暮らしに期待しているのかもしれない。


 一人で決められないのか、不意に星夏は俺の方へ顔を向ける。


「こーたはどっちが良い?」

「それ、答えが分かってて訊いてるだろ」

「あ、バレた?」

「丸わかりだっての……」

「で? どっちが良いの?」

「…………俺んち」

「あっはは。だよねぇ~」


 どうしても俺の口から言わせたかったらしく、お望み通りに答えると星夏は嬉しそうにはにかむ。

 あ~くっそ、恥ずかしい……。

 でもこういうところから、ちゃんと自分の気持ちを伝えていかなきゃいけないんだよなぁ。

 だったら照れないで慣れるしかない。


 今まで通り星夏には俺の家に居て欲しい気持ちは本当だが、彼女がどっちを選ぼうが尊重するつもりだ。


「もしあたしが後見人に選ばれたら、その時は星夏のしたいようにして良いぞ」

「え? ってことは、こーたの家に行ってても良いんですか?」

「おぅ。ただし、一個だけ条件がある」

「条件……」


 そう言われた瞬間、星夏の表情に一瞬だけ陰りが差す。

 大方、咲里之に色々と制限されたことを思い出したんだろう。


 真犂さんの方もそれを察したのか、星夏の頭を撫でながら続ける。


「んな難しく考えんな。週一回は必ず帰って来るだけで良いんだよ。せっかく後見人になれたのに放任してたんじゃ意味ないからな」

「真犂さん……!」


 思ってたより……いや、想像より良い条件だった。

 その理由に関しても、真犂さんなりに星夏を受け入れようとする意志を感じる。


「なんだったら康太郎も連れて来たら良いさ」

「俺も?」

「どうせならそっちの方が良いだろ? むしろ一緒の部屋で寝たって良い。……あ、でもヤるのだけは流石に勘弁な」

「ホテル気分で行く訳じゃないですし、人の家でする趣味はありませんって……」

「あ、アタシも人に聴かれるのはちょっと……」


 なんか良い感じだったのが台無しだ……。


 まぁ何はともあれ、真犂さんが後見人になった際の生活方針も無事に決まった。

 話が一段落したタイミングで、静観していた信さんから声を掛けられる。


「それじゃ、真犂怜さんを未成年後見人として家庭裁判所への推薦はこっちで進めておくよ」

「はい……」

「ご心配なく。お店も程よく繁盛しているみたいだし、前科も特に無いということなのでほぼ選任されると思うよ」

「! はい!」


 よっぽどのことが無ければ真犂さんと暮らせると伝えられ、星夏は満面の笑みを浮かべる。

 ひとまず話し合いは終わりそうだ。

 そう思った時だった。


 俺のスマホに電話の着信が入り、取り出して誰からなのか目を向ける。

 すると画面には『雨羽会長』と表示されていた。


「もしもし?」

『はぁい康太郎君。今、お店の前に居るのだけれど、開けて貰って良いかしら?』

「え? はい……」


 通話状態にするや否や、いきなりメリーさんめいたことを言われる。

 特に拒否する理由もないので言われるがまま店の入り口を開けると、そこには今まさに通話している雨羽会長の姿があった。


 困惑を隠しきれない俺の姿を見て、クスリと笑みを浮かべながら彼女は店に入って来る。

 突然の会長の来店に、星夏は目を丸くし、真犂さんも首を傾げた。

 父親である信さんだけは特に驚いた様子もなく、家に居るかのように軽く手を振る。


 そんな父親に顔を向けながら会長が口を開く。


「お待たせ、パパ。話は済んだみたいね?」

「今まさにね。霧慧の方は?」

「こっちも問題なしよ」

「なら良かった」


 親子として話しているはずなのに、まるで職場で同僚と会話しているみたいだった。


 だが二人にとってはこれが日常なのかもしれない。


 それにしても話の内容から、会長は何かしらの行動をしていたようだ。

 気にはなるが聴いても教えて貰えないだろうと思っていた矢先、会長が店の入り口へ身体を乗り出してから誰かを呼び始める。


 一体何を考えているのか訝しむが、その答えは呼ばれて店に入ってきた人物が持っていた。


 入ってきたのは長い黒髪を一つ結びにして、人の良さそうな柔らかな顔立ちをした女性だ。

 彼女は俺と星夏の顔を見るなり一瞬だけ悲痛な面持ちを浮かべ、ゆっくりと会釈をする。

 なんというか、とても見覚えのある人だ。

 どこで会ったか記憶を探るより早く、女性が口を開く。


「──。海で会った時以来ね」

「──っ! まさか……」


 その言葉で一気に思い出した。

 彼女は夏休みの旅行先である海で会った、星夏の父親──梓河あずかわ晋吾しんごの現在の奥さんだ。


 思わぬ二度目の再会に驚愕するしかない。

 それは星夏も同じで──いや、きっと星夏の方が俺より衝撃が大きいはずだ。 


 よく見ると、彼女の後ろに隠れている女の子の姿もある。

 あの子は確か……ハルちゃん、だったか。

 すぐに確信出来なかったのは、記憶にある姿が嘘のように暗いからだ。


 会長が彼女達をここに連れて来たことも合わせて、湧き上がって来る疑問が多過ぎて思考が纏まらない。


 そんな俺達の動揺を悟ったのだろう。


「彼女は亜優あゆさん。二人も知っての通り、梓河晋吾の妻人よ。今日ここに来て貰ったのは、康太郎君と星夏ちゃんに会って貰うためよ」

「俺達に……?」

「待って。妻だった人って、まさか……!」


 会長から女性──亜優さんを紹介され、俺達と会うために来たと訊かされた。

 その目的を問うより先に、何かに気付いた星夏が焦燥を露わにする。


 過去形の紹介の仕方……その意味を悟った瞬間、ようやく点と点が線で繋がった。


 俺と星夏の表情から答えを察した亜優さんが、悲し気な面持ちで首肯しながら言う。


「えぇ。私と晋吾さんの間にはもう婚姻関係は無いわ……。











 ──離婚の原因は、彼の浮気よ」


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