#117 個人としての恐れ、娘としての情



 星夏の母親の再婚……その唐突な報せに落ち着いて対応するため、俺達はひとまず家に帰ることにした。


 道中の星夏は心此処に在らずという具合に茫然としていて、俺が手を引いていなければ転んだり事故に遭いそうなくらいに不安定だ。

 無理も無いと思う。

 今まで自分から連絡して来なかった母親からメッセージが来たかと思えば、いきなり再婚を伝えられたのだから。


 彼女の様子に気を配りつつ、さっき送られて来たメッセージの内容を反芻する。


 ==============


 再婚することになった。

 明日の昼、駅近くのファミレスで相手と顔合わせするから来い。


 それが済んだら家に帰って来ること。

 向こうが気を利かせて、娘のアンタと三人で暮らしたいって言ってるから。

 ちゃんと普通の家族として振る舞うように。


 ==============


 ……改めて思い返しても、何とも身勝手な要求の連続に苛立ちが沸く。


 別に再婚すること自体は良いことだし、顔合わせをするのも特におかしくは無いだろう。

 海で会った星夏の父親も新しい家庭を築いていたんだから、母親だって築こうとしても不思議じゃない。

 むしろ今頃かと呆れさえしている。


 だがこの呼び出しには星夏の都合や気持ちが一切考慮されていない上に、拒否すら許さないような言い草だ。

 今どこに居るのか問い掛けすらしていない辺りに、その無関心振りが露わになっている。


 三人で暮らそうと言っている点にも、ハッキリ言って不快感しかない。

 散々一人娘を放置しておいて、いくら再婚相手の希望だからってどの口が言っているんだ。


 大体、普通の家族として振る舞え?

 ふざけんなよ……それを一番強く願っていた星夏を蔑ろにし続けてたのは誰だよ。

 これまでのネグレクトのせいでアイツは、自分の母親の顔を見ただけで怯えるくらいに恐怖を刷り込まれているんだぞ。

 そんな気持ちを慮りもせず、むしろ抑え込ませる時点で普通の家族だなんて絶対に無理だ。

 憤る内心を抑えつつ、ようやく家に着いた。


「星夏、大丈夫か?」

「うん……ごめんね、こーた」

「気にすんな。もう少し落ち着いたら、どうするか決めよう」

「……うん」


 動揺が冷め止まない星夏にそう言い聞かせるが、その表情は沈んだままだ、

 今日の夕食は俺が用意することにして、彼女にはゆっくり休んで貰うことにした。


 調理の片手間に会長へ報告だけしておこう。

 明日までしか時間が無いからすぐに対応し辛いだろうが、後手に回っても何とか返せると思いたい。


 程なくして出来上がった料理を黙々と食べ終え、改めて送られてきたメッセージに目を向ける。

 読み返す星夏の表情は変わらず重いままだ。 


「……なんでだろ。お母さんが再婚するって良いことのはずなんだけど、全然おめでとうって気分にならないや」


 ポツリと零れた呟きは素直に祝福出来ない自分への呆れなのか、絶縁に近かった母親からの唐突な接触に驚いているのか分からない。

 再婚……浮気をして自分達を捨てた父親に遭遇した時といい、そもそも星夏からすると良い印象がないのだろう。


 彼女の境遇や心情を思えば、祝えないことを責めるつもりは毛頭無い。

 そうでなくとも、このメッセージを見た瞬間から俺の出す意見は決まっている。


「だったら、行かなくて良いだろ」

「え?」

「俺ならそうする。母親としての務めどころか全く顧みないクセに、こういう時にだけ親の言うことを訊けなんて身勝手だろ。それに無理に付き合っても結局辛い思いをするのは星夏じゃねぇか」

「こーた……」


 断固とした反対の態度に星夏は目を丸くする。

 本音を言えば『行って欲しくない』と言いたい。

 でもそれはあくまで俺自身のエゴだ。


 いくら星夏のためを思っていようが、そんなのは彼女の気持ちを無視した我が儘に過ぎない。

 独り善がりで押し付けては、あの母親と同じになってしまう。


「別に俺の意見に従わなくても良い。星夏は、どうしたい?」

「アタシは……」 


 何とも狡い言い方をしたが、何より大事なのは星夏自身がどうしたいかだ。

 急かすような促し方をして申し訳ないものの、考える時間が少ない以上早いに越したことは無い。


 目を伏せて逡巡した後、星夏は顔を上げる。


「……実は小学六年生の頃にね、結婚まで行きそうな人がいたの。でもアタシっていう娘が居るって知ったら急にフラれたことがあったんだ」

「……それ、もしかして星夏のせいだって責めたのか?」

「当たり。叩かれたりはしなかったけど、アタシが居たから捨てられたって恨み節をたっくさんぶつけられた」

「……」


 悲しな笑みを浮かべながら語られた過去に、握り拳を震わせる程の怒りを覚えた。


 どうして星夏が悪いことになるんだ。

 悪いのは娘が居ると知った途端に振った男の方で……そんな彼女に八つ当たりする母親の方なのに。


「再婚相手の人が三人で住みたいって気を遣ってくれたなら、少なくともそんなことにはならなかったってことでしょ? だったら、今度こそお母さんは幸せになれるかもしれないよね?」

「どう、だろうな。俺からすれば、自分の不都合を周りのせいにする態度を改めない限りは難しいと思うけど……」


 情が深いというか、あんな母親相手でも幸せを願う子心を持つ星夏の思いは尊敬出来る。


 浮気された点では紛れもない被害者で、引き取られた星夏が味方でいようとするのも当然だろう。

 でも肝心の母親はそんな娘を育児放棄した挙げ句に、八つ当たりの対象にしている。

 それによって星夏は親子としての情を残したまま、相対すれば恐れるという複雑な心境を懐いてしまった。


 二人が普通の親子に戻るには母親が反省するしか無い。

 けれどそんな様子が微塵も浮かばない程に、俺の中ではあの人に対する心象は最悪だ。


 素直に賛同出来なかったのはそういう理由からだった。

 憤りを感じこそするが、そもそも星夏はどうしてこんな話を切り出したんだろうか。

 不意に沸いた疑問の答えはすぐに分かった。


「──明日の顔合わせには行く。それで結婚のお祝いだけ伝えたらここに帰るよ」

「!」


 空色の瞳に確かな意志をのせ、静かにそう告げた。

 ここに帰る……星夏は母親と再婚相手とは暮らさないと決めたようだ。


「説得するのは凄く難しいだろうし相手の人には申し訳ないけど、お母さんが幸せになるためならアタシは離れた方が良いと思うの。そもそも三人で過ごすってことはこーたと離れちゃうでしょ? それはやっぱり……イヤだなぁって考えちゃった」


 破顔しながら理由を述べられた言葉を聴いて、内心で燻っていた不安が幾ばくか霧散した。

 星夏が離れないと分かっただけでこの単純さ……我ながら呆れるばかりだ。


 だが彼女も言ったとおり、あの母親相手を説得するのはかなり骨が折れるだろう。

 訴え掛けてなんとかなるなら、星夏はネグレクトなんて受けていない。


 そもそも星夏が一人でまともに話せるのだろうか?

 母親に対して恐怖から萎縮してしまう姿はよく覚えているからこそ、ふと懐いた疑問から心配になってしまう。

 いっそ付いて行きたいところだが、流石に過保護が過ぎるような……。 


「えっと、それでね? こーたにお願いがあるの」

「お願い? どんなの?」


 どうしようか頭を悩ませている内に、星夏からお願いを切り出される。

 断る理由も無いので先を促せば、彼女は苦笑を浮かべながら口を開く。


「明日の顔合わせの時に、こーたにも付いて来て貰いたいの」

「え、いいのか?」


 棚からぼた餅といった風に、願っても無いタイミングでの頼みに驚きを隠せなかった。

 そんな俺の反応がおかしかったのか、星夏はクスリと笑みを零しながら続ける。


「その……アタシ一人だとお母さんに面と向かって話そうとするとね、どうしても怖くて上手く話せそうにないからさ。そうなったら説得どころじゃなくなっちゃいそうで……。でもこーたが隣に居てくれるなら、頑張れる気がするんだけど……ダメ?」


 自分の恥を曝す自覚から、頬を赤らめながら問い掛けられた。

 空気を読まないようで悪いが、その可愛い表情に胸が高鳴ってしまう。


 母親に対する恐怖が根強い彼女にとって、我が儘を通そうとするのはかなりの勇気が要ることだ。

 その勇気を出すために俺が傍に居て欲しいと言われ、堪えきれない嬉しさが溢れて来た。


 そんな気持ちに突き動かされるまま、無防備になっている星夏の頬に手を添える。

 滑らかで柔らかい触り心地の良い頬を数回撫でれば、彼女は気持ちよさそうに目を細めながら微かに擦り寄せていく。

 まるで猫みたいだな、なんて場違いに浮かんだ感想を隅においやってから返事を告げようと口を開いた。


「ダメな訳ないだろ。なんだったらこっちから頼もうと思ってたくらいだ」

「──そっか、うん……ありがと、こーた。大好き」

「っ……おぅ」

「あっはは、顔真っ赤じゃん。照れてんの~?」

「うるせっ」


 不意打ちで発せられた好意の言葉に、油断も露わに動揺してしまった。

 当然、対面している星夏が見逃すはずも無く、意地悪くからかいの的にさせられることに。

 反射的に悪態をついたものの、彼女にはまるで堪えていない。


 唐突な問題が立ち塞がったままではあるが、星夏と一緒なら乗り越えていけそうな気がする。

 漠然と楽観的な思考を懐いていた。












 ──それがあまりにも甘い考えだったことを、俺はすぐに突き付けられることになるとも知らずに。


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