#104 幸せの小さな花火
眞矢宮の家を出て、今から帰ると星夏にメッセージを送って少し寄り道してから、薄暗い街灯が照らす夜の道をがむしゃらに走っていた。
全力疾走を続けているため、心臓と肺が痛みを訴えてくる。
けれども止まろうなんて気持ちは全く沸いてこない。
雨羽会長の中で、どんなシナリオが予想されていたのかなんて解らない。
結果的に大きな
後悔は無い。
最初から星夏を選ぶと決めていたし、眞矢宮だって応援してくれた。
だったら、どうして走っているのか……答えは至ってシンプルだ。
一秒でも早く星夏に会いたい。
そう考えながらどれくらい走ったのだろうか?
時間に気を配る余裕も無いまま走り続けていたら、彼女の待つ自宅があるアパートに着いていた。
息を整えながら部屋へ一歩ずつ近付く度に、心の底から期待感が膨れ上がっていく気がする。
鍵は掛かっていない……メッセージを読んだ星夏が開けてくれたんだろう。
俺の帰宅を待ち望んでいたように思えて、頬が緩むのを抑えられそうにない。
変に緊張する必要は無いはずだ。
いつも通りにすれば良いと気を引き締めて、ドアを開けて入る。
「──ただいま」
こんな当たり前の言葉も、一人暮らしを始めてから口にしなくなっていた。
それがこうして言えるようになったのは、合鍵を受け取った星夏が入り浸ってからだ。
他人から見れば些細なことでも、俺にとっては確かな救いだった。
「おかえり、こーた」
「──!」
感慨深さを憶えながら靴を脱いでいると、奥から寝間着姿の星夏が出迎えてくれた。
いくら夏休みといえども既に夜の十一時を過ぎている。
にも関わらず起きていたのは、朝まで待ちきれなかったのだろう。
そうして二週間振りに顔を合わせた想い人に俺は……。
「星夏っ」
「きゃっ!?」
躊躇いもなく抱き締める。
話したいこと、聴きたいこと、色々とあるはずなのに触れられずにはいられなかった。
突然の行動に星夏が一瞬だけ驚かせてしまったが、久しぶりに感じた温もりに張り詰めていた心が徐々に和らいでいく。
「め、珍しいね? こーたからハグするなんて……」
「悪い。でも、離れたくない」
「……そっか」
状況を呑み込むとソッと抱き返してくれた。
「海涼ちゃんのストーカーは捕まったの?」
「あぁ」
優しげに投げ掛けられた問いに、ただ簡素に答えた。
眞矢宮が嘘を付いていたことに関して、俺の口から星夏に伝えるつもりはない。
向こうから日を改めて説明すると聴かされているので、その時まで黙って欲しいと頼まれたくらいだ。
「けじめは着けられた?」
「着けた」
ある意味ストーカー以上に星夏の懸念だった、眞矢宮との関係にもしっかりと区切りを着けたことを伝えた。
セックスを要求されたことに関しては、話さない方が良いだろう。
元より話す気もないが。
「でも、辛そうだね?」
「……告白を断るのって、めちゃくちゃ辛いんだな」
「まぁ傷付けないようにかなり気を遣うからね。けど、それだけこーたが海涼ちゃんと真剣に向き合ったってことでしょ? アタシよりずっとマシじゃん」
そう自嘲気味に笑う星夏だが、言葉の端から俺を気遣う労りを感じた。
本当は眞矢宮に靡くかもしれないと怯えていたはずなのに、逆に励まされているのはなんとも情けない話だ。
そんな彼女だからこそ、心の底から愛おしさが溢れて止まない。
「星夏」
「ん?」
身体を少しだけ離しながら名前を呼ぶと、星夏が顔を上げた。
空色の瞳は相変わらず透き通っていて、隠しきれない好意が浮かんで見える。
だからかもしれない。
「好きだ」
「──んむっ!?」
言葉だけじゃ伝え切れない想いを込めて、無防備な星夏の唇に自分のソレを重ねた。
唐突なキスに星夏がくぐもった声を上げるが、構わず舌を絡める。
「は、ぁ……んんっ、こー、た……っ! なん、で……」
「む……ふ、……好きだから」
「っ、や、……うれ、しいけ、ど……」
「愛してる」
「~~っ……バカ」
キスの合間に愛の言葉を囁く度に、星夏の目が蕩けていく。
発情のスイッチになっているディープキスも相まって、禁欲を宣言していた彼女の防壁は既に瓦解寸前になっている。
その弱点を熟知してはいたが、こうも露骨に攻めたことは一度も無かった。
「はぁ、はぁ……」
「寂しがらせてゴメン。それで……俺も寂しかった」
「え……?」
脈絡の無い告白に星夏が目を丸くする。
何せ、俺から今までこういった言葉を口にしたことがなかったからだ。
かつては自分から孤独を望んでいたとは思えない弱々しい言葉だが、嘘偽りの無い本音でもある。
「み、海涼ちゃんと一緒に居たのに?」
「好きな人と離れていたら、どうしてもな」
「わ、分かるけどさ……」
眞矢宮と過ごしている間、常に心の片隅で燻り続けていた気持ちを打ち明ける。
星夏は何とも言えない複雑そうな表情を浮かべるが、心情的には納得しているように見えた。
俺も彼女に負けず劣らず寂しがり屋だったみたいだ。
かつては孤独を望んでいたはずなのに、恋の一つでここまで心変わりした様は潔さすら感じる。
「でも、なんで今?」
「眞矢宮の告白を断ってさ、自分がどれだけ恵まれていたのか気付いたんだ」
眞矢宮のまっすぐな想いを手折った手前、何とも自分勝手な話だが紛れもない本音だった。
「星夏を好きになって、その星夏も俺を好きになってくれた。でもそれって本当は奇跡でも起きないと難しいことなんだよな……」
「……うん」
無論、何もしないまま紡げた訳じゃない。
結果的にとはいえセフレとして彼女の傍に居続けて、色んな人に背中を押された上で成り立ったことは十分に理解している。
けれども何か一つでもボタンを掛け違えれば、俺も眞矢宮のように片想いで終わってしまう可能性は大いにあった。
そうならずに気持ちを通わせた事実に対して、奇跡以外で表せる言葉が思い付かない。
このかけがえのない奇跡を手放したくない……その一心で告げる。
「だから、今ならハッキリと言える。星夏が隣に居てくれて、俺は幸せだ」
「あ……」
ハッキリと口にした言葉に、星夏は空色の瞳を大きく見開く。
生きることにすら無気力になって自殺を試みようとしていた俺を彼女が救い、亡くなった両親や遠方にいる祖父母と同じくらい、俺の幸せを願ってくれた。
あの日の夜に交わした約束に示せる答えを改めて口にしたのだ。
その答えを受け取った星夏は、感極まった面持ちを浮かべながら微笑む。
「こーたの幸せ……とっくに見つかってたんだ」
「約束したあの瞬間にな」
「あっはは。そりゃ探す気にもならないよね」
あまりの早さから星夏が朗らかに笑ってから続ける。
「アタシも……こーたが守ってくれたおかげで、ちゃんと自分の幸せを見つけられたよ」
「星夏の幸せ?」
「うん。こーやって大好きな人と好き同士で居られること」
「!」
そう告げると共に、今度は星夏の方からキスをしてきた。
ずっと自分の理想の人を探し続けていた彼女にとって、俺がそうだと言われて嬉しくないはずかない。
それがこうして現実になっている今を、幸せ以外に形容出来そうにも無かった。
何度かキスを重ねてから、星夏はようやくあることに気付く。
「ねぇこーた、そっちの袋には何が入ってるの?」
彼女が指したのは玄関に置いてあるレジ袋だった。
眞矢宮の家を出てから、ここに帰るまでの寄り道で買った物が入っている。
「あぁこれか。そうだな……ちょっと外に出ないか?」
「え、この格好だとはずいんだけど……っま、いっか」
突然の提案に驚くも、逡巡する間もなく受け入れてくれた。
場所はアパートの隣にある駐車場で、さっきのレジ袋に加えてあるモノも持って来てある。
これから何をするのかと、期待半分な星夏にレジ袋の中身を取り出して見せた。
華やかなパッケージで彩られたそれは……。
「手持ち花火……?」
「線香花火だけのな。今日の祭りに行けなかった代わりだ」
「もう、準備出来過ぎ」
呆れた調子で笑う星夏だが、その表情は嬉しさを隠しきれないでいた。
さっきも言った通りこの線香花火のセットは、彼女と祭りに行けなかった詫びとして買った物だ。
噴き出し花火なんかもあれば良かったが、流石に時間も時間なので線香花火が精一杯だった。
その点に関して謝罪すると星夏は……。
「派手なだけなのが花火ってワケじゃないんだし、こういうのも良いじゃん」
そう言って軽く流してくれた。
そうして始まった二人だけの小さな花火大会は、決して盛り上がったとは言えないだろう。
だが俺達にとってはそれで良かった。
夜空に大きな大輪が花開くより、小さい光が寄り添う光景がなんとなく自分達と重なった気がしたから。
何より……星夏が幸せそうに笑ってくれたことが一番大事なことだ。
線香花火の光が少しでも長く続くように、この幸せも続いて欲しいと切に願うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます