#73 恋をしている時は『今』だからこそ


 今、何を言われた?

 

 尚也から投げ掛けられた問いに対して、真っ先に浮かんだのがそんな無理解だった。

 さっきまでの和やかな空気は見る影もなく霧散していて、今は息が詰まりそうな剣呑な雰囲気に呑まれそうだ。 

 

 そんな状況で、俺はもう一度尚也から問われた言葉を脳裏に反芻する。


 星夏の気になる人が俺自身だと気付いているのか……。

 なんて答えづらい質問だよ。

 俺が星夏の気になる人って訊かれ方ならまだなんとか答えられたが、こうも確信めいた物言いをされると反応に困ってしまう。


「……やっぱり気付いていたんだ」

「っ!」


 だがこの場に限っては即答しなかった沈黙こそが、尚也の質問に対する返事となっていた。

 ここまで見抜かれている様では、もはや隠すことなど出来ない。

 観念して長い息を吐いた後、俺はゆっくりと首を縦に振った。


「──あぁ、分かってたよ。二年以上も片想いしてたんだ。星夏が俺を好きになってることくらい……すぐに分かってたさ」


 どれだけアイツのことだけを見て来たと思ってる。

 

 星夏が『気になる人がいる』という断り文句を使うようになったのは、風邪が治った次の日からだ。

 前の彼氏と別れてからの二日の間に関わった男子は俺しかいないし、他の男子とは関わろうとしていなかった。

 日常の何気ない会話やセックス中の反応の変わり方も、全部が俺への恋だとすれば辻褄が合う。


 特に海に来てから眞矢宮に対抗する素振りなんて丸わかりだし、今朝のアレも俺への好意がないと出来ないはずだ。

 ついさっきまで自分を誤魔化してはいたが、あれで分からない方が異常だろう。 


「なのに告白しないのはどうして? やっと念願が叶いそうなんだよ?」

「……そりゃ最初はめちゃくちゃ嬉しかったよ。ずっと芽が無いと思ってた分、至上の幸福だって胸を張って言える。でも本当に俺で良いのかって不安が拭えないんだ」


 我ながら情けない話だが、いざ好意を向けられたと理解した瞬間に怖くなってしまった。


 自分の手で星夏を幸せにしたい気持ちは変わらないのに、俺と付き合って星夏が幸せに思ってくれるかが分からない。

 まだ高校生で先のことを考えてもキリがないのは分かっている。 

 でも星夏と付き合うということは、彼女にとって理想の人で居続けなければならない。


「なるほど。康太郎の考えは分かるよ」


 その気持ちを聴いた尚也は理解した様な面持ちを浮かべる。

 続けて『これは僕の話になるんだけど』と前置きしてから口を開く。


「霧慧ちゃんは才色兼備の生徒会長だし、将来は司法関係の職業に就くっていう目標も実力もある。対して僕は幼馴染み兼恋人ってだけの一般人だ。そんな僕と恋人になることは彼女の汚点になるんじゃないかって、この気持ちを自覚した時からずっと悩んできた。……だから中学の時は何度も彼女の告白を断ってたよ」

「断ってたって……」


 そんな友人の口から明かされたのは、現在の二人からは想像も出来ない様な過程だった。

 本人に言うつもりはないが、尚也の言う通り雨羽会長は抜群の容姿と他の追随を許さない優秀さから、八津鹿高校でも屈指の人気を誇っている。

 その恋人である尚也にやっかみが向かない理由はない。

 

 今でこそ仲の良さからそういう声は少ないが、生徒会長との交際が発覚した当初はかなり大騒ぎになっていた。

 雨羽会長に惹かれていた男子からの相当な嫌がらせに、俺と智則も揃って対処したのは良く覚えている。

 尤も、一番火消しに尽力したのは当の恋人なのだが。


 ともあれ、尚也が俺の抱えている悩みに共感を示せたのは、圧倒的過ぎる彼女への負い目があったからこそだと悟った。


「今は霧慧ちゃんの想いに応えるために、主夫でも弁護士の秘書でも検察事務官もなれる様に勉強と家事に注力してるよ」

「……すげぇな」


 そして想い人の力になれる様に努力を重ねている。

 思わず素直な感心の言葉が漏れ出たくらい立派だ。


 対して、俺はどうだろうか。

 星夏を幸せにするために何が出来る?

 当たり前に口にして来た『守る』っていうのも、傍に居る時ならともかく離れていたらどうしようもない。

 海森の件や星夏が風邪を引いた時だって、俺はいつも後手に回ってしまっている。


 そんな俺が、本当に星夏の恋人になって良いのだろうか?

 そもそも……。


「……星夏が俺を好きになったのだって、気の迷いじゃないかって思う」

「気の迷い?」

「あぁ、俺なら理想の人でなくても良いって妥協だよ。実際に付き合ったら、俺程度の底の浅さなんて簡単に見限られるに決まって──」

「康太郎。それ以上はダメだよ」


 話の途中で尚也から制止の声を掛けられる。

 

「いや、俺はただ本当のことを──」

「ダメだ」


 自分の至らなさを語って何がダメなのかが分からない。

 けれども、尚也の口調は有無を言わさない強いもので、否応なしに口を閉ざされてしまう。


「好かれたがってたクセに、いざ好意を向けられた途端に日和るところは康太郎らしいと思うけどね。でもどんな理由があっても……










 キミを好きになった咲里之さんの気持ちだけは否定しちゃいけないよ」

「……え?」


 神妙な面持ちで告げられた言葉に、思わず目を丸くして呆けてしまう。


 俺が星夏の気持ちを否定していた?

 そんなはずはないと言いたいのに、どうしてだか肺を締め付けられた様に声が出てくれない。


「自分を卑下するなとは言わないけど、康太郎は咲里之さんが妥協で好きになる人を選ぶような軽い女の子だと思ってるの?」

「そんな訳ない! 星夏は──ぁ……」


 絶句している間に投げ掛けられた尚也の言葉に、咄嗟に反論してから自分の失言に気付いた。

 そうだ……星夏は目標のために妥協を許さない女の子だ。

 なのに俺は自分が選ばれたことに本気で向き合おうとしていなかった。


 その事実に愕然として、どれだけ自分勝手だったのかを突き付けられたのだ。


「咲里之さんは妥協なんかじゃなくて、本気で康太郎を好きになったんだってことから目を逸らすのは、ただの告白しない理由探しでしかない」

「……」

「でもそうする気持ちも分かるよ。今は好きでいてくれるけど、一緒の時間を過ごす内に失望されるかと思うと怖くて堪らないよね。最初から好かれてないって思う方が別れた時の傷が浅くなるから。誰だって自分が傷付くのは怖いモノだよ」


 尚也の言葉に同情の類いは無く、むしろ共感一色だというのが伝わってくる。

 

「僕もそう。霧慧ちゃんは肩を並べられる凄い人と付き合うべきなんだって、自分の気持ちに蓋をしてそう信じ込もうとしていた」

「……なら、なんで受け入れたんだ?」


 俺と似たような心境を懐いていた尚也が、どんな理由で会長と付き合う決意を固めたのか。

 時期的には去年の夏頃に二人は交際を始めている。

 けれども詳細はあまり深く知らない。 


 その決断を下した経緯を知りたい一心で、半ば無意識に疑問を口にしていた。

 どんな惚気話が待っているのだろうかと耳を傾ける俺に、尚也は少し苦い思いを滲ませた笑みを浮かべながら口を開く。


「その、ね……殴られたんだ」

「は?」


 殴られた?

 誰に?


 まるで状況が掴めなくて、思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。

 そんな俺の反応は予想していたのか、尚也は苦笑しながら続ける。 


「二十一回目になる霧慧ちゃんの告白を断った時に、左頬に平手打ち一発をね」

「あの人が手を出すとかよっぽどじゃねぇか……」

「あの時がそのよっぽどだったんだよ。それで呆然としてたら、今度は霧慧ちゃんが泣き出したんだ」

 

 殴った側が泣くのか……。

 そっちもそっちで色々複雑過ぎるなぁ。


 一応被害者だと言うのに、尚也の表情に怒りはまるで感じない。

 むしろ自嘲している様に見えた。


「さっき言った『付き合うべき人がいるはず』ってそのままで断ったからね。で、次にこう言われたんだ」


 そこで尚也は一度言葉を区切ってから続けた。


「──『そんないつ出て来るかも分からない人なんかどうでもいい。今この瞬間、私が恋をして恋人になりたいって思える人はナオ君だけなんだ』ってね」

「……」

「そうしてやっと気付いたんだ。霧慧ちゃんが一緒に居たいって思う人は僕良いんじゃなくて、僕良いんだって。未来は分からないままでも、の彼女が一緒に幸せになりたい人として選ばれたのが僕なんだ。そう悟ったら、釣り合いとか考える方が馬鹿馬鹿しくなったよ。だって恋をしているのは他の誰でもない『今』の僕達なんだから」

「……」


 目から鱗って言葉を実感した瞬間だった。

 いつだって未来に対する不安は付き纏うモノで、少しでも良い未来に辿り着ける様に苦心するのは当たり前だ。

 でも本当に目を向けるべきなのは、この瞬間でさえ過ぎ去っていく『今』だった。


 本当に来るかも分からない未来のために、たった一度しか無い一秒を無為に使い潰して良いのか?


 なるほど、確かに釣り合いとか失望とか考えてる時間が勿体無く思えてくる。

 同じ一秒でも星夏と居る方が遙かに有意義だ。

 俺は星夏が好きで、星夏も俺を好きでいてくれている。

 そうやって恋をしているのは他でもない今の自分達なんだ。


 一体何を足踏みしていたのか急激にアホらしくなって来て、過去の自分の愚行を苦笑する尚也の気持ちが痛いくらい分かる。

 後悔先立たず、やらない後悔よりやった後悔……先人が残した言葉を思い返す程に痛感させられた。

 

「そもそも卑下する程、康太郎は酷いヤツなんかじゃないよ。じゃなきゃ、咲里之さんと眞矢宮さんが好きにならないからね。あんまり自分を蔑ろにしていると、好きになってくれた子達に失礼だよ?」

「……耳が痛いな」

「僕も同じ言葉で霧慧ちゃんに叱られたからね。恋愛感情でも友情でも、自分を好きで居てくれる人がいるのは良いことだから、大事にしなきゃいけないよ」


 そう話を締め括った尚也は、腰を上げて『また朝食で会おうね』と言ってから部屋に向かって行った。

 

 一人居間に残された俺は、これから自分が取るべき行動を逡巡する。

 

 尚也には言わなかったが、星夏に告白をしなかった理由はもう一つあった。


 今のタイミングで告白したら、いつから自分のことが好きなのかって疑問に思うはずだ。

 何せアイツが俺を好きになってまだ一ヶ月くらいしか経っていない。 

 だというのに好きだなんて伝えたら、都合が良過ぎると訝しむに決まっている。

 

 そうなると結局は素直に言うしかなく、俺の気持ちに気付かずに他の男と付き合って来た自分を責めるのは容易に想像出来る。

 恋人になりたいと願って告げた言葉で、結果的に自他はどうであれ星夏を傷付けることに変わりはない。

 だったらいつも通り、気持ちに蓋をする方がずっとマシだ。

 そう思って敢えて気付かないフリをしていた。


 けれども、尚也に背中を押された今は躊躇うつもりはない。

 

 星夏が俺を好きになってくれて、どのみち傷付くのなら治るまで傍に居れば良い。

 色々と難しく考えていたが、もっと単純に考えるべきだったんだろう。

 手間を掛けさせてしまったが、もう迷いは捨てることが出来た。


 なら、俺がすることはたった一つだ。

 

 そう決断するとともに、早速行動に移すのだった。


=====


次回は6月5日に更新です。

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