その二
”
”
古臭いと言ってしまえばそれまでだが、命の張って生きている世界にいるんだからという矜持みたいなものなんだろう。
しかし、そんな彼でも、恋だけはした。
相手はなんてこともない、若くして
夫に死なれた後、たった一人で小料理屋を経営していた、当時27歳の遠山初子という名前の女性だった。
化粧っ気もない平凡な顔立ちだったが、毎日店を切り盛りする姿に、
”一遍で惚れてしまった”のだという。
向こうも安田氏が”筋もの”だということを知りながら、彼の事を憎からず思うようになり、当然ながら二人は結ばれた。
だが、やはり結婚はしなかった。
彼女は”私も二度目だし、今更結婚なんてしなくてもいいわよ”そう言って、二人はそのままの関係を続けていた。
そのうちにあの”騒動”だ。
彼は警察に自首し、そのまま逮捕された。
取り調べにも素直に応じたので、裁判もスムーズに運び、一審で判決が確定し、控訴をしなかったため、そのまま塀の中へ直行となった。
初子は担当弁護士の計らいで一度だけ面会に来たことがある。
刑務所の中から”来なくてもいい”と手紙を書いたのだが、どうしても会いたいというので応じた。
妊娠していることを告げられたのはその時だった。
”養育費なんかいらない。この子は私が一人で育てるから”
彼女は気丈にもそう言ったという。
しかし安田は、
”それじゃあ自分の気が済まない”そう言って認知だけはしてやる約束をした。
間もなくして、彼女から手紙が来て、無事女の子を出産したと言ってきた。
彼は弁護士に頼んで認知の手続きをして貰い、娘の名前を、
”早苗”と命名し、書き送ったそうである。
それから彼が満期で出所する半年前まで、娘の成長を知らせる便りが届いた。
娘にはお父さんは遠いところに行って、二度と会えないこと。
でも決してお父さんを恨んだり憎んだりしないこと。
この二つだけは常に言って聞かせてあると書いてあった。
時折、娘の写真が手紙に添えられていたこともあったという。
そして出所する半年前、突然便りが途絶えた。
弁護士の先生に訊ねてみたところ、どうやら身体を悪くして亡くなったらしいという。
出所し、彼女の店を訪ねてみたが、もうとうの昔に閉店してしまったそうだ。
娘の行方は、何でも母方の遠縁の親類に引き取られ、それっきり行方が分からないという返事が返って来た。
仕方ない。
安田は恩人の”親分”の元を訪ねて相談をしたところ、俺の名前が出て、弁護士の先生も”乾なら信頼のおける人物だ”と、太鼓判を押してくれたそうだ。
『あんた達探偵は、非合法の職にあるものの依頼は受けてはならんと、兄いから聞きやした。しかし私は今現在は兄いがやってるビル管理の会社で、清掃の仕事をしています。もう”あっちの世界”とは縁を切っています。決して真っ当な人間とは言えやせんが、何とか引き受けてはくれねぇでしょうか?』
俺はしばらく腕を組みながら、シナモンスティックを二本齧った。
『いいでしょう』
『え?』
『いいでしょう。といったんです。こう見えても私は結構気まぐれでしてね。多少法に背いたって、受ける時には受けるんです。ただし、仕事ですからね。金だけはきっちりと貰います。基本料金六万円と必要経費。仮に拳銃がいるような筋が発生すれば、危険手当として四万円の割増をさせて頂きます。これが』俺はそう言ってデスクに手を伸ばし、立てかけてあったファイルケースから書類を一枚つまみ上げて彼に手渡す。
『契約書です。良く読んで、納得が出来たらサインをお願いします。他に聞いておくことは?』
『ありやせん。引き受けて頂けるなら、何としてもお金は払います。一生かかってでも』彼はそう言って書類の末尾に、ボールペンで丁寧にサインをした。
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