第4話

コウジは、そんな良子の肩に手を添え落ち着かせようと何度も軽く叩いた。それでも、歯の隙間からふーふーと荒い息は止まらない。

『申し訳ございません。今回の旅行の代金は割り引かせて頂きますので何卒ご堪忍を』

「ほら、割り引いてくれるって。こんなラッキーな事はないよ。さ、折角の旅行なんだ。楽しく行こうじゃないか」

良子は親指の爪を咥えて、「駄目なのよ、駄目なのよ」と繰り返し小さく独り言を唱えている。それはとても奇妙に感じた。

二人して直立したままでいると、小さな女の子が二人の元へと走ってきて目の前で転げた。

「おいおい大丈夫か?」

コウジがびっくりして女の子を覗き込もうとすると、顔を上げ擦りむいた丸い鼻先を見せて、泣き出した。すると後ろから、優しそうな雰囲気をした女性と、その手を握っている女の子――多分親子だろうと思われる二人がやってきて、女性の方が心配そうに駆け寄ってきた。

「良子、大丈夫!?」

名前を聞くや、コウジは目を丸くした。

「りょ、良子?良子なのか?小さい頃の良子か!」

良子は黙り込んだ。

「あはは、可愛いなぁ。あの、良子のお母様ですか?」

話しかけても、女性は反応をせずに幼い良子の髪をなでている。

「もしかして、俺達は見えてないのか」

「仮想現実だから……」

「待てよ。この子が良子なら、まさかそっちの子は良子の」

コウジは、女性の手を握っていた女の子へ視線を流した。その子は幼い良子とそっくりそのままの顔をしていた。――ただし、その子の鼻の下には大きなほくろが所在していた。女の子は前髪で影を作りながら幼い良子と母をじっと眺めているようだ。

「ええ、妹の陽子よ。双子なの」

初めて知る事実。妻が双子だっただなんて。少しずつ明かされていく妻の事実に、コウジは好奇心が耐えなかった。しかし、当の良子は未だに浮かない顔をして唇を結んでいる。

「ねえ、良子ちゃんこれ」

と、妹の陽子が幼い良子の服の袖を引っ張って、拳を見せた。その指がゆっくり解かれ、中から死んだモンシロチョウが現れた。幼い良子は叫んで、妹の掌をはたいた。

「やめて!気持ち悪い!」

それを見た母は叱った。

「こら!陽子。そういう事するのやめなさいって言ったでしょ」

陽子は俯いて、地面に落ちたモンシロチョウをじっと眺めながら小さく呟いた。

「……可哀想だったから。治せないかなと思ったの」

「そんな事より、ママ。風船欲しいから買って」

幼い良子はもう明るい笑顔をしていた。母は仕方ないと言わんばかりに眉を下げている。

「仕方ないわね。陽子は少し反省していなさい」

陽子は拗ねた素振りもなく、無表情のままずっとモンシロチョウを見つめていた。


「ここ、居心地悪いわ。他の場所に行きましょう」

しばらくもせずに良子がそう言った。コウジは小さく頷いて、二人はその場を離れるように当てもなく歩いた。

「あそこにエレベーターがある。他の階にでも行ってみないか?」と言って、指をさす。

良子は答えなかった。

二人でエレベーターに乗り込んだ。そこで、またあの男の声がした。

『ボタンの数字を組み合わせて押すと、その年齢の過去へ戻ることが出来ます。あなたが色濃く思っている過去へ』

「良子、何か楽しい思い出のあった場所はあるか?」

やはり良子は答えなかった。コウジは適当な数字のボタンを押した。押したのは「15」だった。


15歳の過去が開いた。相変わらずそこは現実のような場所だった。そこは体育館で、成長しセーラ服の後ろ姿の、ショートヘアの良子がいた。15歳の良子は、体育館倉庫の隙間を覗いていた。

「ここ……ここは嫌、別の階にしましょう」

「何で嫌なんだ。気になるだろう」

「嫌なのよ。とにかく他の場所へ」

すると、15歳の良子が体育館内に響くほどの悲鳴をあげた。体育館倉庫の扉が開くと、そこには長い黒髪を乱して、制服を血塗れにし、ナイフを持った陽子がいた。陽子は髪の隙間から、焦点の合わない目を覗かせていた。

「陽……子」

15歳の良子の小さな膝はガクガクと震えている。

「あんなものがあって、可哀想だから切ってあげたのよ。まさか死ぬとは思わなかった。でもあんなものがあって生きるよりはマシでしょう」

陽子は淡々と告げた。15歳の良子は腰が抜けて、立てずにいた。しかし15歳の良子は自分のジャージを陽子の体に羽織らせた。そして血のこびりついたナイフを取り上げ、自分のスカートのポケットに捩じ込んだ。

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