第72話献血は健康状態及び世界情勢に気をつけて行いましょう
「
僕が陣取る岩に登ろうとした哀れなゴブリンを2匹まとめて吹き飛ばす。
混迷する戦局で僕は固定砲台の如く立ち回っていた。
これが中々どうして愉快なのだ。無論相手からも狙われる。が今の地上で呑気に狙いを定めていたら即座に天国の切符がただで貰える。なんなら赤字覚悟の棍棒付きだ。
天国に最も近いと言うことで聖地認定されるレベル。
ゴブリンリーダーの方に目を向ければ意外にもまだ持っていた。別れた直後に抜かれることも覚悟していたのだが随分と奮戦している。
期待以上だ。ゴブリンリーダーの成長を侮っていたことを素直に反省しよう。
背後で聞こえた岩を硬いものが擦る音に即座に振り向く。想像通り敵兵が岩をよじ登っている。
僕は高々と杖を振りかぶる。ゴブリンの顔に杖の影が刺した。絶望に染まったゴブリンと目が合う。
「次からはもっと静かに奇襲するべきだな。お前に次はないが」
手向けの言葉を送ってからゴブリン目掛け勢いよく杖を振り下ろす。
ブシャッとスイカのような音を立ててゴブリンが絶命する。もう一匹のゴブリンは逃げようとしたところを部下に刺されていた。
視線を混然と殺し合う集団に戻した。あの中に部下を突っ込んだらコボルトにやられそうだ。
強力なゴブリンによる局地的不利を除けば戦況はコボルトに傾いていた。
勝てる。僕は笑い出したくなった。唯一の不安材料たるウルズはゴブリンリーダーが抑えている。
未だかつてこれほど順調な戦いがあっただろうか。
少なくとも僕の記憶の中にはない。
全体を見渡して援護が必要そうなところに魔術を叩き込む。たったそれだけでコボルトの感謝が勝ち取れるのだから安いものだ。
美味しい戦いにニヤついていた僕の瞳がラダカーンを捉える。いつもなら当然沸いてくるはずの殺意が今はなかった。
金持ち喧嘩せず。勝利と余裕は人の心を豊かにする。ま、人じゃないが。
皮肉げな笑みを浮かべながら僕はラダカーンから先手を取る。
「これはこれは。このような時に私に何か用だ?」
「族長ガ即座ニ会イタイト仰セダ」
嫌だ。シンプルに嫌だ。あのイカレ魔術師と会うなんて嫌だ。
必要なら涙を呑んで会いまするが今は戦時だ。好き好んで誰かに会いにいく余裕などない。
「後にしてくれ。ラダカーン」
「残念ダガ友ヨ、ソノ答エハ否ダ」
場に緊張感が満ちた。僕とラダカーンは静かに睨み合いお互いの部下がそろりと間に立った。
一触即発の気配が流れ出す中で僕は必死で頭を回した。まず、用件だ。用件がわからない。
「それで何の御用かな?」
「来レバワカル」
なるほど何の答えにもなっていない。
譲歩を見せないラダカーンに僕は皮肉げに口の端をつり上げるしかしなかった。
「それでは困る。この戦場を置いていく訳にはいかない」
ググッとラダカーンが唇を噛んだ。僕はこの勝てそうな戦場を置いていく気はない。
睨み合う。せめてこの不毛な言い争いはやめにしたい。
お互いの意思は同じだったのかラダカーンがため息を吐いて口を開くと。
「儀式ノ完遂ガ近イ。使徒ヨ共ニ来ラレヨ」
……え?……絶対に行きたくない。絶対に行きたくない。大事なので二回言った。
なんとか否定の言葉を探す。
「今私がこの場を離れたら——」
「コノ者タチガ代ワリヲ務メヨウ」
「代役の問題でなく——」
「友ヨ。献身トソノ功績ハ高ク評価スル。ガ誤解ヲ恐レズニ言エバ友抜キデモ大勢ニ影響ハナイ」
確かにな。僕は思わず納得してしまった。一人の価値がないとは言わない。
一人にとって一人の価値は計り知れないものだと言う主張はある程度妥当だと言える。
だが二人にとってはどうだ?三人では?
コボルトの軍勢はまだまだ100を越す規模だ。軍勢にとって僕はたった一人でしかないのだ。
「わかった。案内してくれ」
どことなく虚しい気分になった僕は部下に指示を出してからラダカーンについて歩き出した。
足早に洞窟へ入るラダカーンのすぐ後ろで僕はチラリと振り返った。僕がいなくとも大した違いはなかった。
「どこへ行くつもりだ?」
「約束サレタ地へ」
だからそれがどこかわからないんだよ。
教えてくれそうにないラダカーン。僕は諦めて現実を直視する。
どうせあの場所だろう。暗く湿気っていて控えめに言って陰気な洞窟。
その中にあってアクセスの悪さと邪悪さで群を抜くあの場所だ。
「儀式の地か」
「ソウトモ」
ラダカーンは我が意を得たりとばかりに深く頷いた。
顔には少なくない自尊心が見え隠れしている。
「族長ホドノ魔術師ガコレホド辺鄙ナ場所ニイルノハ理由ガアル」
その理由とやらを聞いて欲しそうな顔をしたラダカーン。……素直に聞いてやるのも癪だ。
もっと実用的な質問をしよう。
「あの族長は一体?」
「話セナイ」
言葉に断固とした拒絶を感じて僕は問いかけるような目線を放った。
言うべきか迷うようにラダカーンはもう一度口を開きかけ、やめた。それを何度か繰り返す。
「話セナイ」
結局ラダカーンが言ったのはそれだけだった。言葉足らずにも程がある。
「理由を聞いても?」
「後ニシヨウ」
僕から逃げるようにラダカーンは足を早めた。遅れまじと僕も足を早める。
「何か問題のある……信仰に反するようなことをしているのか」
「違ウ」
ラダカーンは素っ気なく答える。そうまでして隠されると逆に知りたくなるのが人の性。ゴブリンだけど。
「ではなぜ話せないのか?」
しつこく食い下がる僕にラダカーンはチラリと顔を向けた。僕は驚愕のあまり思わず立ち止まる。
ラダカーンの顔には恐怖が浮かんでいた。
「呪文ガアル」
顔を寄せたラダカーンは囁くように言った。
自然返す僕の声も小さくなる。
「呪文?」
「古ク強力ナ呪文ダ。ソレニヨリ契約ヲ結ンダ者ヲ縛リ付ケテイル」
「何の契約だ?」
ラダカーンは言葉に詰まり、視線をフラフラとあちこちに彷徨わせていた。
その視線がある一点に固定された。ラダカーンの表情が恐怖で凍結する。
恐る恐る僕はラダカーンの見ている方向へと首を向けた。
そこにいたのは穏やかな表情を浮かべている老魔術師だ。
安穏としたその表情は縁側にでも寝そべっていればさぞ平和的な光景なのだろう。
だがラダカーンの巨大なゴキブリを見たような恐怖に満ちた視線が強烈な違和感を顔に出している。
「ラダカーン」
コボルトの老魔術師が猫撫で声で口火を切った。こちらに配慮してかゴブリン語で話している。
……いらないんですけどその配慮。どうせなら田舎に帰ってくれませんかね。
「お前はやはりお喋りが過ぎる」
老魔術師はそう言って何気なく手を振るった。本当に何気ない動作だ。
杖を振るうでもなく呪文を唱えるでもなく。ただ掌をクルリと見せただけ。
それだけでラダカーンは崩れ落ちた。
「おい!」
老魔術師から目を離さないままラダカーンに強く呼びかける。
「……」
へんじがないただのしかばねようだ。
「……ッ」
おっと失礼。まだ息がありそうだ。やっぱりしぶといやつである。
老魔術師を睨む瞳に力を込めた。怯懦を悟られぬよう。
「いかに偉大なる使徒といえども宿主を探るような真似をするのは感心せんな」
「探られて痛い腹があるから問題なのでは?」
僕の最大限の皮肉を老魔術師は鼻で笑う。僕が何と言ったところで気にも止めなさそうだ。
「使徒よ。こちらへ」
僕がチラリとラダカーンに目をやると老魔術師は苦笑して手を振る。
「そこまで酷く痛めつけていない」
「……そうですか」
クルリと背を向けた老魔術師言われていないがついて行かなければラダカーンの二の舞だ。
それは勘弁してほしい。
黙って老魔術師の後に続く。更に深く曲がりくねった道を歩いていく。
次第に洞窟から虫すら消えていた。場を支配しているのは完全な無。
幽鬼の如く音も立てずに移動している老魔術師と共に歩いていると頭がおかしくなりそうだ。
「儀式の進捗は?」
沈黙に耐えられなくなった僕はようやく話を切り出した。
「最後の手順を済ませれば儀式は為される」
「最後の手順とは?」
「あなたの血じゃよ」
事もなげに言ってのけた老魔術師。咄嗟に逃げ出そうとした僕に向かって指を一つ鳴らした。
周りから湧き出た黒いモヤが僕を包んだ。荷物のように梱包された僕は老魔術師のすぐそばを歪な風船のように浮遊している。
「あなたには付いてきてもらわねば。申し訳ないが」
と全く申し訳なくなさそうに言うコボルト。
そもそも視線すら合わせていないのに申し訳ない、なんて片腹どころか全身痛くて砕けそうなんですけど。
ちょっと拘束がきつい!
黒いモヤに意識を集中させる。何となく動かせそうな気がした。
離れろ離れろ離れろ。ひたすら念じていると拘束が徐々に弱まっていった。
逃げられる。そう確信した僕が行動に移す前のことだ。
面倒くさそうに舌打ちした老魔術師が口の中でモゴモゴと呪文を唱えると老魔術師の背から飛び出した毒々しい蔦が僕を再び縛り付ける。
「全く。瘴気が効かないのは面倒だな」
「私をどうするつもりですか?」
「フッハッハッハッハ」
老魔術師の似合わない爽やかな笑い。あまりに似合わないせいか不気味すら感じる。
何か何かがおかしかった。
「以前捕らえた姫君でもそんなベタなことは言わなかったぞ」
「……」
「なんだつまらんな。まあいい。別に血と言っても身体中の血全てを取るわけではない」
それなら献血感覚でやっていいのか?邪教の儀式だけど。
あの憎々しい
「ついたぞ」
そう言ってから老魔術師は僕を七芒星の魔法陣の中へ放り出した。
蔦が食い込んで赤くなった体を撫でている僕に老魔術師はナイフを投げてよこした。
血はこれで流せということらしい。
ねぇ、もっとあるよね?美人な看護師さんに注射されるとかさ。
別に美人でなくてもいいから。まともな看護師をつけてほしい。百歩、千歩譲って看護師がいなくてもいいからまともな注射器を使わせてほしい。
無理か?無理でしょうね。
一通り自分の中で問答を繰り広げてから僕は嫌々ながらナイフを取る。
怪我にも流血にも慣れてきたが自分でやるのは別だ。
「早く!」
躊躇っていた僕に老魔術師は有無を言わさぬ口調で言った。モタモタしていれば親切な老魔術師が首を切ってくれそうな雰囲気だ。それは絶対に嫌ので諦めてナイフを手に押し付ける。
「痛っ」
小声でボヤくのと血が滴り落ちるのはほぼ同時だったと思う。
僕の血を得た魔法陣は一層邪悪に輝き始めた。
『我混沌を奉じる者にして汝の忠実なる
朗々と老魔術師——サウロが詠唱を終え余韻が響き終えても何も起こらない。どころか魔法陣の光が消えてしまった。
僕は僅かに安堵した。そうだ流石にそんな馬鹿げたことが起こるはずがない。
痛い老コボルトが一匹無駄に恥をかいただけだ。
なあに、せめて慰めてやろう。
だが僕が口を開く前にコポリという音がした。
何か何かが湧いてくる。
「なんだ?」
僕の掠れた声を歯牙にも掛けず足元から何かが湧いてくる。
それは暗い、昏い色をしていた。
黒く不潔な流動体はゆっくりと蠢いている。中心にあるのは……心臓?
かつて見た影の怪物ははっきりとした輪郭を獲得していた。
名状し難い見た目だ。敢えて表現するなら神格と邪悪さ、そして毛の生えた心臓を追加したコーヒーゼリーだろうか。
ゆっくりとそれが立ち上がった。サウロはすでに跪いている。
僕はと言うとあまりの衝撃で体が動かなかった、怖い怖い怖い。
なぜ僕は血を捧げてしまったのだ。魂が悲鳴を上げていた。
例え死んでも、ああそうとも例え死んでも、これを許すべきではなかった。これから世界は、僕はどうなっていくのだろう。今すぐゴブリンリーダーと相談しなければ。相談?相談してどうなる?
わからない。全てが予測不能だ。たった一つわかることがあるとすれば、
邪神が復活した。
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