第68話斥候

「ご苦労」


 ゴブリンリーダーを軽く労ってから僕は辺りを見回した。

 

 部下の士気は高くはないが致命的に下がっている訳でもない。許容範囲だ。コボルトたちも同様。


「退ききれると思うか?」


「確実なことは言えない」  


 声を潜めて聞いてきたゴブリンリーダーに同じく部下の耳を気にしながら答えた。


 というか現状では不可能だと判断したからゴブリンリーダーを投入したのだ。彼の奮戦のおかげで時間は稼げたようだが絶望的な数の差はまだ残っている。


「もう一度俺が行こうか?」


「……いや、やめておけ。死ぬぞ」


 ゴブリンリーダーの提案を少し考えてから拒否した。


 コボルトの防衛線が破られるのも時間の問題だ。もしくは既に破られているかもしれない。防衛線が破られた状態で出向くなんて殺されるに行くようなものだ。


 太陽を見て時間を確認する。あと40分はかかるだろう。


 ……おいおい。遠すぎるだろ。ちゃちなハイキングコースなら二周はできる時間だぞ。


 遠い。途方もなく遠い。辿り着くまでに生きているか本格的に怪しくなるレベル。


 行きの進軍で出来た道を小走りで駆け抜ける。全力で走って体力が尽きようものならゴールがそのままゴブ生のゴールになりかねないので小走りだ。


「疲れ気味……か」


 さりげなく部下の様子を伺って得た結論である。現時点では戦えないほどではないが疲労が激しい。


 が、条件は相手も同じ。むしろ待ち伏せている味方がいるだけこっちが有利まである。


 勝てる。自分を励ましながら先程からハイパースで走っている子狼をチラ見する。


 実に楽しそうである。散歩か何かと勘違いしているんだろうか。生まれながらの殺し屋ナチュラルボーンキラーな彼だが成長しても戦力として役に立つかは……お察しだ。


 だが身体能力は信頼に値する。


「バウ!」


 柄にもなく茂みに向かって精一杯の声で吠えた子狼を見て素早く同じ方向に向き直る。


「ギギャガギャャー!」


 脇道から現れたゴブリンを反射的に蹴り飛ばした。


 転がったゴブリンが起き上がる前に杖をフルスイング。


 嫌な音を立てて倒れた敵を無視して辺りの茂みに注意を向ける。


 この辺りはゴブリンとコボルトの根城の中間。ゴブリンが優勢であることを考えれば敵の勢力圏内なのだ。


 地の利は敵にある。どこから敵が来ても不思議ではない。


「どこから来たんだ?」


「知らん。我々が遠回りしているのか元々外に出ていたかだろう」


 駆け寄ってきたゴブリンリーダーにそう返した。


 奇襲をかけたのだ。敵がその時に外にいたとしてもおかしくない。


 考えながら僕は小さく屈む。


「ありがとうな」


 僕に撫でられた子狼は不思議そうな顔で見つめ返して来たが撫でられるのが気に入ったらしく身を擦り付けてきた。


「族長。時間はないぞ」


「わかっている」


 ぽんぽんと小さく頭を叩いて終わりだと合図してから深く息を吸い込んで意識を切り替える。再び移動を開始した。


 もう少しなのだ。もう少し、もう少しだ。


「コボルトの指揮官を探してさらに殿を残すように進言するってのはどうだ?」


「自分でやれと言われるのがオチだ」


 あんまりな提案をピシャリと放つけるとゴブリンリーダーは緊迫した表情を歪めた。


 殿しんがりの必要性は確かに僕も認めるところだがやりたいかと言われれば全力で否定する。給食のプリンのおかわりじゃんけん並みの勢いでだ。


 死にたくない。せめて走馬灯にまともな記憶が刻まれるまでは。


「じゃあ、どうする——っっ伏せろっ!」


 反射的に体を屈めた僕の頭上スレスレを矢が飛んだ。振り返って射手の居場所を探るが見当たらない。


「移動したのか?」


「さあな」


 僕の疑問に答えてたゴブリンリーダーの額にも冷や汗が流れている。


 狙撃者スナイパー。いや逃走の腕からすると斥候レンジャーか。どちらにしろ厄介な敵だ。


「足を止めるな」


 命じて自分も歩き出す。動く的は狙いにくい。魔術師として遠距離攻撃をするようになってか痛感したことだ。


 子狼はキョロキョロと辺りを見回している。臭いが掴めていないらしい。


 ヒュッと風を穿つ音に反応して顔をずらした。僕の頬を掠めた矢が勢いよく気に突き刺さる。


 心構えのできていた僕は今度は反応できる。


衝撃波ショックウェーブ


 瘴気を込めた強力な一撃は何かに——確実にゴブリンだろうが——当たったらしく押し殺した呻き声が聞こえてきた。


 が、ここで止まりはしない。


「矢を放て。容赦なくだ。投石も」

 

 最小化した言葉で部下に命令を下し僕自身も詠唱を始める。


衝撃波ショックウェーブ


 いくつもの投石と矢とさらに魔術が飛んだ。


 返ってきた悲鳴からして命中したことは間違いない。


 僕に目くばせされたゴブリンリーダーが嫌そうな顔で剣を抜いて声の主に近づく。

 

「おい?」


 ゴブリンリーダーの驚愕に満ちた声がその場に響いた。何事かと視線で問えばポカンと口を開けたままゴブリンリーダーはゴブリンの体を放り投げる。


 飛んできたぐったりとしたゴブリンの顔には見覚えがあった。片時も忘れていなかった。忘れられるはずがなかった。


「こいつは……」


 僕を裏切った斥候で元森神官の部下だ。


「う、う……お前は、そうか仕損じたのか」


 魔術の影響か意識の混濁していた斥候が正気を取り戻して僕の顔を憎々しげに睨みむ。


 クッ殺せとか言いそうな面だった。勿論言われなくても殺すのだが。


 裏切り者に死を。僕が裏切り者と呼ばれていることは置いておく。


「この辺りにいるのはお前だけではないな?」


「……ああ、そうだ。お前を殺したいという奴が山ほどいる。せいぜい気をつけるんだな」


 ニヤリと脅すように笑った斥候の顔を見ながら僕は極力冷静に頭を働かせる。


 ブラフか?……いや、現実味のある話だ。


 チラリとゴブリンリーダーに視線をやればわからないと言うように小さく首を振った。


 判断がつかない……か。


「最後の言葉にしては品がない」


 僕の挑発に斥候はフンっと鼻で笑って返した。話すことなどないと言わんばかりに。


 懐から短剣を取り出した。冷たく光る白刃を前にしても斥候は表情を硬くしただけで見苦しいマネはしない。


 よかったと他人事のように思う。プライドがある生き物が僕の部下でよかった。


 無言で振るった短剣は銀の軌跡を残して鋭く斥候の喉を抉る。


 噴水のように血を噴き出しながら斥候はどうと倒れた。


 見事だ。今度は心から思った。僕には出来ない散りざまだ。


「埋めてやりたいが、その時間はないな」


 独り言じみた僕の問いにゴブリンリーダーは無言で頷いた。


 本当に弔いたいものはいつも僕は弔えない。


「仕方ない。先を急ぐぞ。遅れを取り戻さなければ」

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